文學界 2026年 5月号

文學界 2026年 5月号
文學界 2026年 5月号
文藝春秋
2026年4月7日
3件の記録
  • 村司侑『ソリティアおじさんがいた頃』読了 数年前に味噌製作会社を定年退職した、「ソリティアおじさん」こと黒野田さん、彼の訃報に接した語り手の心情を、丁寧に描く。 語り手にとって「ソリティアおじさん」は数年前に退職したおじさん以上でも以下でもなく、それ以上踏み込まない姿勢が徹底される。それでも流れで参加してしまったお通夜で出会う娘さんや、今は無職の恋人との距離感も、近づいているようでどこか遠く、その温度感が、語りそのものに侵食する心情吐露(セルフツッコミ)の多さ、視線(つまり、書かれるもの)の繊細さ(例えば、レジカウンターの中でお辞儀をすると客から頭は見えなくなるだろうことに言及するとか)も相まって、文章への引力を高めている。とにかく読み易い。 語りで言えば、語り手の発言には鉤括弧がなく、地の文で語られる。だから、発話されたのか心の声なのかわからず、そのうえ関西弁(京言葉?)特有のセルフツッコミが多い(知らんけど、など)ので、会話が成立しているか怪しい場面が多々ある。それだけで不必要に説明することなく、対話の不可能性や現代社会での"大人"みたいなものへの批評になっていることに加え、何より、「死者を思う」という通底する主題を考えると、小説そのものが、どこか追悼文めいて迫ってくる。 不在を語る在の、在るべき姿。不可能性と必要性に挟まれてそれでも馳せてしまう思いの機微を丹念に捉える様に真摯さを感じる反面、その思いを馳せる対象が「ソリティアおじさん」というテキトーさ(当然、小説的な丁寧さ)に思わずニヤリとした。文体を通した実験と捉えることもできて、面白く読んだ。
  • Ryu
    Ryu
    @dododokado
    2026年4月8日
  • 鳥澤光
    鳥澤光
    @hikari413
    2026年4月7日
    特集「室内と文学」で漫画家の池辺葵さんにインタビュー。 いくつものエッセイの、短い文章のなかに、ギサリギサリ快くぶっ刺さる言葉があって楽しい。 小池水音「窓を覗く」がいい。《ひとがどのようにしてもその向こう側に至ることの叶わない、記憶の限界そのものを表したような、平面的で暗い陰》。《ショベルカーの鋼鉄の爪によってきっと薄紙のように引き裂かれた姉の部屋の出窓を、それでもそとから覗きこんでいるような気持ちになることが、いまの部屋の出窓を前にしていて、ときおりある》。さまざまに、まっすぐに記憶を書いて、記憶が置かれる場所を作り続けている。 町田康「頭蓋の縁側」の美しい入れ子の構造に迷い込みたい。朝吹真理子×西沢立衛の対談は話し声がきこえてくる。文學界新人賞受賞の二作も読もう。
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