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食いしん坊ちぇりぃ
食いしん坊ちぇりぃ
食いしん坊ちぇりぃ
@yummyyummycherry
読み終わる本は読み始めた本のうち3冊に1冊。すぐ別の本に浮気します。 私はどうしたって私1人分の人生しか生きれないから、本を通じてちょっとでも他の視点からものが見られるようになりたい。 いつもゴハンは食べすぎているし、いつも本を買いすぎている。
  • 2026年8月21日
    マイフィンランドルーティン100
    フィンランド土産貰った❣️
    マイフィンランドルーティン100
  • 2026年8月16日
    〈私〉を取り戻す哲学
    夏休み終了とともに読み終わった。なんで夏休みに読む本としてこれを選んじゃったのかというと、ここ最近、家族/職場/友人の意向や期待に沿うように振る舞いがちな自分自身に疲れてしまっていたからだ。私はどうしたいんだっけ、もっと利己的になりたいけどそれってどうやるんだっけというのを、新しい視点から考えたくてタイトルの前段に惹かれて手に取った。 その答えを得られたかというと少し違った。哲学の本だったからね。 ちゃんと!タイトルを!最後まで!読んで!1週間前の私!!! でもまぁ面白かったかな。抽象的な思考実験的なものが書かれていて、大学の教養課程の授業を受けてるみたいだった。 この本によると〈私〉を取り戻すためには ⚫︎色んなことを鵜呑みにせずにホントかよー的な姿勢でもって自分の頭で物事を考えて ⚫︎誰かがパッケージ化してくれたわかりやすく良さそうにみえるものに軽々に飛び付かず ⚫︎すぐには結論が出ない場合は判断を保留して(=エポケー) ⚫︎自分の意識体験に照らし合わせて考えて、でもそれには限界もあるから他の視点からも想像して考えたりして本質を見つけようとしつつも、違うこと言う人もいるから尊重しあおーね ⚫︎とにかく〈私〉の内側に目を向けて〈私〉を取り戻していこ!これが新デカルト主義の提案だよーん という風に私は理解しました。 これは哲学的には何か独特な提案なのかな…?この考えに至る道筋を哲学的に示すことに価値があるのかな…。情報過多な世の中で冷静にものを見る上では、当たり前田のクラッカー過ぎる姿勢なのではとか思っちゃったよ。あとエポケーだけど、元来日本人はエポケーの実践、得意なんじゃなかろうか。 私が元々考えたいなと思っていたことと、少し掠ってる気がしたのはココかな: 「他者との時間は不自由を伴う。他者が目の前に存在しているだけで、それを黙殺するのは難しいし、そこに何らかのコミュニケーションが発生するからだ。誰かと一緒にいるだけで、〈私〉の自由は制限される。しかし、自由と責任を一人で背負い込もうとするとき、それが生きていく上での重荷になることもある。つまり、自由であるがゆえの憂鬱がある、ということだ。(中略)誰かと一緒にいる、ということは、互いの自由を、いい塩梅に、減じあう作業でもある」(p233) →確かに、人との関わり度合いを減らして自分の自由度を増やせたとしても、ひとりじゃつまんないな、じゃあ多少不自由だったり削られたりしても一緒の方が良いかな、そこで良い塩梅を探るしかないんだよな、と思った。良い塩梅とは。そこが難しいのだけど。 ちょっと慣れないタイプの本で頭が疲れたので、次はしょーもないくだらない本を読みたい。
  • 2026年8月11日
    〈私〉を取り戻す哲学
    夏休み1日目の朝、読み始めた。 この本で著者は情報過多の社会において自己の存在の確からしさがしぼみ、自己から切り離された情報や関係性のネットワークだけが広がっているなかで、どのように自己を取り戻していけるかについて論じてる、、、たぶん。 その中で、動物化というワードが出てくる。他人に承認してもらうことではなく自分が夢中になる、内的なエロスに軸足を置く状態らしく、例としてオタクの消費が挙げられている。これは『イン•ザ•メガチャーチ』で“視野を狭くする”というような表現で言及されていたことと通じているなと感じたので、備忘メモ✍️あの“視野を狭くする”という表現がなんかわかるようでわからず、ピンと来なかったのよね私。この本ではその辺よく理解できるように書かれている気がする。 衣食住に困らず物質的に満ち足りている我々は、欲しいものを自分で見出していかないといけないという大変贅沢な問題に直面しているよね😅 「欲望の大半が簡単に充足されうるとき、私たちは何が本当に必要なのかを自分で選ばなければならなくなる。それは選択すること、一言でいえば、『自由』をわがものにすることだ。しかし、自由を飼いならすのは簡単ではなく、それはこの時代に現われた本質的に新しい課題なのである。だとすれば、食傷精神が感じている退屈には時代的な理由がありそうだ。」(p30-31)
