
ジクロロ
@jirowcrew
2026年4月25日
崩壊概論
E.M.シオラン,
有田忠郎
かつて読んだ
精神が考え出すのは一連の新たな修飾語にすぎない。所与の事実に別の名を与える、というか、つまり同じ不変の苦悩を呼ぶのに己れの語彙をさぐって、なるべく手垢の少ない形容詞を選び出すわけである。人間はいつの時代も苦しんできたが、その苦悩は、時の哲学的視点によって《崇高》だったり、《正当》だったり、《不条理》だったりする。
(p.42)
今の時代、「苦悩」に被せられる形容詞の王冠は
何であろうかと考える。
その時代時代、形容詞の王位の変遷こそが、思想(史)の変遷ともリンクしているのかもしれない。
「『苦悩とは、アーティフィシャルなインテリジェンスである。』この仮説に、シオランならこれにどう答える?」
なんて、AIに聞ける時代であるからこそ、本当の苦悩はまた次の時代へと易々と生き延びる。
(向き合いたくないからこそ、意識的に取り逃している?)
「私はそのベールを剥ぎ取って、生々しい傷口を展示したいわけではない。そうではなく、ベールが隠していた『内面的な真実』を想像力によって再構築したいのだ」
(『「他者」の起源』トニ・モリスン)
文学的な(モリスンその人の)立場からすれば、その形容詞は「ベール」として保たれる。
「傷口を展示」することにより、他者の苦悩もまた消費や所有の対象となってしまう。それを避けることがモリスンの倫理性であるとも言える。
「生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく(疑いぬき、そしてようやく生の意味が明らかになったひとが、それでもなお生の意味を語ることができない。その理由はまさにここにあるのではないか。)」
(『論理哲学論考』ウィトゲンシュタイン 六・五二一)
『崩壊概論』が書かれることにより、本当の「崩壊」は先延ばしにされる。シオランはそれをどのような思いで書いたのか、真相はわかりえないが、自分にはそのように感じられる。
それは「崩壊」そのものではなく、「崩壊」、その「問題の解決」から守るための冗長に満ちた襞だらけのベールであると。
苦悩も問題も、完全に消滅することはない。
正面から語ることもできない。
それはベールの材質の変遷と気分という風による揺らぎによる明滅であり、変化を伴う反復運動はないか。
語ってしまえば、消費や理解という「暴力」に回収されてしまう尊厳。そこに虚無というアプローチで崩壊させようとあえて試みるシオラン。
「手垢の少ない形容詞」、そのベールが本物であればおのずとそれは血潮に染まる。
モリスンの求める「想像力」とシオランの求める「持続力」の狭間で、もう一度自分の問題を考え直してみる。
