DN/HP "地球へのSF" 2026年4月11日

DN/HP
DN/HP
@DN_HP
2026年4月11日
地球へのSF
地球へのSF
日本SF作家クラブ
日本語で書かれたSF小説のアンソロジー『地球へのSF』に収録された粕谷知世さんの「独り歩く」を読んだ翌日に、その小説のことを考えたりもう一度読んだりしながら、わたしも、街を、川辺を、独り歩いた。 「日差しは暖かい。いや、暑いくらいだ。四月も半ばだからな。」という作中の季節もちょうど今くらい。今日の日差しは完全に暑い、だったけど。 わたしたちも体験した「あの期間」、コロナ禍で自宅待機中の会社員は、不安や圧迫感から逃れるように街から川辺へと、ただ、独り歩いていく。そこで幾つもの過去——初めて歩いたときから、身体は経験していないはずの種の記憶までフラッシュバックしたりもする——を思い出す。たしかに、歩くということは同時に思い出すということなんだよな、というのはよく思うことで、身体は前に進みながらも、心は逆に過去に遡っていく、そんな感覚も覚えていたりする。 今日も歩きながら、小説に触発されながら、色々なことを思い出していた。 コロナ禍初期の不安や寄る辺なさのなか、SILENT POETSの『ANOTHER TRIP from SUN』を聴きながら歩いた川辺の束の間の開放感。 その数ヶ月後に渋谷の駅前のデモで出会った友人たちの顔と、その日に繰り返し聴いていたYUKSTA-ILLの『BANNED FROM FLAG EP』。その日を日記に書いたこととそれが載っているZINEのこと。 作中でも言及される国木田独歩(独り歩く、である)の「武蔵野」に纏わるエピソードから始まる、これも歩くことを書いた安岡章太郎の「朝の散歩」という短編。その舞台となった川辺を小説を辿るように歩いた日の興奮。 それに、唐突に一気に時は遡って、今はもう会えない父親と土手の道を自転車で走ったこと。あのとき乗っていた自転車はとても気に入っていた。などなど。 小説の会社員は最後には地球の壮大な歴史と、星と人との関係にまで思い至る(SF)けれど、わたしはといえば、こんな記憶を書き出したところでなにかしらの結論に辿り着いたり答えが出ることもなく、ましてやSF的な展開になるわけもなく。 それでも過去を思い、その上で今を思ってみれば、なんだか今も肯定していいような気がしてきたりもして。 というのは小説と同じように「頬に感じる風、首筋に感じる陽光の暖かさに」絶妙な心地良さを「今」感じていたからかもしれない。 そんな心地良さのなか独り歩いた日は、やっぱり全部OKだった、と肯定してみたい。3冊¥200で良い本も買えたしね。そんなこともいつかまた、歩きながら今日聴いていたHollie Cookの『Shy Girl』と一緒に、その日を肯定するように思い出してみたい。 #本と日記のある過去
地球へのSF
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved