沈黙
213件の記録
- ユリカ@yurika_todo2026年10月4日読み終わった読書メモこれまた凄い本だった…! 日本人なので、どうしても井上政重に肩入れして読んでしまう 「形だけの踏み絵でよい」と言って譲歩してあげてるし、「本質的に大事なのは人の役に立つことだろ」というのは全くそのとおりだと思う 井上側はかなり歩み寄っていると思うのに、ロドリゴ側はキリスト教が一なる正なるものとして全く歩み寄ろうとしない 普通に日本で生まれ育った身からすると、毎週教会でお祈りしているキリスト教徒のことを、何でそんな熱心なのか全然理解できいないんだよな でも作中みたいに何か困難なことがあったときに聖書という支えがあるのはいいなと思った (聖書の教えを暗記している人たちからしたら、普通の日本人が無教養に思えるのも仕方ないのかも) 世界から宗教絡みの争いがなくならないのもしょうがないわ -----------追記----------- 松倉勝家が謙虚な人間だったらこんな極端なことになっていないのでは…?
どうでしょう@doudesyou2026年10月3日読み終わったキリスト教と日本人、信仰や愛とは何かという、重いテーマの作品だった。 当時のキリスト教への扱いが思っていたよりも厳しくないものだったが、脚色もあるのだろうか
村雨菊@carameltomato2026年9月25日読み終わったあまりにも残酷で耐え難く苦しい現実を前に、弱い人間がいかにして信仰を保つことができるのかという切実なテーマが、真っ向勝負で一直線に問われていた。 悪臭を巧みに描写して、様々な醜悪さが表現されているので、やはり読んでいて疲れる部分もあった。 転んだあとのロドリゴやキチジローが手放すことができない宗教観こそ、作者が抱いているものなのかなと思った。
- 読書ログ@semiit2026年9月23日読み終わった最近長崎を訪れたので読んでみた キチジローの弱さ、汚さに主人公と同じ感情を抱きながらも綺麗事じゃない人間の弱さ醜さにどこか共感を覚える部分もあった 今を生きていると、そんなに迫害を受けるものなのかと信じ難い歴史ではあるが、当時の日本、特に権力者にとってキリスト教は危険な教えだったのだろう 貧しい人々には救いでもあったのだろう

ゆき@yuki11032026年9月19日読み終わった再読・読了@ 自宅読書会の課題本なので再読 凄い本だなと、改めて思う 私はクリスチャンでもないし、信仰心があつい訳 でもない だから、神に祈りを捧げるとか 主を讚えるって事がどういう事なのか 本当の所はわからない 井上筑後守やフェレイラが、日本には根付かないって言葉は、なんとなく腑に落ちた ロドリゴが信じている「神」と 日本人信徒が信じている「神」は 全く別物と言う事実 宗教ってなんなの? 神ってなんなの?って読んでいるあいだ ずっと、グルグルしてた キリスト教や仏教やその他宗教が 存在するのは 人は強くないから、何かに祈り捧げる事で 心の平穏を保てるのか? なんて事まで考えた
saiki@lighthouse_2026年9月10日気になるSNSで目にした「魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるなら、それは誰だってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸(ぼろ)のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。」という一節が気になって。
eu@eu2026年8月29日読み終わった一時期、遠藤周作氏の作品にはまり、読み漁っていた時期があった。その時にまだ読んでいなかった『沈黙』を古本屋で見つけ、手に取ってみた。 読み進めるごとに、待ち受ける結末を案じ、ストーリーにぐいぐいと引き込まれる。 僕は学生時代から世界史が好きで、その延長で宗教に興味を持ち、キリスト教に限らず宗教全般について、宗教とは何であるかを考えることが多かった。 そうした中で、僕にはアニミズムの考え方が近いと感じるようになった。 作品の後半で、沢野忠庵が「この国は沼地」と表現し、キリスト教で言うところの「神」と日本人が信仰した「神」は別物であると言う件は、日本の伝統的なアニミズムを考えると、すとんと腑に落ちた。 キリスト教の「神」を日本語で「神」と訳すこと自体、語弊があるかも知れない。 また、宗教について考える中で、教団や教義の存在はさして重要ではなく、信仰心さえあればいいのではないかと考えるようになった。 作品終盤の主人公のモノローグは、きっと同様の考えなのだろうと共感できた。 映画化された作品についても、ぜひ観てみたいと思う。
ばね@bane2026年8月16日読み終わった暗い話なのに先が気になりすぎてぐいぐい読んでしまった 何かを熱心に信仰したことがないので棄教することの苦しさを完全には理解できないけど、ロドリゴが絵を踏む場面は涙が出た フェレイラが言った「一番辛い愛の行為」という言葉が印象に残った 棄教させるために他の人を犠牲にするのって卑怯だよなぁ
youm@youm2026年8月10日読み終わった島原の乱後間もない長崎が舞台の切支丹物語。歴史を読んでいる感覚。 切支丹へのあまりにも酷い仕打ちは言うまでもないが、何より『主』の『沈黙』が重い。この沈黙が故に、人は考える。安直に答えを求めて、赦しを求めて、言葉を求めて、ではなく、『自分で考える』ということを与えてくれていると思う。しかし自分で考えたとして、それが正解かどうかはわからない。それも含め、自分で責任をとることも含め、教えてくれているように思う。 まあ、自分は無宗教なんだけど。

