活字畑でつかまえて "カンガルー日和 (講談社文庫..." 2026年4月17日

カンガルー日和 (講談社文庫)
再読。 いい短編集だ。 村上春樹の貧乏なころが反映されていたり 『とんがり焼の盛衰』のように当時の文壇を皮肉った話もあり、自伝的な要素の濃い短編集だと思う。 『カンガルー日和』 母親カンガルーではないもう一匹の雌が謎だ。 恋人の機嫌を損ねないよう振る舞う男の気持ちがよく分かる。 『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』 世界でいちばん素敵なタイトルをもつ作品だ。 タイトルで勝っている。 それでよし。 谷川俊太郎の詩集「夜中に台所で僕は君に話しかけたかった」も素敵なタイトルだ。 なんとなく長いタイトルで思い出した。 それだけ。 『眠い』 この短編、なんかいいな。 村上春樹作品の〈僕〉は、いい加減で投げやりでひねくれ者だと面白い。 結婚式という盛大な茶番における眠るという潜在的反抗。 『タクシーに乗った吸血鬼』 読み終えてこのタイトルが気になった。 「タクシー運転手の吸血鬼」ではなく 「タクシーに乗った吸血鬼」。 ということはこれ、乗客の〈僕〉が吸血鬼ということではないだろうか。 「悪いことというのは往々にして重なるものである。これはもちろん一般論だ。しかしもし実際に幾つか悪いことが重なってしまえば、これはもう一般論なんかじゃない。待ち合わせていた女の子とはすれ違う、上着のボタンはとれてしまう、電車の中で会いたくもない知り合いに会ってしまう、虫歯が痛み始める、雨が降り始める、タクシーに乗れば交通事故で道路は渋滞という有様だ。そんな時にもし、悪いことは重なるもんだよ、なんて言う奴がいたら、僕はきっと殴り倒してしまうに違いない。あなただってきっとそうだろう。一般論なんて結局はそういうものだ。」 名文である。 「幽霊というのはつまり肉体的存在に対するアンチ•テーゼだな」と僕は口から出まかせを言った。そういうのはとても得意なのだ。 「ふうん」 「しかし吸血鬼というのは、肉体を軸にした価値転換だ」 「つまりアンチ•テーゼは認めるが、価値転換は認めない、と」 「ややこしいまのを認めると、もうキリがないからさ」 「お客さん、インテリですね」 さすが村上春樹。 「どうしてタクシーの運転手やってるの?」 「吸血鬼という概念に捉われたくないからです。マントをかぶったり、馬車に乗ったり、城に住んだりって、そんなな良くないですよ。私はちゃんと税金だって納めるし、印鑑登録だってします。ディスコにだって行くし、パチンコもします。」 いいなぁ。 『彼女の町と、彼女の緬羊』 たしかにローカルのテレビ局が紹介する我が町って 不思議な感興を呼び起こす。 チェックアウトを済ませるまでのほんの一瞬の興味。 『あしか祭り』 自分もまたあしかのように自分ルネサンス、引いては世界ルネサンスを目指す所存であります。 典型的なあしかレトリックはそのまま村上春樹レトリックである。 『鏡』 これはいい短編だな。そしてこわい。 鏡の中の自分ではない自分が心底自分を憎んでいる。そして鏡の中の自分が、こちら側の自分を支配しようとする。本当に上手い。 「とにかくそうなんだ。幽霊は見ないし、超能力はない。なんというか、実に散文的な人生、というわけさ。」 カッコいい。 『1963/1982年のイパネマ娘』 村上春樹はほんと「イパネマの娘」が好きだよな。 言わずと知れた名盤『ゲッツ•ジルベルト』の一曲目。村上RADIOでも何回かかけている。 僕も影響されてCDを持っている愛聴盤だ。 『バート•バカラックはお好き?』 なになに風ハンバーグ•ステーキがあふれた世界で、ごくあたりまえのハンバーグ•ステーキが食べられない話。実に村上春樹的主題だ。 ごくあたりまえ風ハンバーグ•ステーキまであるが、ごくあたりまえのハンバーグ•ステーキとは似て非なるものである。 それにしても村上春樹風があふれた世界になったのだから皮肉というか、僕はごくあたりまえにごくあたりまえの村上春樹作品が好きなんだ。 