私が間違っているかもしれない
私が間違っているかもしれない
ナビッド・モディリ
キャロライン・バンクラー
ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド
児島修
サンマーク出版
2025年7月17日
298件の記録
汐見@siomi2509272026年3月22日読み終わった個人的にはあまりハマらない本だった。 森林派の仏教の修行を積んだスウェーデン人の元僧侶の、人生の見方に関する気づきなど。 20代でCFOのキャリアを自ら捨ててタイの僧院に入った理由、修行を経ての心境の変化がさらっとしか書かれてないので、内面がもっと描写されていると自分には良かったのかなーと思う。本書を文章にまとめたのは本人ではないらしいのでそれも影響してるのかな。 書いてあるのは良いことではある。家族に恵まれた人。

読書日和@miou-books2026年3月21日読み終わった著者のビョルン氏は、スウェーデンでエリート教育を受け、若くして経済界で成功。 26歳でCFOに就任するなど、華やかなキャリアを築く。 しかし心の空虚感と違和感に耐えられず、すべてを手放して出家。 タイの森の僧院で17年間、厳しい戒律のもと修行に打ち込む。 修行を終えてスウェーデンに戻ったあと、うつ病を発症してしまう。 人間の思考はこんなにも影響を受けやすく、もろいものなのかと驚かされた。 ただの成功体験の物語ではないところが、この本の深さだと思う。 読んでいて特に心に残った言葉。 「まず自分自身を思いやることができなければ、他者を思いやる心はもろいままである」 自分に批判的で厳しい目ばかり向けていると、苦しんでいる人を本当に助けることは難しい。 ああ、これは自分のことかもしれない。 そして現代社会にもよくあることかもしれない。 完璧を求めすぎず、 「自分はできる限りのことをしている」と考えること。 そして「他人もまた、できる限りのことをしている」と考えること。 とても沁みた。 自分の体に感謝し、もっと大切にしよう。 そして、自分の思考=自分ではない、ということに気づき続けたい。 読んでいて励まされることが多かった一冊。 これは自分へのメモ。 ======= 「瞑想したら、心が静まるはずだ」と考えているが、それは大きな誤解だ。静かな心を持つのは死人だけだ。生きている限り、私たちの知性は働き続ける。 これらが「思考」であり、事実ではないことは理解しなければならない。 永遠に変わらないものはなにもない。困難な時期でさえも。 私たちは自分の思考を選べない。思考の形をコントロールできない。 心に何を浮かべるかはコントロールできない。私たちが選べるのは、その考えを信じるかどうかだけだ。 人生で確実なのはただ一つ。いつか終わりが来るという事だけ。 それ以外のすべては、どれもが不確実な希望や恐れ、思い込み、予想にすぎない。

いつか@youandme2026年3月14日読み終わった最後のほんの数行で涙が止まらなくなった わたしが大事にしたいこと、はっとさせられることがたくさん詰まっていた本でした🕊️ きっとまた読み返す日が来ると思う

森々@mori_hkz2026年3月11日読み終わった仏教の教えを学んでいる人からしたら既出な考えかもしれないが、西洋人で改宗をして各国で僧侶として活動したからこそある物語の新鮮さがあって面白い。 ・心の苦しみは自分から出たもの ・神や他人が行いを見ているのではない、自分が見ている。自分を裏切らない ・全てのものはなくなる ・こうあるべきと考えず、自分も他人もそのままを受け入れる。自分の思い通りにはいかない ・自分が正しいと思い固まるのではなく、拳を開くように、自分は間違っていると思い柔軟に接する ・因果応報、善きも悪いも返ってくる ・自分の人生を信頼する このあたりが身に染みた。 特に生きていて信頼が残るというところが初めて出会った。相手との信頼だけでなく、自分が自分の人生に持つ信頼(大丈夫だと思うことなど)は発見。








- nao@nao_10042026年3月9日読み終わった自己啓発本と聞くと少し身構えてしまうけれど、この本の内容はすんなりと頭に入ってきた。若くして成功した筆者が、心機一転、東南アジアのお坊さんとして過ごした経験を綴った本。「人生に対する信頼感」という言葉は、日頃ぼんやりと自分の人生に対して考えていたものに形を与えてくれた気がした。


