
ジクロロ
@jirowcrew
2026年4月22日

霧中の読書
荒川洋治
椅子といえば、たったひとりで、すわることもある。むしろその方が、いちばん多いのかもしれない。話をする人も、聞く人もいない。見つめるものもない。遠い世界にいるような、いつものことでもあるような。自分の顔の輪郭が、ぼんやりと目のなかに映る。特別ではないものの、よく見れば、不思議な感じ。
それはただ、椅子にすわっているという、純粋なひとときなのだ。立ちあがってみるほどのこ
ともない。さみしいほどに安らかで、穏やかである。
(『椅子と世界』)
一人暮らしのとき、ぽっかり空いてしまった時間に、自宅でなんとなく風呂をためて入っているときに、こんな時間が訪れていたなと思う。
湯なり椅子なり、そして名もない時間とともに身体をたゆたわせているとき。
「立ちあがってみるほどのこともない」
この一文に尽きるなと思う。
すべてを預けきる、その時空に。
他の話も、ずっとそんな宙ぶらりんを味わっている感じがする、そんなエッセイ集。