🐟@sakanaman2026年8月5日読み終わった傑作だった。 人の心を折る、屈服させる、その描写に一九八四年を連想した。 結末は予想がついてたのに、最後までずっと引き込まれ続ける。 そして、改めてタイトルを振り返って、顔がくしゃくしゃになったりして、また意味を考えたりしてる。


- みなも@minamo_books2026年7月12日読みたい読書スランプ中だけどReadsの存在を思い出して戻ってきた。 リトルトーキョーの古本市に出店されていた方に旅の予定を聞かれ、ちょうど長崎県に突発的に行くことになったことを伝えたら、遠藤周作の『沈黙』を読むのはどうですかと勧めてくれてたしかに〜となった。

- 武蔵@Musa88882026年7月9日読み終わった映画を観て、とても感銘を受けたので本書を購入し現在読破しました。 江戸時代のキリシタン弾圧のお話でかなりヒリヒリするシーンがあり緊張感を持って読めました。どれだけ苦しめられても信仰を続けたらイエス様とパラダイスにいける、その一心で刑罰に耐え、やがて殺される信徒に信仰の厳粛さを感じましたし、刑罰に苦しむ信徒を助ける為に司祭が転びしかしその心中はイエス様を離さない、これもまた愛の一つだと思いました。総括して素晴らしい信仰の話だと思いました。これが実際にあったと思うと身が引き締まる思いです。感謝です。



アルト@jako56562026年7月8日読み終わった先生が貸してくださった本。ようやく読んだ。 切支丹迫害時代の物語ということで重い内容だけど、思ったいたよりも読みやすく、のめり込むように読んでしまった。 権力や大義名分を得たことで、人間はこんなにも残酷になれるものなのか。 あまりの仕打ちに何度も信仰が揺らぐパードレの様子が辛い。 凄く考えさせられた。 今も世界では戦争が起きている。 神は沈黙を守られている。





スゥ@oneSue2026年7月2日買った読み終わった「ある土地では葉も茂り花も咲こうが、土地が変われば葉は萎え、つぼみ一つつけることはない。」 そういうものは、確かにあるだろうなと思った。胸が痛い。


- ちづ@tizu_01102026年5月21日読み終わったとても面白かった。 自分が信じてきたものの揺らぎと向き合うこと、低迷する思考の中でもがき続ける苦しみが作中では信仰との向き合い方として描かれているが、その苦しみは対象を置き換えられる普遍的なもので、作品の持つ内省と叫びは重く自己と共振する。 また、主人公以外の登場人物にとっての信仰がどういうものなのか、それぞれ考えてみるのも面白い。

本読むひまつぶし。@redpanda_07212026年4月28日読み終わった司祭が思うキチジローと自分の関係が時間経過と共に変わっていくのがよく表現されていて、 司祭が疑問に思って、葛藤していた「神の沈黙」「ユダへの言葉」もドラマチックに描かれている。 映画ほどグロテスクな印象は持たなかったけど、映画以上に信仰について細かく描写されていた印象。 映画も公開当時しか見てないので、うろ覚えだけど…。


