russnaction
@russnaction
2026年4月9日
村司侑『ソリティアおじさんがいた頃』読了
数年前に味噌製作会社を定年退職した、「ソリティアおじさん」こと黒野田さん、彼の訃報に接した語り手の心情を、丁寧に描く。
語り手にとって「ソリティアおじさん」は数年前に退職したおじさん以上でも以下でもなく、それ以上踏み込まない姿勢が徹底される。それでも流れで参加してしまったお通夜で出会う娘さんや、今は無職の恋人との距離感も、近づいているようでどこか遠く、その温度感が、語りそのものに侵食する心情吐露(セルフツッコミ)の多さ、視線(つまり、書かれるもの)の繊細さ(例えば、レジカウンターの中でお辞儀をすると客から頭は見えなくなるだろうことに言及するとか)も相まって、文章への引力を高めている。とにかく読み易い。
語りで言えば、語り手の発言には鉤括弧がなく、地の文で語られる。だから、発話されたのか心の声なのかわからず、そのうえ関西弁(京言葉?)特有のセルフツッコミが多い(知らんけど、など)ので、会話が成立しているか怪しい場面が多々ある。それだけで不必要に説明することなく、対話の不可能性や現代社会での"大人"みたいなものへの批評になっていることに加え、何より、「死者を思う」という通底する主題を考えると、小説そのものが、どこか追悼文めいて迫ってくる。
不在を語る在の、在るべき姿。不可能性と必要性に挟まれてそれでも馳せてしまう思いの機微を丹念に捉える様に真摯さを感じる反面、その思いを馳せる対象が「ソリティアおじさん」というテキトーさ(当然、小説的な丁寧さ)に思わずニヤリとした。文体を通した実験と捉えることもできて、面白く読んだ。