  • 2026年8月5日
    コンビニ人間
    コンビニ人間
    主人公・恵子の友人や妹、同僚といった「こちら側」の人たちは、決して恵子のいる「あちら側」にはならない。社会の一員として生きていくためには、恵子の方が「こちら側」を観察し、似せる努力をし続けるしかない。それでも完全に馴染むことはできないということを、わざわざ白羽が突きつけるのやめてー🥲まぁ恵子自身にはダメージゼロだけど😅白羽はなんだかんだ「こちら側」の人間だよな。 困りごとを抱えるお子さんがいる親しい友人が「ほかの子なら成長過程で当たり前にわかるようになることやできるようになることが、うちの子だけわからない、できない…辛い」と吐露していたのを読みながら思い出した。昔と比べると色んな人がいることが広く認知されるようにもなってきているし、適材適所で一緒に社会をまわしていけたら良いよね…コンビニ人間上等じゃん、て思った。 でもそれと同時に、私自身は色んな人を静かに眺めることはできても、結局同質性の高いコミュニティに属している方が居心地が良いというのは否めないというズルい本音も自覚しちゃった。なんつーか、自分がいるコミュニティ内にも色んな人がいるって思ってたけど、この本に出てくる恵子みたいな人はいない(か、極めて高度な擬態をしてくれている)んだよね。。。私が見てる“色んな”の幅はすごく狭いんだろうし、俯瞰で見るとほぼ同質なんだろうなとか思って。多様性って難しいね。
  • 2026年8月3日
    ファイア・ドーム(下)
    下巻は冒頭のスピード感が凄まじかったな。物語の真相が明かされるより何ステップも手前だけど、クライマックスかなと思わせる緊張感が続いた。。。光ちゃん見つかって良かったー!!! 光ちゃん監禁の真相は想定展開からのギャップが大きく、展開に少し無理があるようにも感じ…更にカネコ兄弟がもたらす情報から25年前の事件との繋がりが明らかになるあたりで、物語のスケールが大きくなった。そのぶん少し「お話」としての印象が強くなって、後半は夢中で追いかけるというより、少し距離を置いて読んだ。 下巻でリアルだなと感じたのは地元の東京に帰った美冬が恵比寿で友達と会うシーン。特定コミュニティで大騒ぎされていることでも、そこを離れると一気に無風ってことはよくありそう。都会なら尚更。引っ越しを繰り返していた暁が今は大阪で家庭を持っているところも、土地を離れ大都会に暮らすことで、コミュニティからの離脱が可能であることを示していたよね。 作者はどう言う意図で舞台設定をしたんだろうなぁ、、、地方の方が人間関係が濃くて湿度高そうという偏見じみたイメージは私も持っているけど、令和の今もそうなのかな。都会の人は自分の人生に夢中で、まわりのこと気にしてないというのは実感としてあるけど、なんとなく舞台設定に地方蔑視とまでは言わないけど冷めた固定観念を感じてそこは少しひっかかったな。 最後のシーンは美冬が救われる形になるようにあの場所で終わってるんだろうけど、私は物語の中で属性的に近いのは母親たちなので、また子供達だけで心配でたまらなくなるような場所に行ってしまっていて胸がザワザワしちゃったよ。
  • 2026年7月31日
    生きる言葉(新潮新書)
    30年モノの恋は、若造には歌えない。 元カレとの30年ぶりの再会を歌った歌に悶絶。 「どうだった?私のいない人生は」聞けず飲み干すミントなんちゃら(p85) ともすれば記憶に残らない瞬間を写真のようにキャプチャする俵万智さんの短歌、大好き。 ファイア•ドーム下巻を読みたい気持ちを抑えて、返却期限の迫るこちらの本を急ぎ読み進めていたけど、急いだら勿体無い。じっくり味わいたい本だった。
    生きる言葉(新潮新書)
  • 2026年7月29日
    ファイア・ドーム(上)