- 石川@KEN02252026年4月27日読み終わった自身の信仰がもしかしたら間違っていないか、仮に間違っていたとしたなら自分の人生とは何だったのかというテーマが心を抉る。本作ではキリスト教がその哲学を問うために用いられているが、テーマを自分の好きなものや信じているものに入れ替えて考えると、本作での体験を投影しつつ、自身の信仰対象の真価を改めて考えるきっかけとなった。


キイロノシャクナゲ@dondondontaroo2026年4月23日読み終わったようやく終わった。最後はしゅるしゅるっと終わった。 ただずっとひたすらきつく長く、もうこちらも一緒に拷問されているような気持ちで耐え忍ぶ読書だった。自分が主人公の立場であればと考えるともうどうしようもない。 読んでいて、途中までヨブ記の日本版か?と思っていた。 ここで先に明記しておくが、私はイエス・キリストは人を束ねるカリスマではある確信しているが、神だとは思っていない。クリスチャンの友人をつかまえてひたすらバイブルスタディをしていた、ただのオタクである。 ヨブ記の場合は、旧約聖書を読む我々は天上でのやりとりを知っているから、どんな形であれ神はちゃんとヨブをずっと見ていたしヨブに反応を示していたことを知っており、まだ耐え感があったのだが、これはもうダメダメだった。 もうずっとなんだか見捨てられている感じ。何を思ってこんなことをするのかというヨブ側の視点だけになって、ただ苦しい思いをさせられる。ヨブはあそこまで実験台にさせられても、そこから神ってやっぱ未知なる存在やわって遠い存在にするけど、ロドリゴはそれに加えてそばにいてくれる人と認識してるよう感じた。どうやら癖な正しさだけを導いているのではなく、絵踏の行為ですら神の意志として受けとったらしい。 途中、聖書を読んでいて疑問に思っていたことをロドリゴも疑問に思って心の中で叫ぶシーンが何度もあった。なーんだ、聖職者もそう思うんだと感じていた。 たとえば、全知全能の神が、なぜ自分を裏切るとわかっていたユダをそのまま自分のそばに置いていたか、など。自作自演なの?ユダは見せしめだったってこと?可哀想。みたいに思っていた。ヨブ記に至っても、まだ私の中ではかまちょの人で止まってしまっている。知りたいのに、わからない。もどかしいなあ。 ただひとつ、信仰なんてものはほかのだれとも分かち合えなくても、自分とその信仰先さえが機能していればいい、ほかは関係ないと感じた。
キイロノシャクナゲ@dondondontaroo2026年4月15日読んでるなんなんだろう、なんかあんまり入り込めない。 どういう気持ちのときに合う文章なんだろう…。 宮本武蔵の3が又八の嘘が情けなさすぎて見てられんくなったので逃げたが、これもなかなか難しい。
ドリブル山中@dribble-yamanaka2026年3月21日読み終わった@ 自宅読書会の指定本 フジテレビ問題で渦中にいた元副会長、遠藤龍之介の父は著名な作家だと職場の人からきき 遠藤周作を知り、日本人作家で珍しいキリシタンだとも教えてもらった そんな「沈黙」はポルトガルから日本にやってきた宣教師の話になる ザビエルがやってきてからキリストブームがまきおこった その後、15歳のキリシタンとなった天草四郎が幕府に対し反乱 徹底的にやられてしまい 江戸幕府は、キリスト教を禁じた そこで踏み絵をさせ廃教させていく事が始まった これの流れに乗っかり先輩宣教師がまさかまさかの廃教して日本人として生きているという情報が入り 主人公がどうゆうこっちゃ!と派遣されたという流れ ジョン万次郎とは対照的なキチジローという日本人の案内人 このキャラがまた憎めないキャラとなっている 日本人とは一体なんなのか そこを非常にうまく説明してくれてる 日本人の宗教観ってのもたしかにそうかもと、おもわせてくれた 外国人目線でいけばおのずとみえてくるのかもしれない とにかく、暗い話なのかもしれないがエンタメとして面白く読了した


