

めもり
@memor1s_book_report
働き始めてからしばらく本を読まなくなってしまって、久しぶりに手に取ってみたら文字が上手く自分の中に落とし込めなくてショック。
これはいけないと思い、リハビリがてら始めてみました。
今の目標は、好きな文体やリズムの本で慣らしながら、気になっている村田沙耶香さんの『世界99』の上下巻を読了すること。分厚い。
- 2026年5月25日
バリ山行松永K三蔵読み終わった去年、1週間かけて近畿、四国、中国地方をグルッと1周旅行していたので、作品の舞台である神戸の街並みや六甲山がより具体的な映像として自分の中に落とし込めて嬉しかった。山岳小説の認識で読んだものの、とは言っても六甲山は低山なので、雪山で遭難、視界一面ホワイトアウト、滑落、遠退く意識に食糧危機、標高何千メートル極限状態の中での人間ドラマ、みたいな読み手の神経を無駄にすり減らすような要素がなくて安心して読めた。 仕事にまつわる生活規範の苦悩が始終描かれていて、山と街との対比で舞台が進んでいきはするものの、観光名所でもある街から地続きの登山ルートを経ての山なんてものは、妻鹿さん曰く『本物じゃない』。 昨今のアウトドアブームで私達が求めているレジャーとしての登山は、所詮『歩かされている』という痛烈な皮肉にビックリさせられた。なんせアウトドア素人の私は去年、尾瀬(鳩待峠入り)にエベレスト登頂レベルの覚悟でもって臨もうとしていたので… 景観描写が丁寧に描かれていて、舞台が都市の真横にある低山なこともあり、登山ルートにしても、ひょっとしたらバリ(山中)にしても読者に歩いてみたいと思わせてしまう魅力があり、読んでいて爽快感を覚えた。 登場人物何人かに言及すると、主人公、波多の、大丈夫になりたくて無理やり外(彼の場合は仕事である建築物がない山)に出掛ける心理が私にも分かると思う一方、趣味に没頭している間くらいは仕事と家庭を忘れさせてくれとは言っても、生後間もない子どもを託児所に預けて奥さんがフルで職場復帰している以上、この状況で毎週休みの日に山に行くのは如何なものかとツッコミたかった。多分、今はリストラや新しい職場でのストレス云々で気遣われて何も口を出さないだけで、後々「あの時ああしてくれなかった」「協力的じゃなかった」と恨み言を吐かれ続けるのは間違いない。 最後の方の彼は、生き死に繋がる破滅型の山歩きに魅入られてしまって、徐々に子育てを放棄し始め家庭を、以前のように人付き合いを避けるようになって仕事を壊していっているような危うさがあり、妻鹿さんの末路を辿りそうで怖かった。 妻鹿さんは好きなキャラクターだったので後半の展開は色々と堪えた。 不器用だけど根は真面目で人情があり、飄々として何事においても計算で動けない職人肌。 誰もが匙を投げる案件をサラッと解決してしまう頼もしさがあるのに、致命的に社会と迎合できない危うさがある。 破滅の一途を辿ってなお山中を彷徨うラストのアレは、もう妖精的な何か山の概念になってしまったのか、はたまた波多の妄想が見せた幻だったのか、今も自分の中でハッキリしない。 そして評価が最初と最後で180°変わったのが松浦さん。当初は口煩いおっちゃんという印象で、私は妻鹿さんが山菜採りの延長で拓けた斜面を練り歩いてるのだろうと考えていたばかりに、山歩きに正解不正解なんてないだろと否定的に思っていた。 だけど振り返ってみれば最初から真剣に心配をして怒ってくれていたし、社内方針が変わってからの妻鹿さんの機材の持ち出しを上に報告はしているけど実際は黙認してくれていて、最後は引き留めに声を掛けてまでくれている。良い人すぎる。 何にせよ、出不精に外に出たい、歩きたいと思わせてくれる良い本でした。本棚入り。 - 2026年5月17日
