
shiori
@shiori_417
2026年4月16日

聖なるズー (集英社文庫)
濱野ちひろ
読み終わった
同じ著者の『無機的な恋人たち』で描かれたドールたちとの性愛と異なり、命あるものが対象である分、生々しい話も多く、ちょっと読むのが辛い人もいるかも。でも決して怖いもの見たさとかそういうスタンスではなく、著者の視点や考えを進める真摯さは変わらない。そして「ズー」という生き方が本来的には何を指すのかを、当事者たちと人間関係を築き、丹念に聞き取りながら解き明かそうとする。
「共通の言語もない、異なる身体と心を持つ存在たちと、いかにして対等な関係を結ぶのか」という問いがズーにはつきまとうが、ズーたちは動物たちにパーソナリティを認め、言語外のコミュニケーションに細心の注意を払い、あくまで個対個の関係を築いているようにみえる。
翻って人間同士の関係であっても、相手の言葉や態度を自分に都合よく解釈することはままあるし、濱野さんも“空気に飲まれてきちんと自分の意思表示ができなかった”という体験を書き残しているが、そういう場面は私にも経験があるなと思う。
『無機的な恋人たち』の時にも思ったけど、人は多かれ少なかれ相手に自分の考えや理想を投影していて、自分のいいように解釈したり、相手の言外のサインや自分の本心に気づかないフリをすることがあるけれど、そのことにすら気づいてない場面もたくさんあるよな、ということを改めて考えさせられた。
また、ズーことズーフィリア(動物性愛)を「セクシュアリティ」と捉えるか「精神疾患」と捉えるかの議論があることも知った。
私はそのどちらなのか判断する立場にはもちろんないけれど、多くのマイノリティが偏見と差別に晒され、歴史の中で病気扱いされた時期もあったことを考えると、自分には共感できないというだけで「自分には関係ない」「異常だ」と切り捨てることは危険だと感じる。
なかなか難しいことだけど、自分のフィルターを外して、なるべくフラットな視点で彼らが感じていることを知ろうとする姿勢(これは濱野さんがズーたちを取材する時のスタンスでもある)が大切だなと思う。
ただ、そのように客観性を保とうとしていた濱野さんが、彼らといつのまにか本当の友人になっていたというのも、また良い話だなと思った。