みっつー@32CH_books2026年2月27日読み終わったはじめはタイトルに惹かれただけだった。 「私が間違っているかもしれない」 ここ最近、人と話をしたり、SNSを見たりしていると、「正義」と「悪意」がフィルターを通すことなく吐き出される瞬間をたびたび目撃していた。 その度に私は「この人たちが言っている正しさは本当に正しいのだろうか」と思っていた。 それはときに、自分を守るため、他人を守る(守っている気になっている)ために振りかざされる正義、一般論であり、そこに本当にあなたが考え出した正義はあるのだろうかと考えてしまう。 誰かが誰かに「正義」を振りかざすとき、相手の「正義」は無視される。 そういった議論が行われた末に存在しているのは、そんな勝ち負けや、白と黒をはっきりさせなくてはいけないものなのだろうか。 「私が間違っているかもしれない」 この言葉は魔法の言葉だ。 その呪文は自らの「正しさ」を殺すものではない。 相手の「正しさ」を受け入れようとする姿勢だ。 人は誰でも、自分のことを多かれ少なかれ合理的、理性的で、現実的に物事を考えられる分別のある存在だと思っている。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.48 これらの違和感は慢心だ。 自分よりも知識のない相手、立場が弱そうな相手、間違いを犯した相手に対して、人は容赦なく正義を振りかざす。 私自身にだってそういう感情がゼロで、全く感じたことがないのかと聞かれれば、それは嘘になるだろう。 陰口や、悪口で、人との距離を縮めたことがないとは言い切れない。 しかし、その日の帰り道はどこか、胸に痛みを覚えたりもする。 「なぜあんなふうに言ったしまったのか」とか「むしろ相手に嫌われてしまったのではないか」「もしかすると今日話した内容が本人に伝わってしまうのではないか」など、負の感情が巡り始めてしまう。 何度もいうように、幾許かのそういった状況に巻き込まれたり、踏み込んだりしてしまうのは、人間社会で生きる以上仕方のないことである。 だが、自分を顧みることなく、相手の言い分を無視して、自分の正しさを主張し続ける姿勢に、納得することはできない。 誰かに対して「こうあるべきだ」と思ったからといって、その人がその通りの人間に生まれ変わったりすることは絶対にない。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.86 人にものを教えたり、ときには怒ったりするのはとても難しい。 皆誰しもが引用部分のようなことを、なんとなく理解しているからだ。 人には人に合った教え方や、怒り方、受け取り方があり、けれど、自分への責任の重さなども相まって、それらの気遣いを忘れてしまう。 むしろ、気遣う必要などない、というふうに思う人もいるかもしれない。 私は「こうあるべき」の「べき」の部分は、特段強く否定はしない。 「べき」の部分をどのよう伝えたら、相手は、相手なりの「べき」を感じ取ってくれるかが重要だと思う。 自分が「毎日勉強をするべきだ」と相手に伝えたいのであれば「毎日勉強しないことでのデメリット」などを自分の体験などを通して説明した方が相手に伝わるかもしれない。 相手を、自分が求める人間に仕立て上げようとするのではなく、相手の考えを受け入れたうえで、どのようにすれば自分の考えを伝えられるかということを意識するのが、コミュニケーションなのではないかと、私は思う。 自分に対して優しく寛容になれば、自然と周りの人たちにも同じように接することができるようになる。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.237 ここまでかなり他者に対しての言葉を連ねてきてしまったけれど、それは自分自身にも言えることだ。 とにかく自分を大切にする。 人にばかり向けている目を、自分の内側へと向けてみる。 自分は、自分が思っているほどまともではない。 だからこそ、そんな「まともじゃなさ」を認めてみる。 すると、相手の「まともじゃなさ」も自然も受け取れるようになる。 嫌な言葉遣いをするあの人も、あの人なりの生きてきた環境や、育てられてきた環境で培ってきた言語なのかもしれない。 そこに、「悪意」はないのかもしれないし、あるのかもしれない。 大切なのは、完璧を求めず、「自分はできる限りのことをしている」と考えるようにすることだ。また「他の人も同じように、できる限りのことをしている」と考えよう。 ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド、キャロライン・バングラー、ナビット・モディリ(訳:児島修) 『私が間違っているかもしれない』p.238 しかし、それでも相手は相手なりに大変なんだと、認めてあげることで、今ネットで感じているようなモヤモヤを少しでも軽くすることができる。 まぁ、そもそも見なくていいという意見もあると思うけれど、さまざまな思考が渦巻いているSNSは、あれはあれで面白い。 受け入れない姿勢でSNSを活用するのではなく、受け入れた上で、どんな感情を抱いて、でも、「間違っているかもしれない」という一歩引いた目で見ることで、新しい景色に連れてってくれる可能性を、私は信じたい。 勝ち負けや、白と黒にばかり気を取られないように、色んな意見を取り入れつつ、生きていきたいものですね。


ぽんさん@lijitee122026年2月23日読んでる@ 自宅「知識は、知っていることすべてを自慢する。知恵は、知らないことすべてに対して謙虚になる」 p.112 変わり者たちとの共同生活 森の僧院での生活 ティッシュディスペンサーに記された知恵
mimosa@mimosa0092026年2月10日読み終わった借りてきた〝私が間違っているかもしれない〟 〝拳骨を緩めて5本の指を開くように思考を手放す〟 大切にしたい言葉がたくさん。たまに瞑想をするとき「今ここに意識を」というのが上手く出来ないんだけど、過去と未来の概念のくだりを読んで「今ここ」がちょっぴりわかったかも。
Ropa@Ropa_282026年1月31日読み終わった#読了 私が間違っているかもしれない/ビョルン・ナッティコ・リンデブラッド 20代でビジネスで輝かしい成功を収めた著者が突然会社をやめて僧侶になる話。あらゆる修行を経て、真に満たされる生き方とは何かを学んでいく。 ちょっと心がやさぐれている時に読んだせいで、そんな事頭じゃわかってんだクソーという気持ちで読んでしまい…結果あまり刺さらずでした。 この本もまた、然るべき時にわたしに刺さる日がくるのかもしれません。それまで本棚で待機していてもらいましょう…。



