キイロノシャクナゲ "沈黙" 2026年4月23日

沈黙
沈黙
遠藤周作
ようやく終わった。最後はしゅるしゅるっと終わった。 ただずっとひたすらきつく長く、もうこちらも一緒に拷問されているような気持ちで耐え忍ぶ読書だった。自分が主人公の立場であればと考えるともうどうしようもない。 読んでいて、途中までヨブ記の日本版か?と思っていた。 ここで先に明記しておくが、私はイエス・キリストは人を束ねるカリスマではある確信しているが、神だとは思っていない。クリスチャンの友人をつかまえてひたすらバイブルスタディをしていた、ただのオタクである。 ヨブ記の場合は、旧約聖書を読む我々は天上でのやりとりを知っているから、どんな形であれ神はちゃんとヨブをずっと見ていたしヨブに反応を示していたことを知っており、まだ耐え感があったのだが、これはもうダメダメだった。 もうずっとなんだか見捨てられている感じ。何を思ってこんなことをするのかというヨブ側の視点だけになって、ただ苦しい思いをさせられる。ヨブはあそこまで実験台にさせられても、そこから神ってやっぱ未知なる存在やわって遠い存在にするけど、ロドリゴはそれに加えてそばにいてくれる人と認識してるよう感じた。どうやら癖な正しさだけを導いているのではなく、絵踏の行為ですら神の意志として受けとったらしい。 途中、聖書を読んでいて疑問に思っていたことをロドリゴも疑問に思って心の中で叫ぶシーンが何度もあった。なーんだ、聖職者もそう思うんだと感じていた。 たとえば、全知全能の神が、なぜ自分を裏切るとわかっていたユダをそのまま自分のそばに置いていたか、など。自作自演なの?ユダは見せしめだったってこと?可哀想。みたいに思っていた。ヨブ記に至っても、まだ私の中ではかまちょの人で止まってしまっている。知りたいのに、わからない。もどかしいなあ。 ただひとつ、信仰なんてものはほかのだれとも分かち合えなくても、自分とその信仰先さえが機能していればいい、ほかは関係ないと感じた。
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