ジクロロ "隠喩としての建築 (講談社学..." 2026年4月7日

ジクロロ
ジクロロ
@jirowcrew
2026年4月7日
隠喩としての建築 (講談社学術文庫 866)
彼ら(スーザン・ソンターグとジョージ・シュタイナー)はどういうわけか恐しく傲慢で、たとえば日本人などから何一つ学ぶことはないと思いこんでいる。 …… したがって、私にとってこの本(『隠喩としての病い』スーザン・ソンターグ)の面白さは、この本に書かれていることよりも、むしろ書かれていないことにある。それは私に多くの事柄を考えさせるが、すでにいったように、ソンターグは日本人などから何一つ学ぶことがないほど優れた批評家なのである。 (「『隠喩としての病い』にふれて」 p.283) 「日本人などから何一つ学ぶことがないほど優れた批評家」ソンターグにより「書かれていないこと」、そこにこそ(日本人の批評家である著者が)学ぶべき価値のある空間が広がっている、ということ。 そして、そういうところに「面白さ」を感じているということ。 ソンターグという批評家につけられた「優れた」という修辞には、密かに致死量レベルの毒が盛られている。ソンターグ崇拝の(当時の)ムーブメントこそ「病」である、ということを文章という身体で以て隠喩として訴えているのでは。 そう考えてゾッとする。 しっかりと受け止めた上でしなやかに流す、 その背中に振り下ろす「面白さ」という一太刀。 その切れ味の凄み。 タイトルの通り、著者という健康な身体(=批評)は、「『隠喩としての病い』にふれて」みせている。 そんな流行性感冒のような「病い」には全く冒されることはないという自負。そして、「日本人などから何一つ学ぶことがないほど優れた批評家」ソンターグのような「病い」からでも反面教師的に「健康(健全)」を学べることはあるのだという矜持。 「毒を以て毒を制す」、とはまさにこのこと。 それを最後のたった二つのセンテンスだけでスパッとやってのける、必殺仕事人みたく。 批評という名を借りた(精神)衛生学。
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