とり@torikawaniku2026年1月28日読み終わった「私が見ている」無意識に感じてはいたけど、今まで持っていなかった視点だった。自分が重荷を持たないために誠実に生きる(意訳)というのは、自分もそうやって生きたいと思った。 繰り返し読み返したい本だと思う。


ばま@33yen2026年1月21日気になるこないだ文喫で見かけてちょっと気になるなぁと思っていたら、今さっきインスタでJIRIKOさんが載せてはるのを見た。世界的ベストセラーらしい。ますます気になる。


shima@shima122026年1月11日読み終わった『私が間違っているかもしれない』冷静になると分かることだが、モヤモヤや不機嫌なときは忘れてしまう。自分は知っていると思ったときは、視野が狭くなっている証拠だと思って、自分の知らなさを思い出したい。
にこ@nikoniko21502026年1月3日読み終わった大手企業の重役にまで残り詰めた主人公が出家し、様々なことを学んでいく話、この本は久しぶりに何回も見返す気がする本だった。少し時間を経ったら マーカーを引きまくりながらもう一回読みたい。 月並みだけど、印象に残った言葉は正しいことが重要じゃないと。相手に怒りを持っても相手には影響はないが、自分が苦しめられるだけという言葉よくある言葉だが、その背景の陰ですっと入ってくる
おとわ@otty12112025年11月22日読み終わった感想この本を読んでいる間は、僧侶が話し掛けてくれてるような感覚になる。 始終ずっと瞑想しているかのような本。 それでいて、ふと、あれ、私ってブッダの元で生きてるんだろうか、と思うほど近い感覚なんじゃないかと思った。 心の中に空白を作ること。 今の世の中だと、常々たくさんの情報が入ってきて脳が休まる暇がない。 私たちが一日で触れる情報量は、江戸時代の農民が一年で得る情報量らしい。 あまりにも脳みそがギュッとなり過ぎている。 私は娘が習い事に悩んでいた時、習字を勧めてみた。 忙しい世の中で、何か目の前のことに静かに向き合える時間があれば、それはリラックスになるかなと思った。 習字を習ってた友達が口々に「あの空間が好きだった」と言っていたからだった。 瞑想を兼ねた習い事になるかなと思ったのだった。 字は下手なんだけど。 私も私で、仕事と家事と育児と推し活から離れて読書をするのは、半ば瞑想に近いのかもしれない。 人によって頭と心を空っぽにする方法は違うのかもしれないけど、何か、手のひらを開放するような方法を持っておくのは生きる上で武器になるんだと思う。 ちなみに私は全く著者の紹介を読まずに、この本を読み始めたのだけど、途中でふと立ち止まって表紙に戻ってみたら、はああああああとこの本がベストセラーになる理由が分かったような気がしました。 ——————————— 理性を休ませて、静かに心の内側に目を向け、耳を澄ますことが、おそらく今ほど難しく、必要とされる時代もない。 理性は召使であり、直感は神の贈り物である。人間は召使を敬い、贈り物を忘れた社会をつくった。 混沌は人を戸惑わせる。だが、無理に秩序を強制しようとすれば、すべてが台無しになることもある。 赦すことがいかに自由への鍵になり得るか 心を感情に占拠されないようにする





おとわ@otty12112025年11月20日買った読み始めた理性を休ませて、静かに心の内側に目を向け、耳を澄ますことが、おそらく今ほど難しく、必要とされる時代もない。 理性は召使であり、直感は神の贈り物である。人間は召使を敬い、贈り物を忘れた社会をつくった。
にこ@lalecture8232025年9月24日読み終わった直感に従う 自分の内側に耳を傾ける 私の身体よ、今日もありがとう 誰も見てない けど自分は見てる この本でいいなぁ、と感じた部分には 「他人の目線」は無かった どんな人生にするかは自分で決められる






oyui@ii33_2025年8月31日読み始めた私はずっと経済に興味があるふりをして自分の役割を演じていた。しばらくは、なんとかごまかせた。だが、いつか自分を騙すことができなくなる日は訪れる。仕事は、私たちが1日の大半の時間を費やすものだ。だからこそ、心の深い部分に栄養や刺激を与えるものでなければならない。ーこのような充足感は、ー一緒に働いている人たちとのつながりを感じたり、自分の仕事に有意義な何かを見出したり、自らの能力を十分に発揮しているという手ごたえを覚えたりすることから生まれるものなのだ- miw@miw2025年8月27日読み終わった自分の意見や感情を表に出すことだけが正しいわけではない。 相手を思いやり、今、目の前の出来事をそのまま「見る」ことが大事。過去の感情や未来の不安で、今を見れていないことが多い。













































































































































































































