地球へのSF

地球へのSF
地球へのSF
日本SF作家クラブ
早川書房
2024年5月22日
15件の記録
  • ぱんに
    ぱんに
    @pn2co
    2026年5月30日
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年4月17日
    「個人の頭のなかだけにある記憶は、夢や幻覚と区別がつきません。ですからこれは、記録ではなく物語なのだと思います。けれど私のすべてを込めた、私の物語です。」 ——笹原千波「夏睡」
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年4月17日
    先日読んだ粕谷知世「独り歩く」という一編がとても素晴らしかったから、そこで一旦満足して枕元に積んでいたSF短編アンソロジー『地球へのSF』を眠れない夜にまた開いてみる。 「独り歩く」の次に収録されていた関元聡「ワタリガラスの墓標」がまた素晴らしいというか今の状況にも寄り添ってくれる、と思ってしまうような一編で、これもまた繰り返し読んでいるから、またその先には進めなくなってしまっているのだった。アンソロジーはいつもそんな風に読んでしまう。しまうというか、そんな風に読むのがあっている気がしている。この二編は今繰り返し読みたい短編小説だとも思っているし。 SFが未来を描くとき、それがどんなものにせよ、そこに、この先に未来が「ある」と想像している時点で、それはポジティブなものだと思っている。あるいは、そこには希望が書かれている、と思い込んで読んでいる。 温暖化の影響で海面が上昇し可住地を含む多くの土地が水没している少し先(百年くらい?)の未来、南極でも氷が溶け出しその下の乾いた大地、本来の地表が姿を表している。 その未来の南極の国連基地で活動する、エンジニアと生物学者。危機的状況の世界の中で、一方は新たに出現した土地とそこに眠る地下資源に、それらを巡る新たな人間同士の争いの芽を諦観しながら見つめている。もう一方は、その土地を生命の「フロンティア」と言い、感情論ではなくアカデミックの知見から新しい生態系の全く新しい世界を想像し、文字通りの意味でも種を蒔く。 「もうすぐ......ここは戦場になる。この浜から、たくさんの兵士が上陸して……私が蒔いた種子を軍靴につけて、大陸中に拡げるの。そして……」 利己と利他、想定出来る近い将来と想像を必要とする遠い未来。現実と理想。どちらも人が持ち得るものだけれど、前者を想定した上で後者を想像する。苦境のなかから改善を見出す、現在の最悪から未来の理想を見通す。そこに、その姿勢に、その想像力のなかに希望というものはあるのではないか。 SF小説は想像力を使ってその希望を、わたしたちが辿り着けないかもしれない未来の誰か、あるいはヒトではないなにものか、アンソロジーのタイトルを考えれば地球のためにも見出し、アラスカ・インディアンやアイヌ、エンジニアと生物学者のルーツがかつて物語っていた「神話」のように、わたしたちの前で新たに語り直すのだ。 わたしがここにある、と思っているような想像力と希望を持ち得るのかといえば、心許ないし自信もないのだけれど、一旦こんな風に言い切ってしまってから、またこの短編の頁を開いてみようと思う。そこにある希望を、想像力を、物語の外に、現在の現実のこの世界にも持ち出せるように丁寧に大切にもう一度読んでみる。やはり、わたしは今、未来を描いたSF小説をそんな風に読みたいのだった。
    地球へのSF
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年4月15日
    「地球へのSF」というテーマで今SF小説が書かれるとき、それが未来を描いたものだとしたら、すべてが解決したような輝かしい世界の姿を描くことは難しいと思うのだけど、それでも、SF小説が未来を描くとき、その未来がどんな状況にせよ、現在から繋がる未来が「ある」という時点でそれはある程度ポジティヴなものなんだと思う、というかそんな部分を読み取りたい、ととある一編を読んで思っている。
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年4月11日
    日本語で書かれたSF小説のアンソロジー『地球へのSF』に収録された粕谷知世さんの「独り歩く」を読んだ翌日に、その小説のことを考えたりもう一度読んだりしながら、わたしも、街を、川辺を、独り歩いた。 「日差しは暖かい。いや、暑いくらいだ。四月も半ばだからな。」という作中の季節もちょうど今くらい。今日の日差しは完全に暑い、だったけど。 わたしたちも体験した「あの期間」、コロナ禍で自宅待機中の会社員は、不安や圧迫感から逃れるように街から川辺へと、ただ、独り歩いていく。そこで幾つもの過去——初めて歩いたときから、身体は経験していないはずの種の記憶までフラッシュバックしたりもする——を思い出す。たしかに、歩くということは同時に思い出すということなんだよな、というのはよく思うことで、身体は前に進みながらも、心は逆に過去に遡っていく、そんな感覚も覚えていたりする。 今日も歩きながら、小説に触発されながら、色々なことを思い出していた。 コロナ禍初期の不安や寄る辺なさのなか、SILENT POETSの『ANOTHER TRIP from SUN』を聴きながら歩いた川辺の束の間の開放感。 その数ヶ月後に渋谷の駅前のデモで出会った友人たちの顔と、その日に繰り返し聴いていたYUKSTA-ILLの『BANNED FROM FLAG EP』。その日を日記に書いたこととそれが載っているZINEのこと。 作中でも言及される国木田独歩(独り歩く、である)の「武蔵野」に纏わるエピソードから始まる、これも歩くことを書いた安岡章太郎の「朝の散歩」という短編。その舞台となった川辺を小説を辿るように歩いた日の興奮。 それに、唐突に一気に時は遡って、今はもう会えない父親と土手の道を自転車で走ったこと。あのとき乗っていた自転車はとても気に入っていた。などなど。 小説の会社員は最後には地球の壮大な歴史と、星と人との関係にまで思い至る(SF)けれど、わたしはといえば、こんな記憶を書き出したところでなにかしらの結論に辿り着いたり答えが出ることもなく、ましてやSF的な展開になるわけもなく。 それでも過去を思い、その上で今を思ってみれば、なんだか今も肯定していいような気がしてきたりもして。 というのは小説と同じように「頬に感じる風、首筋に感じる陽光の暖かさに」絶妙な心地良さを「今」感じていたからかもしれない。 そんな心地良さのなか独り歩いた日は、やっぱり全部OKだった、と肯定してみたい。3冊¥200で良い本も買えたしね。そんなこともいつかまた、歩きながら今日聴いていたHollie Cookの『Shy Girl』と一緒に、その日を肯定するように思い出してみたい。 #本と日記のある過去
    地球へのSF
  • ieica
    ieica
    @ieica
    2026年4月9日
  • DN/HP
    DN/HP
    @DN_HP
    2026年4月8日
  • 花粉症で外に出れねえので一気に読んだ どの短編も良かった 最後の円城塔のやつが好き
  • Kindleで風呂入るときにちまちま読んでます
  • ふみ
    @fumi0072
    2026年3月19日
  • もふ
    もふ
    @yaam58nya
    2026年1月21日
    特別刺さったやつはなかったかもな〜
  • 黒茶幻
    黒茶幻
    @kurochagen
    2025年6月18日
  • ゆる
    ゆる
    @yurumogu
    2025年6月8日
    春暮康一『竜は災いに棲みつく』を読みたすぎて図書館で借りる。生態系SF最高————ッ!!!!!!
  • ゆゆこ
    ゆゆこ
    @yuyuko
    2024年5月24日
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