体力おばけへの道 頭も体も疲れにくくなるスゴイ運動國本充洋,澤木一貴読み終わった体力の有無が日常における選択の幅を拡げてくれるのは間違いないので、パワーアップをしたくて手に取ってみた本書。体力をつけようと考えた際に真っ先にイメージするのが筋トレやランニングなどの運動習慣ですが、身体を思い通りに動かす力の「行動体力」と、外的・内的なストレスに打ち勝ち健康を守る「防衛体力」の両者が必要で、「運動・食事・休養」の3本柱のバランスが大事なことが丁寧に記されていてとても興味深かったです。特別な何かをしないといけないんじゃないかと身構えながら読み始めたものの、極端な話、体力がある人とは朝から元気に動けて、風邪をひきにくく、日々を前向きに過ごせる人であって、日常にこそ身体づくりのヒントが隠されているという根本の気づきが得られた。日々何かをしていたくて意外と「休養」が疎かになっていたので、睡眠時間を見直していきたい。 それと面白く思ったのが、「体力は自分を育てる資産であり『貯筋』である」「運動という投資は、ほぼノーリスクで生活のあらゆる場面に『利息』として返ってきます」という1文を見た時に、なぜバチバチに化粧をして朝ランする姿を自撮りした映像をSNSにアップする人が多いのか、という謎が解けた気がした。投資。 - 2026年4月22日
虚弱に生きる絶対に終電を逃さない女読み終わった私も子どもの頃はよく全校集会で貧血起こしていたし、未だにアドレナリンが切れるまで頑張りすぎて体調崩す時もあるし、あともう少し体力があったら1日の行動アクションをもう2、3個増やせるのにって思うその歯痒い気持ち、分かる!分かるよ〜! と思いながら読み始めたら、想像の遥か斜め上をいく「体力の無さ」を見せられ、世の中には色々な人が居るんだなと思うなどしました。 もっとこう、結局は体力の有無が人生経験の幅を広げてくれるよね!って結論に帰着する、体力が無さすぎるがゆえの面白失敗エピソードを綴ったエッセイ本なのかと思い読み始めたのに(ただし大筋は合ってる)、まさか4ページ目で「希死念慮」という言葉に遭遇するとは思わず、それ以降しばらく心をザワザワさせながら読み進めることになった。 第一章を読んで、「虚弱だからアレもコレもソレも人並みには出来ないんです」「こんな私は健常者ではないんです」という説明が続いた時に、いやでもあなたは早稲田に入れるだけの頭の良さもあって、そこに至るまでに真面目に勉強に取り組んだ精神力と忍耐力もあって、要するに努力が出来る人間で、こんなに読みやすく誠実な文章を綴れて、今でこそ友人もいるんだから、そんなに自分を卑下しないでほしいと叫びだしたかった。 そもそも体力ってどうやって身につける?身体の不調はどこからきてる?食が細くて基礎代謝が低い?運動以前に日常生活で動いてない?不眠、過眠って点ではストレスによる脳疲労? 自分事じゃないけど、真剣に考えた。 それくらいに感情を持っていかれた。 筆者の虚弱というのは、結局は思春期にうまく集団に馴染めなかったトラウマがずっとしこりになって残り続け、身を守るために行動に制限をかけ、常にぐるぐる考えては脳疲労を起こしている状態からくる身心の不調が大半の原因であって間違いないとは思う。 走り方が変だと揶揄われたり、おふざけの延長線でされる異性からの暴力、心因性ストレスからくる人前での発声困難。 幼心に辛かったと思う。 本来頼りたいはずの親族からも嘲笑され、否定され、どんどんその気になって『障害』の言葉を散らつかせると途端に「あなたは普通だから大丈夫」と言われ、慌てて「普通」の枠組みに押し込められるもどかしさ。 自暴自棄になりたいのも分かる。 ただ、親や主治医に話半分にされてしまう不満が書かれていたが、他人から「そうだね」なんて肯定されてしまったらいよいよ不幸の沼に浸ってしまいそうな気もするので、もしも自分が聞き手の立場になったらと考えると、やっぱり本人が欲しい言葉は掛けてあげられない気がして難しさを感じた。 『学校で忘れ物をする悪夢を、未だによく見る。