綾鷹 "そういうふうにできている" 2026年4月8日

綾鷹
綾鷹
@ayataka
2026年4月8日
そういうふうにできている
さくらももこさんが妊娠発覚から出産までを綴ったエッセイ。 この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる……! テスターによるショーゲキの妊娠発覚、どん底でバカバカしいギャグを考えてた悪阻期、悪魔の封印石のような強情な便との壮絶な戦い、と、期待にたがわぬスッタモンダの十月十日。そして、とうとう生まれたよ。あたしゃ、おかあさんになっちゃったよ。そう、まる子も人間、人間も宇宙の生命体、そういうふうにできている、のです。 相変わらず、さくらももこさんのエッセイはいいなぁ。 さくらももこさんにかかると、よくある日常も面白くて愛おしくなる。 時々生活に疲れてしまうこともあるけど、「考えてみれば、面白い時代に私達は生きている。こんなわけのわからない速さであらゆる事が進んでゆく時代はなかなかない。どうせなら嘆くより愉快に懸命に生きた方がよい。」という言葉には勇気づけられた。 私も愛すべき日常を見落とさないようにしたい。 ・私は尿のしみ込んだテスターを握ったまま、十分余り便器から立ち上がる事ができなかった。便座と尻の間に吸盤がくっついているかと思うほど、立ち上がるのが困難であった。 この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる。便器に座り込んでこうしている間も、それは細胞分裂をしているのだ。私のショックとは無関係に、どんどん私の体内の養分を吸収しているのだ。 ようやく立ち上がり、テスターを持って夫に報告しに行った。私が「…・・・いるよ、お腹ン中に。妊娠してるよ」と言うと夫は「万歳っ」と叫んで大喜びし、私の手からオシッコをひっかけてあるテスターをとり上げ、「これが妊娠の誰か。 記念にビデオに撮っておこう」と言い出し、その汚いテスターを8ミリビデオで撮影し始めていた。 ・それにしても、わずか二センチ程の生命体が子宮の中に現れただけで、こんなにも一人の大人の体調と精神に影響を及ぼすとは驚きである。 ホルモンのバランスが変わるせいだと言われているが、ホルモンというのは体内で分泌される量は物凄く少ないはずだ。私の疑わしい記憶によれば、確か長さ二十五メートル、幅十五メートル位のプールの水の中に、ホルモンのエキスを数滴垂らしただけで、そのプールの水全部が人体に影響を与える濃度になるという話を昔きいた気がする。もしその話が本当なら、人間の体内で分泌されるホルモンというのは、一滴の何千分の一というくらい微量であると思われる。一滴の何千分の一なんて、あるだか無いだかわからないではないか。それほど少量のものが、今の私の肉体にも精神にも変調を与えているのだ。 ヒトの体というものは、実に実に精密な機械ではないかと思われる。ヒトに限らず、これまで生物だと思っていたもの全てが機械であるような気がする。 生物は、電力やガソリンの代わりに有機物を口という機関から取り込み、内臓にてエネルギーに変換させ動力としている。 加えてヒトの場合は言語というものを脳という思考システムにインプットし、これをうまく活用している。言語の組み合わせを「あなた、とっても、すてき」と組めば、それを受付した側の機械は“うれしい”という方向に思考回路が働き、一方「てめえ、大バカ野郎だぜ」という組み合わせにすれば、それを受けた側の機械は不愉快”という方向に思考回路が働くように作られている。 オナラが出るのも鼻水が出るのも、ウイルスが体内に入れば熱が出るのも、全部機械のシステムだとしよう。となると、この機械のシステムがホルモンという物質を造って体内に循環させるのも、ヒトの体という機械のシステムがそういうふうにできているからなのである。 ・ホルモンとアレルギーにだけは今のところ全く勝ち目がない。どこか体調が悪くても「これはホルモンですから」と言われれば「・・そうか」と納得するしかない。アレルギーも同様だ。ホルモンには今回の情緒不安定の他に悪阻、便秘、体重増加しやすい事など数多くの迷惑を被っている。だがホルモンには逆らえないからこの先もまだ数々の迷惑に耐えなくてはならない。 ・もし神が「今なら君が今までに排卵してきた全ての卵子と、君の夫がこれまでに造ってきた全ての精子の中から、一番優秀なもの同士の組み合わせで造った赤ン坊と取り換えてあげるが、どうする?」と尋ねたとしても、私はこの子を手放す事はできない。神が抱いているその子供も確かに私と夫の子供であろうが、あえてこの子を選ぶであろう。そのくらいにこの子を大切だと感じているのは本当だ。 しかし、盲目的な愛情は無い。子供が生まれる前までは、人は親になった瞬間から子供に対して未曾有の愛情の波に押し流されるのだと思っていたし、実際そういう話ばかりをきいてきた。だが、自分の場合はそういうものではなかった。 子供は私のお腹の中にいた。そして私のお腹から出てきた。我が子である事は間違いない。だが、"私のもの”ではない。この子は私ではなく、私とは別の一個体なのだ。これから先、この子は私とは全く別の自分の人生を歩んでゆく。私のお腹は、地球に肉体を持って生まれてくるための通路にすぎない。お腹が切られた時、この子が地上に降り立つための扉が開いただけだ。彼は私の分身ではなく、彼以外の何者でもない。 ・毎日毎日二十四時間子供と一緒に過ごし、日増しに愛情がどんどん膨れ上がっていった。