みほん "愛するということ" 2026年4月7日

みほん
@__8mkc
2026年4月7日
愛するということ
愛するということ
エーリッヒ・フロム,
鈴木晶
愛とは「落ちる」のではなく「みずから踏み込むもの」という指摘は尤もで、愛することに怖気ついてうだうだする自分の覚悟のなさを改めて突きつけられた。 人と向き合う勇気がないというか、好意の先を誤認してるというか。 とはいえ、愛なんて時代によって移ろう不確かなものじゃないのか、恋愛観だってここ百年でも相当移り変わってるじゃないか、とは思ってしまう。 この本が述べている結論が、時代に左右されない普遍的な「愛の形」を目指しているんだろうっていう理解はできるけれど……(「愛とは、成熟した人間による能動的な内なる表象行動である」) 閑話休題。下記二つのセンテンス、本文中では否定的なニュアンスで語られているけれど安易に切り捨てるには惜しいくらいに美しい。 この本がとっつきやすい理由のひとつに訳者の努力の影があるのを肌で感じた。 《愛し合った人々は孤独感からの避難所として、世界に対してふたりからなる同盟を結成する。これは利己主義が二倍になったもの。》 《こうした関係(結婚を役目を果たす労働者のチームのようにみなす関係)では、結局ふたりは死ぬまで他人のままであり、けっして「中心と中心の関係」にはならない。》 以下、まだ自分の中で推論の余地がある点 ◎性的満足が愛の結果だというのなら友愛の根底にも性的欲望は潜むのか(フロイトは「友愛もまた無意識化では官能的な愛である」というが、それならば友愛と恋愛はどう区別をつけるのか) ◎友愛があらゆるタイプの愛の根底にあるというのなら恋愛は友愛の果ての姿なのか ◎あらゆる他人に対して「汝の隣人を愛せ」というのなら、恋愛の相手と友愛の相手の線引きはどこで行われるのか
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved