
shiori
@shiori_417
2026年4月23日
共感と距離感の練習
小沼理
読み終わった
著者は「わかる」と「わからない」の間をたゆたいながら考え続ける。白黒つけてしまったほうがよっぽどラクなのに、このグレーな状態を耐えて考える、いわばネガティヴ・ケイパビリティ的な思考体力。
こないだまで読んでいた濱野ちひろさんのノンフィクションとも通じるところがあるけど、簡単に分かったつもりにならない、分からないと投げ出すこともしないって、キツいけど、すごく大事なことな気がする。
個人的に印象に残ったのは、同性婚、ひいては婚姻制度について書いた「別の複数の色」。
個人的にはすべての人に自由に結婚する権利があると思っていて、同性婚が法制化されることには両手を挙げて賛成!と思っていたのだけど、
同性婚が法制化されることによって現在の制度的な問題(家父長性的で性差別的な制度である)が温存されたままになったり、同性カップル以外の関係性を望む人たち、他の困りごとを抱えた人を置き去りにするかもしれない、という「さらにその先」を考えた視点は持てていなかった。
また、同性婚が法制化されても(ヘテロセクシュアルと同様に)結婚したい人もしたくない人もいる。
結婚する自由と同じだけ、結婚しない自由もある。
当たり前のことなのに、いつのまにか人を画一的な色分けの中に押し込めすぎている自分に気づき、はっとさせられた。
空気を読みすぎてしまうという著者のパーソナリティにも共感したので、エスカレーターの左側に立つことで心の柔軟体操をするくだりは、私もやってみたいなと思った(詳しくは「空気と柔軟体操」の章をぜひ)。
クィアコミュニティの人たちは、偏見や差別に傷つけられ、時には命を脅かされながら、それでも声をあげてきた。
何もしなければ、何も変わらない。
最近はほぼ毎日のように衝撃的なニュースが飛び込んでくる状況に圧倒されて、思考停止状態というか、もう全部に向き合いきれないかもしれないと思ってしまうときも正直ある。
でも、本文中にある
“無自覚なままで、無関心なままでいる間に、どれだけのことが起こったのだろう。このままでいることは、何を引き起こすのだろう。”
という言葉が、今ほど重さを持っている時代もないのかもしれない。
まずは、自分のまわりに区切り線を引かず、勉強するところから。