こよみ@Candy_Noisily2026年3月13日読み終わった再読。丁寧に読んでいたら、めちゃくちゃ時間がかかってしまった… わざわざ十字架にかけて処刑したり(水磔)、「本意から転ばなくて良い、表向き転んでくれれば良い」って言ったり、どういう意味でやってるのか分からなくて気になった。キリシタンをただ罰するだけじゃなくて、屈辱を与えるのが目的になってる? 他にも色々気になったことがあったから、キリシタン弾圧の歴史もっと知りたいなぁ。 長崎に行って、教会を見たり空気を感じてから読むとまた違って感じた。今度は遠藤周作文学館に行きたい…! 追記) アイコンは長崎で見た天使の梯子です まさに沈黙の表紙のようでびっくりしました


オーベルジーヌ@eggplant2026年2月28日読み終わった昔、教科書で一部だけ読んだ時はあまり印象に残らなかったのに、すごく入り込んで読めた。なんならちょっと途中で泣いちゃったぐらい 『魅力のあるもの、美しいものに心ひかれるなら、それは誰だってできることだった。そんなものは愛ではなかった。色あせて、襤褸のようになった人間と、人生を棄てぬことが愛だった。』 刺さるー! 洗礼を受けた時に洗礼名をもらって、転んだ後には日本名をつけられ、最後は浄土真宗で火葬されて、戒名つけられて。ここが結構象徴的だなと思った 某キリスト教系新興宗教2世として生まれた身としては、幼少期の経験は嫌なことがほとんどだったけれども、海外文学やこういうキリスト教系の文学を読むときの素養がついていることは良かったなと思う 谷崎潤一郎賞読もうプロジェクト2冊目

あいとシナモンロール@ai_cinnamon_roll2026年2月1日読み終わったこれからもそばに“沈黙”という言葉、行為、真理、すべてやっぱり心地良い。 序盤、信仰深いロドリゴに対して頭が下がる思いと、揺るがない精神への憧れがあったけど、どこか違和感が胸にひっかかる。 中盤、いよいよロドリゴに対して、いや、それあなた傲慢でしょ!と、終始思い通りにいかない展開にイライラ。 クライマックス、思ってる以上に厳しい真理と、どこかホッとする安心感。 読み終わると、お風呂上がりのリフレッシュ感、心落ち着く温かさ、心地よい温もりに包まれる。 厳しい真理は、みぞおちをキューとさせるけど、ほんとうだから仕方がない。 ほんとうがわかると、やっぱりほんのり明るくやわらかい。
- 西@no_ya_292026年1月18日読み終わった信仰との向き合い方はどうするべきだったのか…あまりにも酷く、これが史実なのに驚きが隠せない。神は全てを赦す、とは踏み絵を行い、信仰に背く行為をしたとしても…なのではと。信仰とは心の中での神への愛がある限り、神は常にそばにいるということを信じることなのではと思ったり。

キーニョ@LL_rocky2026年1月7日読み終わった主人公を揺さぶる展開のひとつひとつがえげつない そうまでして守らなければならない”信仰”って一体……と思っていたところでまさかの展開……! と、いう感じでそもそも物語としてうますぎる(し、それがテーマの掘り下げにもなってる!)