だから他の村上春樹風は消えちまえ。 なぜなら醜いから。 「世の中というのは奇妙な場所です。僕が求めているのはごくあたりまえのハンバーグ•ステーキなのに、それがある時にはパイナップル抜きのハワイ風ハンバーグ•ステーキという形でしかもたらされないのです。」 「どうか鋭くあろうと思わないで下さい。文章というのは結局は間にあわせのものなんです。」 『5月の海岸線』 詩だ。 良質な詩だ。 『駄目になった王国』 タイトルがまず素晴らしいな。 引きがある。 この短編はまさに 森田童子の名曲『ぼくたちの失敗』の歌詞 「だめになった僕を見て 君もびっくりしただろう」を思い出さずにはいられない。 女性にコーラをぶっかけられるくらい駄目になった旧友と〈僕〉。 〈僕〉にもコーラの三分の一がかかっているのがミソだ。 つまり〈僕〉も駄目になってしまったということ。 今は三分の一でもやがて三分のニになり 遅かれ早かれぜんぶが駄目になってしまうのだろう。 そう、ぐしょ濡れになった安物の面白くない文庫本のように。 やれやれ。 『32歳のデイドリッパー』 僕は窓際に、彼女は通路側に座っていた。 「席をかわってあげようか」と僕は言う。 「ありがとう」と彼女は言う。「親切なのね」 親切なわけじゃないんだ、僕は苦笑する。君よりはずっと退屈さに慣れているというだけのことなんだよ。 このけだるさがいい。 『とんがり焼の盛衰』 この作品は後に村上春樹自身が当時の「文壇」を皮肉ったものだと明かしている。 ラストの「僕は自分の食べたいものだけを作って、自分で食べる。鴉なんかおたがいにつつきあって死んでしまえばいいんだ。」が強烈である。 Spotifyでは村上春樹によるこの作品の貴重な朗読が聴ける。 『チーズ•ケーキのような形をした僕の貧乏』 「貧乏」という点で『とんがり焼の盛衰』のあとにこの作品があるのに納得がいく。 近い内に、村上春樹夫妻が住んでいた三角地帯にぜひ行きたいと思っている(村上主義者によるYouTubeで紹介されていたから)。 それにしてもいいタイトルだなぁ。 『スパゲティーの年に』 この作品も「貧乏」がテーマだろうか。 安価なスパゲティーを茹で続ける毎日。 しかし村上春樹はそこに紅茶とサラダを添える一工夫がある。 ただでは終わらせてなるものかという気概がある。 しかし人間関係のゴタゴタはうんざりだという諦念がある。 村上春樹作品の影響でパスタを作ったこともあったな。 『かいつぶり』 これも『貧乏』がテーマ。 貧困から抜け出せないループ。 「合言葉」は今だと「パスワード」だな。 やれやれ。パスワードなんてクソ喰らえだ。 そしていつだって時間切れ。 ややこしい規則•システムとやらにファック。 『サウスベイ•ストラット』 村上春樹の神であるチャンドラー的私立探偵もの。 「警官の笑い方はいつも同じだ。年金をもらえる見込みのある人間だけがそういう笑い方をする。」 キレキレである。 『図書館奇譚』 羊音がまた出てきてうれしいしいい短編だな。 地下や闇といった要素がその後の「世界の終わり」につながるような冒険譚だ。 それにしても美少女に救われる話というのが なんとも村上春樹すぎるが。 地下にいる美少女は母の昔の姿なのか。 母が失った少女性か。 「チャンスをつかむためにはまず柔順になったふりをしなくてはならないーとはいってもそれはむずかしいことではなかった。僕はもともとおそろしく柔順な性格なのだ。」 さて、ここで村上春樹が「じゅうじゅん」にどの漢字を当てがったか見てほしい。 村上春樹の「じゅうじゅん」は「従順」ではなく「柔順」なのである。 「従う」順さではなく「柔らかい」順さなのだ。 つまりあそびがある柔順。 村上春樹は「したたか」なのである。 「従順」ではなく「柔順」。 「彼女は小さな唇に指を一本あて、僕に黙るように命令した。僕は黙った。僕は命令に従うのがとても上手いのだ。特殊能力といってもいいくらいだ。」
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