
ジクロロ
@jirowcrew
2026年4月11日
自由より自在に生きるー愉快さと葛藤の哲学ー
内田樹,
近内悠太
読んでる
今、世界は右翼的なカオスの中にあります。でも、このトレンドもどこかで終わります。経験的に言えば、世界中の国の足並みが揃ったところでトレンドは終わる。そういうものです。どんな運動もある時点で節度を失って、暴走して、「しなくてもいいこと」をして、人々に飽きられて、疎まれて、終わるんです。
……
人間は変化を求める生き物ですから、全体の足並みが揃ってしまうと、それを不快に感じる。それは当然なんです。そして、針が反対側に振れる。
(p.34)
日頃、電車通勤をしている。
車内、スマホを見ている人が圧倒的に多い。
スマホが乗り、スマホが降りる。
それが悪いとは思わないが、正直なところ、
その光景が気持ち悪く、不愉快だとは思う。
自分も本当はスマホを見たいと思う。
あえて本を読む。
これは、優越感からではなく、強迫観念に近い。
読みたいから読んでいる、だけではない。
決して、読みたいから読んでいるわけではない。
読んでいないのに開いているだけである時も多い。
空気を読みたくないから、読んでいる。 何を?
何も、読んでいない。読めていない。
「不毛」という、あるはずもない毛を、
社会というハゲ頭に数えているだけかもしれない。
車内の空気の悪さ、そして重たさ。
それは 人口密度と二酸化炭素量だけではない。
エントロピーの増大もまた、その一つ。
息子にスマホを買い与える。
当然ながら息子はスマホばかり見る。
それが悪いとは思わないが、
その「自然法則」を 不愉快だとは思う。
「あんま見過ぎると『スマホ人間』になるよ」
「……、『スマホ人間』てなに?」
「……、わからない。自分で考えて」
自分で言っておいて、答えがない。
「自分だけの名前」を失うよ、
本当は そう伝えたかったのかもしれない
と、後から思う。
それは息子には伝えない。
自分が息子に伝えたいことは 、
息子の眺めるスマホの中にはない。
「右翼的なカオスの中」を、存分に楽しめ。
息子に託す、
「自分だけの名前」という謎と、エール。
昨日、雨と新生活で混雑する地下鉄の車内。
幸運にも席が空いている。席に着く。
いつものように本を開こうとすると、
両隣の人が本を読んでいることに気づく。
「よい変化」だと、思う自分が挟まっている。
そしてこの日、本は読まない。
本はある。
読む人は、たまにいる。
「読む人」は、つねにある。
「たまにいる」は、つねにある。
「そして、針が反対側に振れる」
地下鉄を打つ雨の音を、本に挟まれひとり聴く。
雨と新生活で混雑する車内。
列車は進む。
人はそれぞれの「画面」を見る。
人は触れるだけで、動けない。
針は振れるだけで、進まない。
何も見えていない。地下を進む。
この「トレンド」は、終わらない。
「どんな運動もある時点で節度を失って、
暴走して、『しなくてもいいこと』をして、
人々に飽きられて、疎まれて、終わるんです。」
反復して、終わらない。

