
食いしん坊ちぇりぃ
@yummyyummycherry
2026年4月26日
私が間違っているかもしれない
ナビッド・モディリ,
キャロライン・バンクラー,
ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド,
児島修
ちょっと開いた
KindleでDLしてること言ってなかったら、どこかで推薦されてて気になったからと夫が日本語版を今日買って帰って来た📕奇遇。児童書は英語/日本語両方持っている本が割とあるけど、大人の本で同じ本の言語違いが家にあるのは初めてかも。
日本語だとどんな印象かなーと、読み終わったところをパラパラ見たんだけど、なぜか日本語になると説教くさく感じちゃう不思議。英語版は語りかけて来る印象だから、日本語訳も口語体だったらすんなり入ったかもしれないと思った。原文にはあたれないから元のニュアンスはわからないんだけどね。訳文それぞれ違う味わいがあり面白い。
**以下半分ちょっと読んだ時点の感想**
なんかさー、自分が絶対に正しいと確信を持っている人なんてそもそもいなくない?と思うの。間違ってるかもって思いは大抵頭の片隅にはあるのでは。これは日本人だからなのかな。西洋人はみんな確かに自信ありそうだもんな。
正しいかどうか、間違っているかどうかは分からないけど、現代社会を生きていくためには選択や決断を積み重ねる必要があって、決断するにあたって自分自身がブレないように判断基準を腹落ちさせて、その結果の責任を取ったり、違ったな間違えたなと思ったら調整していくことしかできないわけじゃん?
周囲の人をありのままに受け入れられる寛容な心とか、正しさに固執しないこととか、そのために瞑想が良いよってのはわかったけど、じゃあ子育てや人材育成の現場での導き方とかさ、パートナーシップで意見の相違があった時に、どう現実世界で折り合いをつけていくのかみたいな話はこのあと出て来るんですかね、ずっとこの調子ですか?というキモチ。誰よりも寛容でそれを実践してるのは森の坊さんじゃなくて托鉢でごはんくれるタイの農村の人たちじゃね?とか思っちゃったよ。
何言ってんだ、わかったと思うな、自分はまだまだわかってないと思う心が大事、瞑想しとけ、って言われちゃうかしら🤭
**4月28日読了**
読んでいるうちに「前提としている精神性が違うな」と感じて、途中から西洋人が体験した僧侶生活体験記として興味深く読んだ。
本の中に出てくる仏教/儒教/東洋哲学的にルーツを持つマインドって、日本人だと既に部分的にでもインストールされている気がする。
タイトルになっているmagic mantraとして紹介されるI maybe wrongも、常識や当たり前を疑うこととか、新しい視点でものをみようとすることについて説かれているのかと思ってたら、人と摩擦が生じたときに唱える言葉として出てくるのでズコーとなるというか。日本でもビジネスでは摩擦を恐れず合理的に物事を進めるシーンも勿論あるけど、ベースとしては聖徳太子の時代から続く「和をもって貴しとなす」精神が国民的に根付いているわけで、衝突回避優先でまわりと協調して物事進めていくカルチャーだからさ。。。そうすると日本においてはI could be rightくらいの逆張りマインドが推奨された方が良い気もした。
ビョルン氏に対して厳しい戒律を守り修行を重ねた末に悟りきった高潔な僧みたいな勝手なイメージを抱いていたけど、かなり人間らしい人物で、寛容であることや許すことを説いている割にSNSで寄せられた意に沿わないアドバイスに怒ったり毒づいたりしていて、そこは親しみを感じた🤭
ふむふむ、へぇーとおもったところは洋書投稿の方で引用しています。



