聖なるズー (集英社文庫)

20件の記録
shiori@shiori_4172026年4月16日読み終わった同じ著者の『無機的な恋人たち』で描かれたドールたちとの性愛と異なり、命あるものが対象である分、生々しい話も多く、ちょっと読むのが辛い人もいるかも。でも決して怖いもの見たさとかそういうスタンスではなく、著者の視点や考えを進める真摯さは変わらない。そして「ズー」という生き方が本来的には何を指すのかを、当事者たちと人間関係を築き、丹念に聞き取りながら解き明かそうとする。 「共通の言語もない、異なる身体と心を持つ存在たちと、いかにして対等な関係を結ぶのか」という問いがズーにはつきまとうが、ズーたちは動物たちにパーソナリティを認め、言語外のコミュニケーションに細心の注意を払い、あくまで個対個の関係を築いているようにみえる。 翻って人間同士の関係であっても、相手の言葉や態度を自分に都合よく解釈することはままあるし、濱野さんも“空気に飲まれてきちんと自分の意思表示ができなかった”という体験を書き残しているが、そういう場面は私にも経験があるなと思う。 『無機的な恋人たち』の時にも思ったけど、人は多かれ少なかれ相手に自分の考えや理想を投影していて、自分のいいように解釈したり、相手の言外のサインや自分の本心に気づかないフリをすることがあるけれど、そのことにすら気づいてない場面もたくさんあるよな、ということを改めて考えさせられた。 また、ズーことズーフィリア(動物性愛)を「セクシュアリティ」と捉えるか「精神疾患」と捉えるかの議論があることも知った。 私はそのどちらなのか判断する立場にはもちろんないけれど、多くのマイノリティが偏見と差別に晒され、歴史の中で病気扱いされた時期もあったことを考えると、自分には共感できないというだけで「自分には関係ない」「異常だ」と切り捨てることは危険だと感じる。 なかなか難しいことだけど、自分のフィルターを外して、なるべくフラットな視点で彼らが感じていることを知ろうとする姿勢(これは濱野さんがズーたちを取材する時のスタンスでもある)が大切だなと思う。 ただ、そのように客観性を保とうとしていた濱野さんが、彼らといつのまにか本当の友人になっていたというのも、また良い話だなと思った。

- yohaku@ddd0002026年1月14日読み終わった過去にDVを受けた作者が〝ズー〟と呼ばれる動物性愛者と共に暮らしインタビューをする中で自身のトラウマとも向き合っていくノンフィクション。 正直に言うとこの本を読む前は「動物性愛者なんて理解ができない。何かしらの病気だろう」と思っていた。しかし本書を読み終える頃には自身の価値観の変容を認めざるを得ない。 それは何も動物性愛、さらに動物と性交渉をするのも理解できるようになった、ということではない。現在でも懐疑的だし全肯定はできない。しかし頭ごなしに彼らを否定することもできない。議論をすべきだというその土台に立てたような感覚。


森々@mori_hkz2025年12月15日読み終わった興味深いノンフィクションだった。 動物性愛者(ズー)とともに寝食を共にし、彼らにとって動物とは、平等とは、愛とは、性行為とはを考察していく本書は自分の世界を広げるにはうってつけだった。といってもかなりニッチな範囲だとは思うが……。 300ページあるなしでかなりの情報量だった。精神科医の精神異常だとする立場や、直接彼らに会い話を聞き「個人」として考える筆者との立場、両方とも理解できる。しかし、心の部分では、知的で保守的な彼らを応援したいと思う。 特に記憶に残る部分↓ 「セック⚪︎の話題はセンセーショナルだから、みんなズーの話を性行為だけに限って取り上げたがる。だが、ズーの問題の本質は、動物や世界との関係性についでの話だ。これはとても難しい問題だよ。世界や動物をどう見るか、という議論だからね。ズーへの批判は、異種への共感という大切な感覚を批判しているんだよ。誰を愛するか、何を愛するか。そんなことについて、他人に干渉されるべきじゃない」 「いい関係においては、愛とセック⚪︎は一致するんだと思う」 「身体のオーガズムと、頭のオーガズムがあると思う。セック⚪︎が前者で、愛が後者じゃないかな」
ゆみすこ@yumisukojp2025年11月15日読み終わったまた読みたい動物性愛のことだけでなく、広く「セクシュアリティ」について議論したくなるすばらしいノンフィクション作品だった。 動物と人間が対等だから成り立つセックス。 動物だからこそ対等が成り立つ。 人間はあまりに複雑で、セックスをするにしてもそこに必ず意味が隠されている。純粋な欲望と愛だけでセックスは成り立たない。支配する・される、の契約の一環であることの方が多い。