喋りたかったという未練からなのか、学校で楽しくお喋りをしている夢も未だによく見る。高校を卒業して十年が経ってもまだ心が卒業できていないのかと、苦しい気持ちで起きる朝がある。』 学生生活のやり直しは、もうできない。 唯一このトラウマを緩和するのであれば、結局は組織に属して集団生活を送ることでしか救われないんじゃないかとも考えた。 けれど、有名私大に通って交友関係を築いた時でさえ、小学生だった過去の自分が尾を引いている。現在もその影を振り切れていない。 今が幸せなんだからいいじゃん?とも思えないくらいに、トラウマやコンプレックスは根深く自身を蝕んでいくのだ。 この心情の吐露に触れて、自分の考えが安直だったと思わずにはいられなかった。 幸い筆者は前を向いて歩いている。 規則正しい生活、栄養バランスのとれた食事、運動習慣。 不幸のまま人生を終わらせたくない気持ちを知れて本当に良かったとも思ったし、自分も一所懸命に頑張ろうとも思わされた。 走り方なんて、マラソンの市民ランナーを見ていても十人十色で、縦に腕を振るのが運動法則的には正しいかもしれないけれど横振りの人もいるし、それでも早い人は早い。70歳近いお爺さんに後半抜かされる20代の男性ランナーもいる。 今、同級生を集めて50mなんて走ったらみんなおかしなフォームで息を切らすこと間違いなしだし、だいたい10年前の自分なんて地続きなようで価値観やら何やら今と全く違うなんてザラだし、小学生の時の自分なんてもう実質他人だと思ってほしい。 気休めかもしれないけど、あまり過去の自分に囚われてほしくないと願わずにはいられなかった。 だって努力しているあなたはこんなにも尊いのだから。 - 2026年2月11日
安心毛布川上未映子読み終わったSNSで、20代は将来を思うなら今のうちから稼いだ金を投資に回すべきであるという主張と、人生には適性年齢があるから自由も体力も美貌もある今はむしろ旅行やラグジュアリー品に費やしたい、という主張の投稿を見た際に、なぜか、唐突に川上未映子の存在を知った。 「でも川上未映子は今もmiumiuの服を着こなしているから」 写真に映る彼女は、薄くもたつきのない身体で少女性を追求したシルエットの薄衣を身に纏い、けれどもただ幼いだけにならないよう、小綺麗に化粧を施し、上品で洗練された風格を持ってそこに立っていた。 持ち物から察するに、金の匂いはするのに金の流れが見えない。 この美女は一体… それから1カ月も経たない頃、某ビール会社のCM(大人エレベーター)で短い対談をしている姿を拝見し、始めて芥川賞を受賞した、世間的にも認知度の高い人気作家であることを知った。 本来なら受賞作品の『乳と卵』あたりから入門するべきなんだろうけれども、美しく歳を重ねていく彼女の思想を覗き見てみたくて、エッセイ本である本作を手に取ってみた。 蓋を開けてみたらなんと言うか、多分私達とそう変わらない。 ラグジュアリー品に興味はあるけれど、じゅうぶんに嗜好品の類であることを理解していて、会計をする際に高揚感と罪悪感を感じている。インドア派で極力外へは出たくない。だけど組織に所属する安心感を感じていたいのと、自分の成長、そして他者とのコミュニケーションを求めて読売出版広告の選考委員にチャレンジしてみた話。流行りの物や良いとされる物への好奇心はあって、スムージーにハマってみたり、頂き物で手に入った南部鉄器の急須で鉄分を補給していたつもりが、ガワが鉄で内部が陶器だったことを数カ月してから知り虚無感を感じた話。 オチに笑ってしまって、近くのロフトに寄った際に本当に中身だけ陶器の南部鉄器急須が置いてあった時はニンマリしてしまった。 第1章は私生活のアレコレがふんわりと書き綴られていて、ひらがなを多用しているのが少し読みにくくはあったけれど、どうか第2章まで読んでほしい。 