綾鷹 "掃除婦のための手引き書 --..." 2026年4月21日

綾鷹
綾鷹
@ayataka
2026年4月21日
掃除婦のための手引き書 --ルシア・ベルリン作品集
著者の経験をもとに書かれているとのことだが、経験が多彩すぎる。。 悲劇的な状況でも淡々とした語り、ユーモアに溢れる文章から、著者の生命力を感じた。 特に「ママ」の終わり方がゾクッとして好きだった。 ・「いいか兄弟、よく聞きな・・・・・おれもその地獄を見てきた人間さ。だからあんたの苦しさはようくわかる」 トニーは目を開けなかった。他人の苦しみがよくわかるなどと言う人間はみんな阿呆だから だ。 ・ここ最近は、住人が死んだ家の片付けをしている。家を掃除し、引き取るものとグッドウィルに寄付するものを遺族がより分ける手伝いをする。アーリーンはよく、ユダヤ人向け老人ホームに回してもらえる服や本はないかと訊いてくる。彼女の母親のセイディがそこに入っているのだ。気の滅入る仕事だ。あるときは親戚みんなが何でもかんでもほしがり、よれよれの古いサスペンダーだとかコーヒーマグとか、ちっぽけなものをめぐっていがみ合う。かと思えば、その家にまつわるものを誰も何ひとつ欲しがらず、わたしが全部まとめて捨てることもある。どちらにしても悲しいのは、あっという間にすべてが済んでしまうことだ。だって考えてもみて。仮にあなたが死んだとして、あなたの持ち物をぜんぶ片づけるのに、わたしならものの二時間とかからないのだ。 ・「なあ、そろそろ許してくれよ」彼が言った。「週末に僕らのとこに泊まって、デビーと仲良くしてほしい。それにラテーニャにはまだ会ったことないだろ?すごく可愛いんだ。姉さんによく似てる。ねえ、頼むよ」 彼女は無言だった。だが死が彼女に作用しているのがわたしにはわかった。死には癒しの力がある。死は人に許すことを教え、独りぼっちで死ぬのはいやだと気づかせる。 彼女はうなずいた。「行くわ」 「ああ、よかった!」彼が彼女の手に自分の手を重ねたが、彼女はその手をさっと引っこめ、こわばった鍼応のようにテーブルの端をつかんだ。 ・ママ、あなたはどこにいても、誰にでも、何にでも、醜さと悪を見いだした。狂っていたの、それとも見えすぎていた?・どちらにしても、あなたみたいになるのは耐えられない。わたしはいま恐れている・・・・だんだん美しいものや正しいものを感じられなくなっていくようでってお今のわたしはまるであなただ。辛辣で、毒舌で。ゴミためみたいな町ね。あなたは人を嫌うのと同じ被しさで場所を嫌った。今までに住んだすべての鉱山町も、アタリカも、エルパンも、故郷も、チリも、ペルーも。 ・「あの人は最初はわたしの守り主だったけれど、あとから看守みたいになった』とママは言っていた。パパはママによかれと思って、年を追うごとにお酒の量を制限したり、ママを人に会わせないようにしたり、なのにただの一度も病院に連れていこうとはしなかった。あたしたちはママに近づけなかった、誰も近づけなかった。とつぜん怒り狂い、ひどい言葉を吐き、支離滅裂だった。子供のあたしたちがどれだけやってもママは満足しなかった。むしろあたしたちがうまくいって、成長して何かをなしとげるのをママは憎んだ。あたしたちは若くて、きれいで、未来があるから。ねえサリー、わかるでしょ?ママにとってそれがどんなにつらいことだったか」「そうね。本当にそうだった。気の毒な、かわいそうなママ。でもね、いまやあたしがママそっくり。生きて働いているみんなのことが憎くなるんだもの。ときどき姉さんにも腹が立つ、だって姉さんは死なないから。ひどいよね」 「ううん。だってそれをこうして言えるじゃない。あたしだって、死ぬのが自分じゃなくてほっとしてるってあんたに言うことができる。でもママには心を打ち明けられる相手が一人もいなかった。あの日、港に入っていく船の上では、そうじゃないって肩じてた。エドがいつもそばについていてくれると言じてた。やっと自分の家に帰れるんだと思っていたのよ」「ねえ、もういちどママの話をして。船の上。目に涙を浮かべるところ」 「いいわ。ママがタバコを海に捨てる。陸地に近い波は静かで、ジュッという音が聞こえる。船ががたんとふるえてエンジンが停まる。急に静まりかえって、ブイの音とカモメの声と悲しげに長くひっぱる船のホイッスルが響くなか、船は静かに停泊位置に入っていって、ドックのタイヤに柔らかくぶつかる。ママは毛皮の標をなでつけ、髪をととのえる。そして笑顔を浮かべて出迎えの人のなかに夫の姿を探す。生まれてから一度も味わったことがないほど、いまママは幸せなの」 サリーが静かに泣いている。「がわいそうに、がわいそうに」そう言っている。「もう一度だけママと話せたら。