
あんどん書房
@andn
2026年4月23日
ほんとうのことを書く練習
土門蘭
読み終わった
だらだらと長く書くことが「ほんとう」なのではないかと思っている節があるかもしれない…。
“自分は何を感じているのか、何を考えているのか。/何を問うていて、何を知りたくて、何に惹かれているのか[…]/つまり、世界に触れている自分自信を感じること。そこで得た言葉こそが「ほんとうのこと」だ。”(P10)
個人的にはこの感覚は違和感が起点になるのではないかと思う。つまり「これはほんとうのことだ」というより、「これはほんとうのことではないのではないか?」と。「本質」とか言っちゃうと急に胡散臭くなるが、なんとなくそういう。
ただ、他人がそういう指摘をしてきた場合は十中八九悪質なので、やはり「私」にとってという部分が一番大事なのだと思う。
“「ほんとうのことを書く」とは、「私を知っていく」ことだ。”(同前)
序章『私たちはなぜ「ほんとうのこと」が書けないのか』では、とある新聞記者による「個性は消して、消して、消しなさい」(P27)という言葉が紹介されている。個性を出そうとしたり、他者の目線を気にしすぎた文章は「化粧くさい」文章だ、と土門さんも書かれていて、これは非常に耳の痛い指摘。
こういう話はついつい禅を引っ張り出したくなってしまうが、他者を気にし過ぎることもまた我執であるという…。
そしてそんな我執を引き出してしまうのが、自己愛である。
“自分に愛されていないから、代わりに誰かに愛されたい。そんな自意識に包まれている。”(P50)
あーーー。結局もう、そこなんだよなぁ。怖さを克服して自分と向き合うことができないと、囚われてしまう。
自分が感じている「ほんとうでない」という感覚(物欲とか、コミュニケーションの癖とか、その他諸々)の根底は自傷的な自己愛だ。
「誰にも読ませない文章」としての日記の必要性。自分もこの2年ぐらい、こうしてスマホのメモに書いたものをブログに貼り付けたり冊子にしたりということばかり気を取られてしまい、それまで付けていた「何でもノート」をさっぱり書かなくなってしまった。
投稿が読まれることをそれほど意識しておらずとも、絶対に自分しか読まない何かを書くこともやはり必要なのではないかと読んでいて思う。内容がどうというより、自意識に邪魔されずに書くために。読まれる(かもしれない)からという方にモチベーションの比重が偏ってしまうと、プライベートなものを維持するのが大変難しくなる。SNSのせいで退屈に耐えられなくなるのと似たようなもんだと思う。
“自分だけは、何を言っても否定しない、拒まない、受け止めてくれるんだと実感すること。つまり、自分を受容すること、愛すること。”(P120)
自分がよくやりがちなパターンとして「何でも自虐で終わらせがち」のがあるけれど、それもまあ自意識臭い文章だわなと思う。
第3章は本書の核心部であり、ほんとうのことを書くために必要な「生きる」ことと「考える」こと、という二つの柱が紹介される。
「生きる」とは他者(自己の外部)との関わりであり、「考える」とは自己との対話である。さらっと読むと「経験が大切」「引きこもっていては文章は書けない」みたいな話に思えてしまうが、おそらくここで言われていることはもう少し奥行きがあって、「他者」をきちんと「他者」として受け止めることができるか、みたいなことが問われている気がする。
そう感ずるのは、出不精だし無気力で一日を惰眠とアニメとたまに積読解消で潰してしまう自分を嫌になっちゃいつつも、経験に貴賎なしとも思いたいからである。そりゃ海外とかじゃんじゃん行ってさ、人脈広げてチャレンジして起業して投資して…みたいな経験があったら、それはすごいと思うよ。でも無理じゃん。文化格差があるじゃん。というか資本主義の奴隷じゃん。
まあそんな極端な話にせずとも、寝たり本を読んだりしてるだけだってそこに「他者」を見出して何らかの回路を開くことができれば、「生きる」ことに繋げられるのではないか…と思うわけですよ。
だから「今日は一日中何もできず、寝てるだけだった」止まりじゃなくて、そこからさらに問いを重ねて展開させてゆくことが必要なんだなぁ。
……ということはすでに第2章に書かれていて(“自分に興味を持ち続け、問い続け、答え続けること。その一連の活動が「書く」ことだ。”(P99))、読むことと理解し納得することの間にある大きな壁をあらためて体感するのであった。
先に出てきた「生きる」と「考える」のバランスについて第4章では、
“前者だけでは社交になり、後者だけでは内省になる”(P185)
とも書かれており、自分は後者に偏りがちなんだな〜と思う。養老孟司さんの「情報化」の話を読んでも思うのは、「生きる」(≒「情報化」≒外部のものごとを自分なりに表現する)ためのレッスンとして乗代さんの写生文トレーニングはやはり有効なのではないか、と。
ぶっちゃけ情景や他人が丁寧に描写されたほうが文章は面白く、どれだけ自分の思考や内省を開陳しても、その回路が違う人には響かない。周りをちゃんと書くことが読み手への配慮にもなるということだ。
あと、その時々で自分にとっての「ほんとう」は変わる(変わっても良い)ということも大切かもしれない。
本文書体:リュウミンオールド
ブックデザイン:水戸部功

