スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)
スプートニクの恋人 (講談社文庫)
村上春樹
講談社
2001年4月15日
16件の記録
  • 約、20数年ぶりの再読。 当時、ブックオフみたいな古本屋さんで300円くらいで買った記憶がある。 内容は全く覚えていない。 ミュウの「観覧車の話」は 村上春樹作品の中でも特筆すべきエピソードであると思う。 読み進めていくうちに、特に中盤から後半に連れ この作品は傑作だと確信する。 最後、まるでノルウェイの森のように電話ボックスが出てくる。 ノルウェイの森のワタナベくんのように、すみれには自分のいる場所が分からない。 しかし、すみれのいる場所は断然されていない。 生きている電話ボックスだ。 ワタナベくんのいる電話ボックスは世界と断然されていたし、ゆえに自分のいる場所が分からない。 ワタナベくんのいた場所はどこでもなかったし、どこでもよかった。 とにかく隔絶された場所だった。 村上春樹はワタナベくんの先を すみれという人物を使って前に進め世界を押し広げたように思う。 ノルウェイの深くて暗い森を抜けた世界 それが「スプートニクの恋人」だ。 この物語の最後の最後に すみれと〈僕〉はお互いが 一生の旅の連れであることを見出したのだ。 「あまりにもすんなりとすべてを説明する理由なり論理なりには必ず落とし穴がある。それがぼくの経験則だ。誰かが言ったように、一冊の本で説明されることから、説明されないほうがましだ。つまり僕が言いたいのは、あまり急いで結論に飛びつかないほうがいいということだよ。」 「すみれはぼくから離れて「さびしい」と言う。でも彼女のとなりにはミュウがいる。ぼくには誰もいない。ぼくにはーぼくしかいない。いつもと同じように。」 この取り残された感、すごく分かるな。 女性というのは時として本当に遠くに行ってしまうんだ。 ミュウ「わたしにはそのときに理解できたの。わたしたちは素敵な旅の連れであったけれど、結局はそれぞれの軌道を描く孤独な金属の塊に過ぎなかったんだって。遠くから見ると、それは流星のように美しく見える。でも実際の、わたしたちは、ひとりずつそこに閉じこめられたまま、どこに、行くこともできない囚人のようなものに過ぎないわ、ふたつの衛星の軌道がたまたまかさなりあうとき、わたしたちはこうして顔を合わせる。あるいは心を触れ合わせることもできるかもしれない。でもそれは束の間のこと。次の瞬間には、わたしたちはまた絶対の孤独の中にいる。いつか燃え尽きてゼロになってしまうまでね」 すばらしいです。 すみれ「たとえば具体的に言うと、まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことならよく知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると、わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、わたしちたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」 すみれ「昔、サム•ペキンパーの監督した『ワイルド•バンチ』が公開されたときに、一人の女性ジャーナリストが記者会見の席で手を挙げて質問した。「いったいどのような理由で、あれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」、彼女は厳しい声でそう尋ねた。出演俳優の一人であるアーネスト•ボーグナインが困惑した顔でそれに答えた。「いいですか、レディー、人が撃たれたら血は流れるものなんです」。この映画が製作されたのはヴェトナム戦争がまとさかりの時代だった。わたしはこの台詞が好きだ。おそらくはそれが現実の根本にあるものだ。分かちがたくあるものを、分かちがたいこととして受け入れ、そして出血すること。銃撃と流血。 いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです。」 すみれ「わたしのそれなりに勤勉なつるはしの先はようやく強固な岩塊を叩く。こつん。わたしはミュウに、わたしが何を求めているかをはっきりと示そうと思う。このような宙ぶらりんの状態をいつまでも続けていくことはできない。どこかの気弱な床屋のように裏庭にしけた穴を掘って、「わたしはミュウを愛している!」とこっそり打ち明けているわけにはいかないのだ。そんなことを続けていたら、わたしは間断なく失われていくことだろう。すべての夜明けと夕暮れが、わたしをひとかけらひとかけら奪っていくことだろう。そしてそのうちわたしという存在は流れに削り尽くされ、「なんにもなし」になってしまうことだろう。」 宙ぶらりんの状態ではいられないと腹をくくるのが村上春樹作品の主人公だ。 すみれ「血は流されなくてはならない。わたしはナイフを研ぎ、犬の喉をどこかで切らなくてはならない。」 村上春樹作品の主人公はある時点で腹をくくり 逃げ場のない状況に自らを追い込んでゆく。 そこには選択肢はない。 ミュウ「強くなることじたいは悪いことじゃないわね。もちろん。でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康ではなない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、立ちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。」 作中で〈すみれ〉が読んでいた本 ジャック•ケルアック 「オン•ザ•ロード」「ロンサム•トラヴェラー」
  • あき
    @akihiro
    2026年1月28日
  • ヤマダ!
    ヤマダ!
    @ts_o_tw
    2025年11月25日
    絶交した友達から「お前に似てる奴が出てくる」と言われたのを根に持ってこの歳まで読まずにいた。台湾に行く時、なんとなくリュックに入れて、帰りの飛行機で開いた。シートベルト着用サインが消えると同時に読み始めて、離陸準備のアナウンスがかかる頃読み終えた。私に似てる登場人物なんていなかった気がする。その友達に似てる奴がいた。外国から日本へ帰る飛行機に一人で乗っているという状況で読むのがむかつくほどふさわしい小説で悔しかった。
  • miju
    @miju
    2025年11月9日
  • こちら側とあちら側。夢と現実。強固な境界があるように見えて、実はそうではないのかもしれない。現実は夢に影響を与えるし、夢も現実に影響を与える。
  • かな
    かな
    @kk71400026
    2025年6月16日
  • ゆき
    ゆき
    @yukibook
    2025年5月25日
    前から気になっていた本 村上春樹さんの文章が好き
  • 混沌
    混沌
    @kon_10n
    2025年5月18日
  • 混沌
    混沌
    @kon_10n
    2025年5月15日
  • 混沌
    混沌
    @kon_10n
    2025年4月30日
  • まほうびん
    まほうびん
    @mzt_mkn
    2025年3月22日
  • サカグチ
    サカグチ
    @hisuissugi
    2025年3月14日
  • Cota
    Cota
    @Cota-CAT4rd
    2025年3月14日
  • ホサン
    @hoshan
    1900年1月1日
    週末で一気に読んだ。同氏の小説で初めてこんなに余韻に浸っているかもしれない。立ち行かなさというかどうしようもなさというか諦めが一定の温度と湿度で描写されていくのが気に入ったのかも。置いていかれる話なのだが置いていかれる側の心情があまりリアルに描写されない(主人公自身がその感情から距離を置こうとしているゆえ)ことが印象に残った。遠いところへ行ったって悲しんだり引き留めたりする資格はない存在。あくまで自分以外は他人である、他人との境界線。うっかり自分に重ね合わせそうになるけど、いやいやこんなに高尚なものではないぞ、と自分に言い聞かせたりしていた。
  • U
    U
    @read0330
    1900年1月1日
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