糸太
@itota-tboyt5
2026年4月26日
語るに足る、ささやかな人生
駒沢敏器
読み終わった
似ているけど何かが違う…ような気がするのだが、それは一体なんなのだろう。
本書の舞台であるアメリカのスモールタウンを取り巻く状況は、数十年の差こそあれ、現在の日本にも共通している。国道を迂回するバイパス沿いには、大型のチェーン店が次々と進出し、日本中どこも同じような風景に変えてしまっている。若者は土地を離れて高齢化が進み、地場産業には明るい未来が見通せず、村落共同体は弱体化の一途をたどる。
これに抗う動きも似ている。地方への移住を選択する若者は増えており、都会生活にはない人々の強い繋がりに、様々な社会問題を解決する糸口を見出したりしている。昔からの住人も自分たちの土地を見つめ直し、たとえば伝統行事の継承などを通じて、誇りを次世代へ繋げていこうとしているケースも多々見られる。
どの話もそのままスモールタウンに置き換えられそうだ。では、何が違っているというのか。まず初めに思いつくのは、目の前に広がる景色の雄大さである。
本を読んでの想像に過ぎないが、スケールの大きさたるや、日本ではとても体験し得ないものなのだろう。しかもこの「アメリカの大地というのは、基本的に不気味だ。うつすらと、しかし確実に気味悪い」と、著者の駒沢さんは感じ入っている。
あまりの大きさに気味が悪い感覚は、ポジティブにもネガティブにも働くに違いない。ふと、人智を超えた神のような存在が思い浮かぶ。望もうが望むまいが、大きすぎる景色に抱かれたスモールタウンは、あまねくこの存在の下にある。そして、この環境こそが、本書に登場する人々の、地に足がついた「自己肯定感」に直結するような気もするのだ。
すると、スモールタウンの住民がそれぞれに担っている「役割」も、すこし違って見えてくる。つまり、神のような大きな存在から与えられた「役割」だからこそ、揺るぎない自信を持ち得て暮らせているように思えてくる。
これは日本の場合とは少しニュアンスが違う。もちろん人口の少ない村落共同体で、与えられた「役割」によって責任が生じ、生きがいを感じることはあるだろう。自分の仕事が目に見える誰かのためになっていたら嬉しい。「ここにいていいんだ」という想いはより強く持てる。
でも、その「役割」を与えたのはあくまで共同体である。自分と同じ地平に立つ人間である。相対するのが山や海といった自然だとしても、それらはまだ応答可能な距離感の中にある。たとえ災害などの猛威に一方的に見舞われても、「何でだよ」と呟けるくらいの関係性はある気がする。
アメリカのスモールタウンと圧倒的に異なるのは、この点ではないか。有無を言わせぬほどの大いなる存在を、誰もが大前提として受け入れていること。あまりのスケールギャップを前にして、誰もが肩の力を抜いてフラットな人間関係を構築しているようにも見える。
もちろん単純に比較できる話ではないだろう。でも、こんな風に考えを巡らせてみたことで、今まで出会ったことのないアメリカの表情が垣間見えたようにも感じるのだ。
近ごろ、アメリカの負の側面ばかりを見せられ続けている。このタイミングで本書を手に取れたのは、本当に運が良かった。復刊に感謝!!

