文學界 2026年 5月号

文學界 2026年 5月号
文學界 2026年 5月号
文藝春秋
2026年4月7日
8件の記録
  • ソリティアおじさんがいた頃 好きな感じ。でもやっぱり親切な殺人の方が私には理解できます。
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年5月20日
    「ソリティアおじさんがいた頃」を読んだ。 地の文がおもしろくて、「意識の流れ」というより実況動画みたいなテンション。 「次の日、黒野田さんが味噌チョコを試作して持ってきた。 パフが入ったやつと、入っていないやつ。それが「意外といいね、これ」というか「案外ええな」という各方面の評価を得て、少量生産して試しに売ってみることになった。以来、ちょっとした変更を経て、今日に至る。変わったのは、パフの代わりにおかきを砕いて少量混ぜるようになったことと、バリエーションが白味噌を練り込んだホワイトチョコレートと赤味噌のダークチョコレートの二種に固定されたことだった。ともかく、ソリティアおじさんのおかげで商品化されたし、それ以上に、ちょっとした立場を確保できた感じがした。一目置かれるじゃないけど、やるやん、というわけでもないけど、いていいと思われたような感じ。え、何? めちゃくちゃお世話になったやん、なんで忘れとったん、なんで思い出すことを忘れていられたん?呆れて涙が出そうになる。    わかった行く  またすぐに返信が来る。    ありがとう助かる  おめえを助けるためじゃねえよ、と思う。」19 「社長のとなりの喪主の女性が立つ。シンプルなひとつ結びの黒髪で、就活みたいで、とても若く見える。会釈しながら一歩二歩進み出て焼香をする。それで焼香があることに気づく。お作法が気になって、課長にばれないよう微妙に肩を動かして観察する。社長と部長で抹香をつまむ回数が異なる。社長は頭を垂れたまま、香を眉間に塗り込むほど近づけて念入りにおしいただく。部長はちょいちょいつまんで、代わりにお祈りをしっかりする。知らない大人たちにも、ほっこう個性的なひとがいる。お経を唱和したり、聞こえない声でお棺に語りかけたり。どうしよ、と思うけど、菅野課長の所作を見て、おなじようにするのが正解だと悟る。で、まねようとするけど、歩き方からして何かが違う。抹香をつまむ回数やおしいただく高さ、時間、ひとつひとつ思い出しながら、なかなか似ないまねをする。合掌をして、間近にお棺があることに気づく。中に黒野田さん、ソリティアおじさんがいることを思い出す。ソリティアおじさん、もうソリティアできませんね。どうしてもしたかったわけやないですよね。本当にしたいことなんて、実際、そんなにないですもんね。どんな人生だったんだろうと思う。どんな気持ちで会社に勤めていたんだろう、ソリティアおじさん化する前、あと、それから、退職したあと。どんな人生だったんだろう。答えのない問いが頭で渋滞して、もとの席へ歩くあいだ、また少しめまいがする。」33 「食器棚を覗いて、なるべく大きなマグカップを探す。レモン色のやつがいい。ダークチョコ色の狭いテーブルに出して、ケトルのお湯を注ぐ。夢のように湯気が立つ。紅茶の個包装をやぶいて、ティーバッグをカップにひたす。世界が変わりそうな香りが立って、お湯が色づく。すぐに黒っぽくなる。我に返って、ひとりでちょっと恥ずかしくなる。なんなんだ、ソリティア。  テーブルの角を挟んでふたつ、背もたれがほっそりして背の高い、狭い部屋にちょうどいい小さなキャラメル色の椅子を置いている。なんだか久しぶりにこの椅子に座る。ひんやりしている。だれもいないおこたが見える。窓の外のとても遠くに色のない空が見える。まだ少し早いかもしれないけど紅茶をすすってみる。熱くて飲めない。ティーバッグの空の個包装袋を眺めて、テーブルに指でdarjeelingと書く。ソリティアは綴りが思い出せない。やってみてわかったこと。そんなずっとは続けられない。ある意味ソリティアおじさんはすごい。それ以外のことは、けっきょく何もわからない。どうしてそうなったのか、何を考えていたのか、なぜやめられなかったのか。ソリティアおじさんだけじゃない。海史のことも、おなじだ。わからない。海史だって、こっちが考えていることを、本当にはわかっていないだろう。なんや、通じ合っとらんやん。最初からそうだったのか、それもわからない。  マドレーヌの包装は固い。指でつまむ位置を変えるとあっさり破れる。バターの香りが一瞬気持ち悪いような、空腹を誘うような、蠱惑的な、なんて言葉はじめて使うけど、複雑な香りがする。  別れようか別れないでおこうかなんて、考えはじめた時点で負けが決まっていたような気がする。そんなの、となりの芝じゃないけど、違うルートに惹かれるに決まっている。たぶん。でも、ひとつ言えるのは、琴美さんの言う理由じゃない。あのひとの言うとおりなんかじゃない。といって、打算、お金、将来、それはたしかにあるけど全部でもない。マドレーヌがめちゃくちゃ美味しくて、ひとりで思わず目が丸くなる。飲み頃の紅茶を飲んで、おなかがあったかくて、おっさんくさい声が出る。じゃあなんだろうと考えていたけど、すごく簡単なことだった。だって、かっこようないもん、いまのあいつ。気づいてしまえば簡単なことだった。そういうことやってんな、って、胸がすっとする。調子に乗ってもう一個マドレーヌを食べてしまう。うめえ。台所で手を洗って、タオルでふきふき椅子に戻り、メッセージを送る。    海史くん、お別れしましょう    いままでほんとにありがとう    詳細は帰宅後    プリン買ってきて」46