子供の寝顔を見ては”可愛いっ”という想いがあふれ体内を駆け巡り、奥歯をギュッと噛みしめるというような事が一日に何度も繰り返される。 だが、子供は子供で私ではなく、別の個性と個体を持ち、違う人生を歩んでゆくのだという距離は相変わらず気持ちの中にあるし、この気持ちは大切にしたいと思っている。 子育てをしているうちに、改めて様々な事に気がついた。TVはスイッチを入れれば点くようにできている。動物は子供が生まれれば育てるようにできている。少し発達した動物は、愛情というものまで湧いてくるようにできている。あどけない笑顔を可愛いと思うようにできている。何に対しても愛情が湧かない人もいるかもしれないが、そういう人だって理由はともあれ愛情が湧かないようにできているのだ。全ての現象の現れはそれがそういう状態になるように、そういうふうにできているという事だ。 ・一九九五年四月現在、息子と共に暮らし始めてちょうど一年が過ぎた。考えてみると一日のうちの九十五パーセント以上もの時間、息子は私の体から半径五メートル以内に必ず居る。春も夏も秋も冬も、いつでも小さい顔が私のそばでのぞいている。こうなると愛情が湧かないわけにはいかない。子供の体には、いたるところに親の愛情を薄かせるための起爆剤が地雷のように仕掛けられており、日常のあらゆる瞬間の表情やしぐさ等、こちらが「可愛い”と思うように最初から作られている。親の方はもう降参するしかない。面倒臭くても疲れていても子供の面倒をみてしまうのだ。全くうまくできているものである。だから子供が大きくなり、親に憎まれ口をたたいた時に、よく親は「あんなに可愛がって育てたのに」などと言うが、それは負け犬の遠吠えにすぎない。親は自分が可愛がりたいから可愛がったのだ。 ・体験してみるという事は実に大切な事だと 改めて思う。例えば愛情に関して言えば、初めは家族に対してだけだったものが、恋愛を経験すれば家族以外の人を愛する事になり、家族への愛とは異なる質の愛を知る事ができる。そうなると、今まで分からなかった多くの事が見えてくる。自分が豊かになった証拠である。そして子供が生まれると、家族に対する愛とも夫に対する愛ともまた違った愛を知る事ができる。それにより更に沢山の事が見えてくるであろう。体験の有難さとはそういうものだと思う。 私はまだ子供を育てて一年しか経っていないから、この先子供への愛情がどのようになってゆくのか実に楽しみにしている。 子供が生まれるという体験は、子供を産まなくてはできないが、子供を産まないつもりの人や子供ができない人の場合は、子供のいない人生という体験ができる。これはこれで、子供を持った場合とはまた違う楽しみが体験できるという事なのだと思う。子供ができると確実に自分のための時間を失う。私も、やりたい事の三分の一はこれで成し遂げる事が不可能になったという諦めの気持ちがある。 いや、三分の一どころか、もっと諦めた事になるのかもしれない。子供を持たぬ人生も、持った人生もどちらも面白そうだと思うが、両方いっぺんに体験する事はできないので仕方がない。私は持つ方を選び、幸い子供に恵まれた。だからその方向でじっくり楽しんでみようと思っている。 ・この世紀末の不安定な世の中で、子供なんてとてもつくる気がしないという声もある。二十年後には人類はいないと信じる若者も多いときく。しかし、この不安定な世の中に生きて呼吸している限り、二十年後の事どころか明日の事さえどうなるかわからない。一秒後の事さえわからない。でも生きている。生きているという状態は、もともと不安定なものなのだ。いつの時代も生命は不安定なものだったと思うが、こうして人類はまだ存続している。世紀末といっても西暦ができてから定期的に来るようになったひとつの節目にすぎず、それ以前から何百万年も人類は生きていたのだ。繁殖の力はそう簡単に止まるものではない。人類が勝手に定めた節目より、種そのものの根源的な力の方が強いのである。 もし、世紀末の今、人類に未来がないとしたら、子供達がこの期に及んでまだ地球に降りてくるであろうか。神がいるとしたら、そんな最悪な世の中にこんなに愛らしいものをよこすはずがない、そう思える程、子供は勇気を与えてくれる。二十世紀の終わりに、地球に何が起こるのか起こらないのか、それを一緒に体験しようじゃないか、と思う。そして二十一世紀の幕開けも、一緒に体験したい。 考えてみれば、面白い時代に私達は生きている。こんなわけのわからない速さであらゆる事が進んでゆく時代はなかなかない。どうせなら嘆くより愉快に懸命に生きた方がよい。 ・妊娠・出産という体験は、日常生活の中でも珍事であり、肉体的にも精神的にも色々な出来事が起こり、振り返ってみるとおかしな事が多かった。だが、このような事は妊娠、出産だけでなく、そもそも日常のあらゆる出来事に言える事で、振り返ってみると笑い飛ばせる事が多い。渦中にいる時にやたら深刻になっているだけにすぎない。そう思うと、あらゆる出来事の渦中にいる時にその流れを俯瞰で見る事のできる冷静さを持つ事は非常に大切である。 それにしても妊娠中というのは嫌更冷静さを久くもので、まるでこの世の全てが自分と胎児中心に回っているように感じる時すらあった。しかし、それも他人が見れば一人の妊婦が存在しているという事実にしかすぎず、世の中は全ての人のために平等にいつも通り回っているのだ。
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