すごく愛してるって、ママに伝えられたら」わたしは・・...わたしにそんな優しさはない。 ・息子たちやその家族と会えないのは寂しい。一年に一度くらいは会って、それはそれは楽しいけれど、すでに息子たちの人生の中にわたしはいないのだとわかる。それはあなたの子供たちも同じこと。ああ、でもメルセデスとエンリケはわざわざこっちで結婚式を挙げてくれたっけ! ほかにもおおぜいの人が逝ってしまった。昔は誰かが「夫を見失った」などと言うのを変に思ったものだ。でも本当にそんな感じなのだ。その人が行方不明になってしまったような。ポール、チャータ伯母さん、バディ。世間の人が幽霊の存在をじたり、降霊会で死者を呼ぶ気持ちがわたしにはわかる。何か月も生きている人のことだけ考えて暮らして、でもある日ふと一曲のタソゴや一杯のマイガボに誘われて、バディがあらわれて冗談を言ったり、すぐ目の前にあなたが活き活きと立っていたりする。あなたと話せたらどんなにいいか。あなたは耳の聞こえない猫よりわるい。 つい二、三日前、プリザードの後にもあなたはやって来た。地面はまだ雪と氷に覆われていたけれど、ひょっこり一日だけ暖かな日があった。リスやカササギがおしゃべりし、スズメとフィンチが裸の木の枝で歌った。わたしは家じゅうのドアと窓を開けはなった。背中に太陽を受けながら、キッチンの食卓で紅茶を飲んだ。正面ポーチに作った巣からスズメバチが入ってきて、家の中を眠たげに飛びまわり、ぶんぶんうなりながらキッチンでゆるく輪を描いた。ちょうどそのとき煙探知機の電池が切れて、夏のコオロギみたいにピッピッと鳴きだした。陽の光がティーポットや、小麦粉のジャーや、ストックを挿した銀の花瓶の上できらめいた。 メキシコのあなたの部屋の、夕方のあののどかな光輝のようだった。あなたの顔を照らす日の光が見えた。 ・なぜわたしはこんな話をするのだろう。庭にはカササギもいて、雪をバックに青く黒くひらめいている。横柄なしわがれ声で鳴くところもカラスといっしょだ。もちろん本を読むなり誰かに電話で訊くなりすれば、カラスの帰巣の習性についてはわかるだろう。でもわたしが気になるのは、カラスに気づいたのがほんの偶然からだった、という部分だ。わたしはほかにもいろんなことを見のがしてきたんじゃなかろうか。今までの人生で、面ポーチ"ではなく”裏のポーチ"にいたことが、はたして何度あっただろう?わたしに向かって発せられたのに聞きそこねた、どんな言葉があっただろう?気づかずに過ぎてしまった、どんな愛があっただろう? 無意味な問いだ。わたしがここまで長生きできたのは、過去をぜんぶ捨ててきたからだ。悲しみも後悔も罪悪感も締め出して、ぴったりドアを閉ざす。もしもちょっとでも甘い気持ちで細く開けたが最後、パン!たちまちドアは押し破られ、苦悩の嵐が胸の中に吹きこみ恥で目がつぶれコップや瓶が割れジャーは倒れ窓は割れこぼれた砂糖とガラスの破片でしたたかすっ転んでお びえ取り乱し、そうしてやっとぶるぶるふるえて泣きながら重いドアを閉ざす。散らばった破片を一から拾いなおす。 でも、枕に”もしも”をつけて過去を中に入れるのであれば、そう危険ではないかもしれない。もしもあのとき出ていくポールにひとこと声をかけていたら?もしもあのとき誰かに助けを求めていたら?もしもあのときHと結婚していたら?今こうして窓の前に座り、枝もカラスもないカエデの木を眺めていると、一つひとつの”もしも"に、ふしぎと心なぐさまる答えが返ってくる。このもしもも、あのもしもも、結局は起こるはずのなかったことだ。わたしの人生に起こったいいことも悪いことも、すべてなるべくしてそうなったことなのだから1今のこの独りぼっちのわたしを形づくってきた選択や行動ならば、なおのこと。 ・ルシア・ベルリンの小説は、ほぼすべてが彼女の実人生に材をとっている。そしてその人生がじつに紆余曲折の多いカラフルなものだったために、切り取る場所によってまったくちがう形の断面になる多面体のように、見える景色は作品ごとに大きく変わる。鉱山町で過ごした幼少期(「マカダム」「巣に帰る」)。テキサスの祖父母の家で過ごした暗黒の少女時代(「ドクターH、A。 モィーハン」「星と聖人」「沈黙」。豪奢で奔放なチリのお嬢時代(「いいと悪い」 「パラ色の人生」。四人の子供を抱えたブルーカラーのシングルマザー(「掃除婦のための手引き書」「わたしの野手」「喪の仕事」。アルコール依存症との聞い(「最初のデトックス」「ステップ」)。ガンで死にゆく妹と過ごすメキシコの日々(「苦しみの殿堂」「ママ」「あとちょっとだけ」).......。
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