つのぶえ@shofar2026年1月6日読み終わったきつい作品だった。 ①ロドリゴとガルぺの対比 ガルぺは信者たちとともに海に沈むことを選んだ。通辞はそれを「潔かった」と言い、ただ見ているだけだったロドリゴを「卑怯者」と言っていたが、本当にそうなのだろうか。 殉教者の命を背負うということ自体が、人間の負うことができる責任の範疇を超えているのではないか。それを、共に死ぬことによって背負った(あるいは、背負うことを諦めた)ガルぺと、担いきれない重荷を前に固まったロドリコ。どちらが信仰者なのか、とか、どちらが真剣だったのか、とかを問うこと自体が、裁きの座に立っているような感覚があり考えたくない。 ただ、後にロドリゴが選択をした時、ロドリゴがそのような形で責任を負う決意をすることができたのには、ロドリゴがキリストの赦しを体験して、キリストにある意味で委ねたからだったということは、忘れないようにしたい。 ②キチジローについて しょうがないとも思う一方で、時代に責任を負わせ、ロドリゴに赦しを負わせるような態度には憤りと苦しさを感じる。弱さに向き合わないことへの怒り。それは自分の中にもあるという苦しさと、弱さに向き合うためには強さが必要であるのであれば、それは強者の理屈に過ぎないのではないかという苦しさ。 信仰が試されるとき、躓かない人は幸いだと思うが、では、躓く人には信仰はないのか。これは、神にしか分からないだろう。 自分の弱さに安心して向き合うことができるような時間や場所、関係性が支えになると思うけれど、この小説のような時代や状況に、それが得られるかというと…。現代でも、そのような場を果たして体験できるかどうか。 ③日本人の信仰について 根が絶たれて別物になるということは十二分にあり得る。リステラでバルナバがゼウス、パウロがヘルメスと呼ばれたように、それぞれの受容しやすい形に教えが捻じ曲げられることはある。日本ではそれが起こりやすいというのも、検討は必要だがあり得る話だし、いわゆるキリスト教国でそれが起きていなかったかというと、そうは言い切れないと思われる。 一方で、全ての人がそのように自分に受け入れられる形の信仰、キリスト教ではないいわば自分教を信仰しているかというと、ロドリゴの考えの通り、そうではないと自分も思う。問題は、何をどれくらい正確に理解して信仰していれば、救われるのかという点にあるかもしれない。神を完全に理解することは人間にはできない。 ④沈黙する神 使徒たちのように、あるいはモーセのように、直接的に神からの語り掛けを受けられる人は多くない。現代の我々には聖書が与えられていると言われることがし、事実それは大きな恵みであるが。聖書を読んで神の答えを見出す人もいるが、それが本当に神から出ているのか、それとも自分の望みを投影しているのか、どうやって判断できるのか。 祈りへの答えを求めるためには、神が答えたということを知れる形で祈る必要がある。神のことばを求める思いを持って、聖書を読む必要がある。聞く耳のある者は聞きなさい、である。 だが、いつも自分は神に問うているが、本当に問われているのはむしろ自分自身であるのではないか。神が私に問うているその問いを、その声を、聞けていないのではないだろうか。 ⑤自分は、どうか 聖書の中に、自分が迫害され、鞭打たれ、殺された信仰者たちは出てくるが、自分のために身近な者が苦しめられた信仰者はあまり思いつかない。 ヨブの子どもたちは皆死んだが、ヨブ自身がロドリゴのようにその生死を左右する立場に置かれたわけではなかった。 あえて言うのであれば、神ご自身だろうか。神はヤコブが打ち首にされるのには沈黙され、投獄されたペテロを獄中から救い出した。 ロドリゴは、キリストの愛と憐れみと赦しを見出した。パウロやモーセは、同胞のために自分がいのちの書から名前を消されても良いと言った。 自分は、どうだろうか。自分自身の苦しみのために信仰を棄てるだろうか。あるいは、誰かのために神を棄てるだろうか。

こばたく@shorin58842026年1月2日読み終わったロドリゴにとっての神、キチジローにとってのロドリゴ、その相似関係。 自身の弱さを開き直るキチジロー、最後に転ぶロドリゴの違いを見せる物語、その過程で信仰心が問われている
月下の医師@rinrin-11022025年11月12日読み終わった★★★★☆禁教の時代。とある高名な司祭が日本で過酷な弾圧に屈して棄教したとの報告がローマに入る。事実を確認し、現地の信者を救済するためかつての弟子達が決死の覚悟で日本へ潜入する。しかしそこは厳しい圧政と迫害と拷問の嵐が吹き荒れる地獄だった…。 タイトルの沈黙とは一体、「誰の沈黙」なのか。 高尚な歴史小説。見事です。


コビトカバ@sim62025年8月30日読み終わった昔読んだ時はキチジローをどうしようもないやつだと思っていましたが、改めて読み返すと別に普通というか、普通よりマシなやつのように思えてくるのが不思議。 そして逆にロドリゴの方が現実が見えてないというか、常に楽観的に他者に期待し続けているように見えてしまってるので、青いというか若いというか、なんかイライラすら感じるほどでした。 間を空けて再読するのも面白いな。

yayano@yaya72025年8月28日読み終わったまた読みたい未読の名作を読んでみようキャンペーンを静かにおこなっている。手に汗握り目が血走りながら読むのが止まらず、端的にいうとめちゃめちゃおもしろかった………! キリスト教を布教しにくるも排斥される宣教師たち。その3人の運命。愛とは、信仰とは、慈悲とは、祈りとは、弱者とは、タイトルの沈黙とは。 10代までに読むのは読んでもやはりわからなかっただろうなという思いと、たぶんむごすぎて離脱したと思う。いまだからこそ読めたという感覚。すげ〜