  • russnaction
    @russnaction
    2026年4月18日
    沓乃よう『ドロップ』 生物教師の語り手の内面を辿る。としか言えない。悪い意味ではなく本当に。 動詞がおもしろい。言葉が空気を滑って飛び散ったり、身体が塩素で長持ちしたりする。生物教師である語り手特有の言語感覚(≒身体感覚)が地の文にも発揮されている。だから何だというわけではないが、それが文章の体幹になっているというか、安定感をもたらしている。 とにかく細部が光っている。想像の少女との対話の終わらせ方が、「少女の髪を梳いていた手が何かに引っかかり、その拍子に小さな顔が天井を向く。」という文章なのが本当に良い。夢と現実の狭間での出来事なのに、主語が語り手の「手」と明記しているのが良い。静(の中の会話)→動(顔が天井を向く)→無(空行)という流れも気持ち良過ぎる。小説で言及された語り手の身体感覚にも重なる。みたいな表現が多々ある。 が、こうした細部の積み重ねと、いくつかの想像(戦争と生徒、そしてその中にある入れ子構造的想像)という構造からは、何も浮かび上がって来ない。語り手が捉える(いや、捉えてすらおらず、なんとなく想像させられる)想像力についての小説。語り手の想像力は周囲へも遠くへも及ぶし、目に触れる悲劇を自分事として考える共感力はあるが、じゃあ、教えるべき生徒らが「女子会」で議論を白熱させたとき、どうして語り手はドロップを舐めるのか。 要は、もう「想像すること」についての想像力の時代なんだろう。「想像すること」への理解と共感はあるが、その重みに耐えられなくなったとき、語り手は飴を舐めるんじゃないか。いつの時代にもあるはずの想像されるべきもの(語られるべきもの、撮られるべきもの、描かれるべきもの)を、いま、正確に捉えようとしたとき、試みることそのものの価値と、掬いきれないものへの罪悪感、それでも書く、ということ。実際に、僕は書かれたものを読んだ。それ以上でも以下でもなく。 どうやら選考でも賛否あったようで、僕はどちらかというと否。想像力(物語)は想像することそれ自体のためじゃなくて、想像されるべき何かのためにあるはずだと思うから。でもこの小説の感覚はまさに時代の声だとも思う。近くにあるのに遠くにあるのに近くにあるのに.....の連鎖とそれに伴う葛藤、みたいな。 長くなった。飴舐めたい。嘘、煙草吸いたい。
  • 高木無限
    @mugen
    2026年4月17日
  • Q
    Q
    @q40176
    2026年4月16日
  • 村司侑『ソリティアおじさんがいた頃』読了 数年前に味噌製作会社を定年退職した、「ソリティアおじさん」こと黒野田さん、彼の訃報に接した語り手の心情を、丁寧に描く。 語り手にとって「ソリティアおじさん」は数年前に退職したおじさん以上でも以下でもなく、それ以上踏み込まない姿勢が徹底される。それでも流れで参加してしまったお通夜で出会う娘さんや、今は無職の恋人との距離感も、近づいているようでどこか遠く、その温度感が、語りそのものに侵食する心情吐露(セルフツッコミ)の多さ、視線(つまり、書かれるもの)の繊細さ(例えば、レジカウンターの中でお辞儀をすると客から頭は見えなくなるだろうことに言及するとか)も相まって、文章への引力を高めている。とにかく読み易い。 語りで言えば、語り手の発言には鉤括弧がなく、地の文で語られる。だから、発話されたのか心の声なのかわからず、そのうえ関西弁(京言葉?)特有のセルフツッコミが多い(知らんけど、など)ので、会話が成立しているか怪しい場面が多々ある。それだけで不必要に説明することなく、対話の不可能性や現代社会での"大人"みたいなものへの批評になっていることに加え、何より、「死者を思う」という通底する主題を考えると、小説そのものが、どこか追悼文めいて迫ってくる。 不在を語る在の、在るべき姿。不可能性と必要性に挟まれてそれでも馳せてしまう思いの機微を丹念に捉える様に真摯さを感じる反面、その思いを馳せる対象が「ソリティアおじさん」というテキトーさ(当然、小説的な丁寧さ)に思わずニヤリとした。文体を通した実験と捉えることもできて、面白く読んだ。
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年4月8日
  • 鳥澤光
    鳥澤光
    @hikari413
    2026年4月7日
    特集「室内と文学」で漫画家の池辺葵さんにインタビュー。 いくつものエッセイの、短い文章のなかに、ギサリギサリ快くぶっ刺さる言葉があって楽しい。 小池水音「窓を覗く」がいい。《ひとがどのようにしてもその向こう側に至ることの叶わない、記憶の限界そのものを表したような、平面的で暗い陰》。《ショベルカーの鋼鉄の爪によってきっと薄紙のように引き裂かれた姉の部屋の出窓を、それでもそとから覗きこんでいるような気持ちになることが、いまの部屋の出窓を前にしていて、ときおりある》。さまざまに、まっすぐに記憶を書いて、記憶が置かれる場所を作り続けている。 町田康「頭蓋の縁側」の美しい入れ子の構造に迷い込みたい。朝吹真理子×西沢立衛の対談は話し声がきこえてくる。文學界新人賞受賞の二作も読もう。
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