めもり "虚弱に生きる" 2026年4月22日

虚弱に生きる
虚弱に生きる
絶対に終電を逃さない女
私も子どもの頃はよく全校集会で貧血起こしていたし、未だにアドレナリンが切れるまで頑張りすぎて体調崩す時もあるし、あともう少し体力があったら1日の行動アクションをもう2、3個増やせるのにって思うその歯痒い気持ち、分かる!分かるよ〜! と思いながら読み始めたら、想像の遥か斜め上をいく「体力の無さ」を見せられ、世の中には色々な人が居るんだなと思うなどしました。 もっとこう、結局は体力の有無が人生経験の幅を広げてくれるよね!って結論に帰着する、体力が無さすぎるがゆえの面白失敗エピソードを綴ったエッセイ本なのかと思い読み始めたのに(ただし大筋は合ってる)、まさか4ページ目で「希死念慮」という言葉に遭遇するとは思わず、それ以降しばらく心をザワザワさせながら読み進めることになった。 第一章を読んで、「虚弱だからアレもコレもソレも人並みには出来ないんです」「こんな私は健常者ではないんです」という説明が続いた時に、いやでもあなたは早稲田に入れるだけの頭の良さもあって、そこに至るまでに真面目に勉強に取り組んだ精神力と忍耐力もあって、要するに努力が出来る人間で、こんなに読みやすく誠実な文章を綴れて、今でこそ友人もいるんだから、そんなに自分を卑下しないでほしいと叫びだしたかった。 そもそも体力ってどうやって身につける?身体の不調はどこからきてる?食が細くて基礎代謝が低い?運動以前に日常生活で動いてない?不眠、過眠って点ではストレスによる脳疲労? 自分事じゃないけど、真剣に考えた。 それくらいに感情を持っていかれた。 筆者の虚弱というのは、結局は思春期にうまく集団に馴染めなかったトラウマがずっとしこりになって残り続け、身を守るために行動に制限をかけ、常にぐるぐる考えては脳疲労を起こしている状態からくる身心の不調が大半の原因であって間違いないとは思う。 走り方が変だと揶揄われたり、おふざけの延長線でされる異性からの暴力、心因性ストレスからくる人前での発声困難。 幼心に辛かったと思う。 本来頼りたいはずの親族からも嘲笑され、否定され、どんどんその気になって『障害』の言葉を散らつかせると途端に「あなたは普通だから大丈夫」と言われ、慌てて「普通」の枠組みに押し込められるもどかしさ。 自暴自棄になりたいのも分かる。 ただ、親や主治医に話半分にされてしまう不満が書かれていたが、他人から「そうだね」なんて肯定されてしまったらいよいよ不幸の沼に浸ってしまいそうな気もするので、もしも自分が聞き手の立場になったらと考えると、やっぱり本人が欲しい言葉は掛けてあげられない気がして難しさを感じた。 『学校で忘れ物をする悪夢を、未だによく見る。喋りたかったという未練からなのか、学校で楽しくお喋りをしている夢も未だによく見る。高校を卒業して十年が経ってもまだ心が卒業できていないのかと、苦しい気持ちで起きる朝がある。』 学生生活のやり直しは、もうできない。 唯一このトラウマを緩和するのであれば、結局は組織に属して集団生活を送ることでしか救われないんじゃないかとも考えた。 けれど、有名私大に通って交友関係を築いた時でさえ、小学生だった過去の自分が尾を引いている。現在もその影を振り切れていない。 今が幸せなんだからいいじゃん?とも思えないくらいに、トラウマやコンプレックスは根深く自身を蝕んでいくのだ。 この心情の吐露に触れて、自分の考えが安直だったと思わずにはいられなかった。 幸い筆者は前を向いて歩いている。 規則正しい生活、栄養バランスのとれた食事、運動習慣。 不幸のまま人生を終わらせたくない気持ちを知れて本当に良かったとも思ったし、自分も一所懸命に頑張ろうとも思わされた。 走り方なんて、マラソンの市民ランナーを見ていても十人十色で、縦に腕を振るのが運動法則的には正しいかもしれないけれど横振りの人もいるし、それでも早い人は早い。70歳近いお爺さんに後半抜かされる20代の男性ランナーもいる。 今、同級生を集めて50mなんて走ったらみんなおかしなフォームで息を切らすこと間違いなしだし、だいたい10年前の自分なんて地続きなようで価値観やら何やら今と全く違うなんてザラだし、小学生の時の自分なんてもう実質他人だと思ってほしい。 気休めかもしれないけど、あまり過去の自分に囚われてほしくないと願わずにはいられなかった。 だって努力しているあなたはこんなにも尊いのだから。
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