𝘪𝘯𝘰𝘳𝘪@fysminr2025年7月16日読み終わった@ 自宅すごい そうか、題名は神の『沈黙』なのか…… なんだか読みながら、ユダは弱い弱い人間だったのだろう、わたしのような、と思った キチジローのように、弱さのあまり泣きながら裏切るような 『そしてあの人は沈黙していたのではなかったのだ。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。』

ゆらゆら@yuurayurari2025年6月24日読み終わった長崎旅に向け読む。起こる事象は激しいのに、それと対照的な淡々とした語りで直線的に進む物語が不思議な印象。とはいえ「海と毒薬」でも感じた語りの仕掛けもあり、歴史叙述、ロドリゴ神父の書簡、三人称視点、候文の切支丹屋敷役人日記と、手が込んでて力作と思った。(24.11.4読了)
- 白湯@uyas_142025年6月12日読み終わった以前スコセッシ監督の映画版を見て、その勢いで原作を読んだ。 キリスト教の人って迫害されようが何されようが「神を信じる自分は絶対正しい!」を貫くことに美学を感じる人が多くて(うちの母親もクリスチャンなので)、ロドリゴももれなくそういう人物像で書かれている。けれどこの話の恐ろしいところは「自分がキリスト教を持ち込んだことで他人が迫害される」ことで。それでもいいの?とこれでもかと問い詰めてくる。 「信仰の形に関係はない。あなた自身がどう生きるかが重要なんだ。それは他人から見て分からなくてもいい。あなただけが分かっていればいいんだ」と遠藤周作先生が言っているような気がした。


こよみ@Candy_Noisily2025年5月20日読み終わった実際の出来事を元にしているなんて考えたくない。 信仰心も人格も段々壊されて、信じる神を疑わなければいけないのが苦しい。 なかなかに難しい作品だったけど、読んで良かった。
Malt@Malt2025年5月17日かつて読んだ死ぬくらいなら信仰なんてすぐに捨てればいいのに、なんて簡単に思えなくなった。だいぶ前に一度読んだだけなので、読み直したい気持ちはある。ふと思い出した一冊。

mizuki@mizukikometa2025年4月19日読み終わった「あの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。」 読みながら、主人公の見ている風景と、彼の心象風景が乗り移ってくる実感があった。 彼は穏やかに最期を迎えられるのだろうか?




うねうね@73uneune2025年4月17日読み終わった🥟🥟🥟🥟🥟 非常に面白かった。書簡や日誌形式の部分があり、視点の変化による叙述の変化がよかった。ページ数と読後感がいい意味で合ってない。信仰の揺らぎ、教皇選挙を見たので面白さが増した。


mizuki@mizukikometa2025年4月13日読み始めた「基督は美しいものや善いもののために死んだのではない。美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、みじめなものや腐敗したものたちのために死ぬのはむつかしいと私はその時はっきりわかりました。」


虫の息太郎@pampapam_13322025年3月6日かつて読んだ大好きな本名作of名作。伝説とされるいびきのシーンより主人公の同僚?宣教師と信徒たちの末路というか殺され方というか、政府による処刑が克明に書かれてるシーンのが衝撃だった。 高校の時に父から「読んでみなよ」と押し付けられた結果ラノベから一般文芸?というかそっち系ばかり読むようになった思い出。返そう〜返そう〜と思ってずっと返してないけど本は互いに借りパク合戦だからゆるして
夏しい子@natusiiko2025年3月6日かつて読んだ苦しい小説だった。 特にキリスト教の人が読むと辛いのかな? フェレイラの「この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない」の辺り、深かったな。 そして信仰心との闘い。 無宗教の人より、他の宗教でも何か信仰している人が読むとじぶんの信仰心と照らし合わせたりして、よりこの小説に考えさせられるんじゃないかなと思った。
はぐらうり@hagurauri-books2025年2月16日読み終わった遠藤周作を初めて読んだ。最後だけわからないけれどこんなに読みやすいのか。谷崎賞なのでそれはそうかもしれないが。 近代文学は読んでおかないとなぁと思いつつ、現代に終始しているのはやっぱりよくないね。

