
しをに
@remnkkswn60306
2026年4月1日
プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
アンディ・ウィアー,
小野田和子
読み終わった
だいぶ前に買ったハードカバー本を、ハードカバーゆえに持ち歩くことを躊躇してずーーっと積んでいた結果、映画の公開とこぼれ落ちてくる情報の気配に追い立てられて、結局は通退勤時ににえっちらおっちら開いては読み切ることになった先日。
それなら最初から持ち歩いてりゃ良かったんだけど、追い詰められないとそれができないのが人の人たる所以なんですよねー。
と、言う訳で。
いやーーーー間に合って良かった!先月別の映画を見に行った時に、冒頭の音だけで「あっこれはアレじゃない!?」と予感がして、目を瞑って耳を指先でぐりぐり塞いで凌ぎ切った甲斐があった。と、分かるのは読了後にすぐトレーラーを確認してやっぱりアレだったと確信したから。あぶなかったーーー。
先に最後の感想を述べると、そっちに行ったかぁ!思い切ったなぁ!というのが一番大きかったです。
ストラットの糾弾に何ひとつ納得がいかなかったので、その点でも腑に落ちた。というか、今思えばラストから逆算してこそのアレだったのかもしれない。なんにせよ、あの状況で無理矢理に弱さを引き摺り出された人間に対する追い討ちを、読者である私自身が許せなかった以上、当のグレースが有耶無耶にそれを受け入れるような結末になったら私の方がギーーーーってなっただろうし、だからと言ってザマァな展開が見たかった訳でもなく、その間の落とし所としては完璧だったと思う。
こういう局面で、少数と自分を殺してでも全体を救うと決め切ってる立場の人間は存在し得るし、その上でも、んなこと言われる筋合いねぇーーー!となる心情も並立する。
あの時あの瞬間のグレースにとって、あの世界は命を賭けるだけの踏ん切りがつくものではなかったし、この時この瞬間のグレースにとってはロッキーの存在とその大切な故郷とがそうだったと、ほんとにそれだけのこと。子どもたちとロッキーとを比較するような話でもないし、いずれも、瞬間ごとの結果でしかない。
さらに言えば、地球に背を向けたことすら、言いようによっては逃げだったかもしれないし、この先待ち受ける孤独な苦痛よりも誰かのための綺麗な終わりに惹かれたと言ってみせることもできる。なんとでも言える。彼が同乗を拒否した時と同じように。
今これを書いてて気づいたけど、私は、ストラットが、彼にとっての子どもたちの価値を、意味を、勝手に測って意味付けて突きつけたことに憤っているのだと思う。それがグレースにとってどの程度の真実だったとしても。
どうあれ彼は本来想定された最高の形でミッションをやり切った。結果に過ぎないとして、さらなる最善が存在していたとして、最高で最低限の脅迫に近い義務を果たした上で何を大事にするかなんて、これ以上ないくらい個人の自由だ。
とはいえ、やっぱり、結末としては思い切ったなぁとは思うのでした。いや単に、辿り着いたとこからが滅茶苦茶しんどいだろうなーと思って。体と不自由が。だけどそれも、じゃあ自由ってなんだって話でもある。
もっと言えば、ストラットとの最後が本当に記憶にある限りだったのかも分からない訳だけど、これ以上、グレースが自分を信じられなくなるような要素はこのまま増えないで欲しいと正直思う。記憶を故意にいじってはいけないよ、と当たり前のことを思う。それは人格そのものでもあり、自分が自分であることを信じる足場になるものだ。私が個人的に記憶欠損ものを癖として好んでいるのは別の問題。です。ですよ。
そして何より、清算も和解も、何も必要ではなくて、互いにもう会わない、先も知らない、で済む関係もあると思う。
ここまでは結末についての話。
もっと細々とした話はブログに書きます。長過ぎた。