第2章は特に印象に残った話がいくつかあり、妊娠と出産を振り返って、好きなように動けなくなる、歩けなくなる、喋れなくなる、食べられなくなる経験が、老人を一足先にダイジェストで体験してしまったみたいな感覚で、あの時の自分は少女と思春期、成熟期、更年期、老人というそれぞれを一気に駆け抜けていたと表現していた。大変も痛いも忙しいも時間がないも、産前とは完全に質が違う。大抵のことを「大変」と表現してしまう我々とは違い、やはり作家、言葉に説得力があるとしみじみ感じた。 それから、友人が趣味でプレゼントしてくれた手作り燻製ベーコンの話が好きで、私も「スモークって…広がりのことだったんだ…!」と感動してみたいし、手作りを手軽に渡し合える交友関係とそれだけの技術(※重要)が欲しいなと思うなどした。 第2章は女性誌への寄稿文を集めたものなので、ターゲットの年齢層に合った興味関心が上手く散りばめらてあり、文体も読みやすく良かったです。 次は作品も読んでみたい。 - 2026年1月12日
働きマン(5)安野モヨコ買った再読中わたしの本棚お気に入り私を構成する本去年たまたま本屋で発見した時の感動と言ったら…なんせ17年ぶりの最新刊である。17年て何だそれ。 モーニングの掲載年月が'07、'08年なあたり、やっぱり圧力が掛かっての打ち切りだったんでしょうかね… 4巻の「あたしはきっと頑張れる」に終わりを悟り、でも綺麗に風呂敷を畳めているのだから、これはこれで…と思っていたのに、あったんですか?未掲載話が??? これも人生の教本で、学生時代に愛読してしまったばかりに骨の髄まで影響を受けてしまった作品。 総合出版社の雑誌編集部で働く主人公の松方弘子を中心に、「働くとは何か?」を問うオムニバス形式のお仕事漫画。 多様性が今ほど認められていなかった時代に夢を持ち、熱意に溢れ、懸命に前を向いて歩み続けたあの輝きが、今この瞬間にも色褪せることなくそこにあって、ただただ嬉しかった。 我武者羅に働く人、のらりくらりしていたい人、働けなくなってしまう人。 色々な社会との携わり方があり、そのどれも否定は出来ない。働き方は変わって、社会のありようも変わった。 だけど、私は出来るなら懸命に生きていきたい。 これはそのための御守り本。 - 2026年1月11日
キッチン吉本ばなな買った再読中わたしの本棚お気に入り私を構成する本ジブリ作品を観ているような気分になれる小説だと思う。肉親の死に直面して、一人、また一人居なくなって自分だけが取り残された時、世界が透明感に満ちて美しく、賑やかであればあるほど目の前のすべてが嘘のように思えてくる虚無感の描き方が上手い。本来ならメンタルがマイナスに引っ張られるテーマではあるけれど、文章の語感が良いのと、死の気配を纏っているハズの主人公の目に映る世界には、いつも植物や食べ物、人の気配が溢れていて、心情では今の自分には眩しすぎると思ってはいても、生への渇望が見て取れるのも良かった。食べ物は魅力的に描かれ、温度や色を感じられる綺麗な景観描写が作品をやわらかく仕立てている。加えて『キッチン』では「えり子さん」、『ムーンライト・シャドウ』では「うらら」という強烈で謎に満ちた魅惑の美女(?)が、明るく穏やかに主人公を導くのが良い。全編通して登場人物の品が良く、茶目っ気たっぷりな会話や行動が見ていてとても心地よく感じたが、羽振りの良さを考えると、バブル当時(※80年代後半)の物質的な豊かさがそのまま心の豊かさに繋がっているように感じられ、今の日本はずいぶん貧しくなったんだなと寂しくも思えた。 「愛する人達といつまでも一緒にいられるわけではないし、どんなに素晴らしい瞬間も一瞬で過ぎ去ってしまう。けれど、どんな深い悲しみも、時間がたつと同じようには悲しくない。」 衣食住を通して描かれる人間の再生物語、墓まで持って行きたい私の人生の教本です。
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