やん@grilledyangyang2023年11月3日読み終わったかつて読んだまた読みたい信仰と情熱に溢れた若い司祭ロドリゴが、棄教した恩師フェレイラを探して、鎖国下の日本へ潜入する。 前半はロドリゴの一人称で進むので、こちらも彼の熱意に感情移入して読むことになるが、読んでいて微妙な違和感を覚えた。 それは、後半から視点が三人称へ変わると明確になる。感情移入していたロドリコを、外側から客観視させることで、読者はロドリゴ自身が気づいていない、異国や弱者への差別心を意識する構造となっている。 若さゆえの情熱に燃えるロドリゴは、自分が受ける苦難をイエスの受難に重ね合わせていく。物語そのものも福音書の構図を踏まえていて、読者に「この主人公は聖人になるのではないか」と思わせる。 ところが、実はそこに落とし穴がある。 ロドリゴは、自分は信仰のために苦しんでいると思っている。苦難に立ち向かう強さを持っていると思っている。 しかしその一方で、「自分はキチジローとは違う」という優越感を持っている。 弱く、何度も裏切り、何度も告解を求めてくるキチジローを嫌悪する。弱者を救おうとして日本へ来たはずの司祭自身が、弱者を見下し嫌悪する。 そして物語の終盤まで続く、 「ロドリゴ=イエス」 「キチジロー=ユダ」 という構図も、最後には大きく崩れていく。 「強さ」と「弱さ」とは何なのか。自分の弱さを自覚してからが、人生の本番なのかもしれない。 ロドリゴが三度、イエスの声を聞くことも象徴的だった。自分をキリストになぞらえ、殉教者としての自分を夢見ていた頃には、本当の意味でイエスの声を聞くことができなかった。 自分もまた弱い人間なのだと気づいて初めて、弱い者の側に立つイエスの声が聞こえる。 「神が沈黙していた」のではない。ロドリゴの側が、神の声を聞ける状態になっていなかったのだ。 その後、キチジローと生活を共にしながら、隠れキリシタンを保護し、信仰を支えていたことを考えると、ロドリゴは江戸のペテロになったのだ。 一方、井上筑後守との問答は、信仰と外交の問題で決定的に食い違っている。 ロドリゴにとってキリスト教は信仰そのものだが、井上にとっては、海外勢力との結びつきを持つ政治的・社会的な存在でもある。 国に守られた環境で「信仰のために生きる」ことを当然だと思っていた司祭と、国内の秩序や海外勢力との関係を考えながらキリシタンを取り締まる側では、そもそも立っている場所が違う。 ロドリゴから見ると、井上筑後守と通辞役は厭らしく、狡猾な人間として映っている。 しかし、彼らにも彼らの立場と人生がある。特に井上筑後守については、彼自身にも昔は信仰する側だった可能性が提示される。 キチジローが「弱さ」の象徴だとすれば、井上筑後守もまた、別の形で人間の弱さを抱えているのかもしれない。 「日本ではキリスト教が根を張らない」というフェレイラの論については、個人的にはちょっとよく分からない。 宗教の教えがその土地の文化や社会に合わせて変化するのは、日本に限った現象ではないだろうし、キリスト教も世界各地で現地文化と接触したことで、様々な形に変化してきたはず。 まあ、そこは本書の主題ではないのだろう。 『沈黙』というタイトルから連想するのは、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、どうしてお見捨てになられたのですか)」という、いわゆる「神の沈黙」と神の存在証明が真っ先に浮かぶかもしれない。 しかし、個人的には宗教がどうこう、信仰がどうこうというよりも、人間は弱さを知らないとね!というお話だと思いました。(作文?)





若公爵@wkksbook1900年1月1日かつて読んだこの問題設定って今の日本人にも有効なのかな。信仰の問題。 少なくとも、カトリックの日本人が40万人、としても、より深部から理解するには幼児洗礼である必要もあるのか? それとも、ごくごく一般に、信仰についての話として処理してしまって良いのか? 考えさせられます。


































































































































