    上巻の半分ちょっと読んだ。次々とやってくる不穏な展開に先が気になり、つい夜更かししちゃった。 美冬と透真の飲み屋デートの会話のところだけ説明調で冗長な感じはしたけど、それ以外は結構物語の中に入り込んだー。特に事件後初の透真との電話シーン、からのー、知り合いからLINEの嵐という流れはリアルに心拍数上がる臨場感で、胸のザワザワがすごかったな、、、 透真の電話はさ!恋人としても職業人としてもダメでしょ!あんなの!大変な状況に寄り添う恋人としても、ヘビーな取材依頼をする記者としても、そこ電話じゃないだろ!電話で家にいることを確認したなら会いに行ってまず寄り添って、職業柄やむを得ないお願いするなら様子見ながら誠心誠意言葉を尽くせ!キィィィ!ってなったわ。 1番お気に入りの登場人物の速斗くん、、一樹と一緒にこうちゃん探しに行くの…?大丈夫…?そわそわ… (ここから読了後) なんとも緊迫感のあるぞっとするシーンでおわた…。透真が事件後に一度も美冬に会いに行ってないことにプリプリしていた私ですが、もはやそれは大筋からは瑣末なことのように思えてきました。透真は現実味云々じゃなくて話を転がすために作者にとって都合の良い動きをするキャラクターなんだろうな…。謝罪する担任に声をかけるおじいちゃんとこうちゃんママは人間ができすぎていて、ここも少しリアリティに欠ける気がしたけど、既に過去に地獄を見た経験のある人たちはこんなに達観できるものなのかしら。 心配する気持ちと、軽い気持ちで噂話をすることは矛盾せず両立する。我が身を顧みても、すごく実感をもって理解できてしまう。物語がそれを突きつけてきてドキッグサッと痛いところを突かれるような感覚になった。それと同時に、人の心が通うそれなりにウェットなコミュニティに属している社会的な生き物である以上、自分たちに関わり得る事柄にまつわる懸念事項を伝聞形式で共有していくことは避けられない気もする。それが耳目を集める出来事や不特定多数が消費するエンタメ要素となってしまった時に、オールドメディアやらSNSやらの伝播力が大きく作用して、ただの噂話がどこまでも果てしなく拡散していってしまうんだろうな、、、。でも私の実感が及ぶのは、顔の見えるコミュニティでの噂話までだった。リアルでは一切関わりのないスクリーンの向こう側の人に辛辣なコメントを書き込む心理までは、まだ私にはうまく想像できないな。 タイトルも凄いね。スノードームの雪が赤かったとしたらファイアドーム…噂の対象になってしまった人たちはそのドームに閉じ込められているのだと示す比喩。映像喚起力がすごくて、ドームの中で赤い火の粉が何度沈んでも舞い上がる様が目に浮かんだ。 いざ下巻へ。
  • 2026年7月25日
    ババヤガの夜
    随分前にダガー賞受賞のニュースでこの作品の存在自体は知ったのだけど、喧嘩の強い女がヤクザの娘の護衛をするという設定にあまり興味を持てずに…というか暴力描写が苦手なので忌避感から読み損なったままでいた。 でもたまたま読んだめちゃくちゃ面白いエッセイと同じ作者だと知って、なら好きな文章かもしれないと文庫本を買ったら一気読み。途中、整骨院に行く時間になって読むのを中断しないといけなくなったんだけど、行く途中の信号待ちでもつい読んでしまうくらい物語に引き込まれた。なんでミステリー文学賞を受賞したんだ?と不思議に思いながら読んだけど、終盤になり自分がまんまと仕掛けに引っ掛かっていたことに気がついてなるほどーと。 暴力描写はヒィィとなるものの、基本的に悪い奴がやっつけられていくから痛快だった。柳…!好き。 なんとなく食指が動かないと思う作品でも、読んでみたら自分とマッチする本もきっとたくさんあるんだろうなーと気付かされた。
  • 2026年7月23日
    宇宙兄弟(46)
    ムッタヒビトおかえり! 救出&帰還成功おめでとう!! 46巻分のありがとうを小山宙哉さんに!!!
    宇宙兄弟(46)
  • 2026年7月16日
    40歳だけど大人になりたい
    私も40代だけど大人になりたい。 以前地下鉄のホームで角ハイボールのポスターが目に飛び込んできた。私は井川遥さん出演のCMシリーズが大好きで、あのバーの店主に理想の大人の女性を感じていたので「私もあんなふうに大人っぽくなりたいと思ってるんだよね」と隣にいた夫に言った。すると怪訝な顔をされ「大人っぽいって何。あなたもポスターのあの人も大人通りこしておばさんだよ」と言われた。井川さんと同じ括りで語られ、内心かなりはしゃいで喜んだものの「いや、違うんだって、あの髪の毛長くて色気みたいな憂いのある目をしてる大人っぽい感じになりたいんだよぉー」と駄々をこねた記憶がある。大人どころか、さらに手前の大人っぽさを目指そうとしていた。その意識は今もさほど変わっていない。 なので、この本のタイトルをReadsで目にした時に刺さって手に取ってみた。半分近く読んでみて、王谷さんはフリーダムな感じだけど、かっちょいい大人だなと。大丈夫よ、大人じゃん!て思った。ものすごく自分を俯瞰で見る視座と、読み手が受ける印象がブレない的確な表現、語彙の幅。ガキンチョはそういうのない。荒れた飲酒に憧れを持つ人をわずかでも生み出さないようにと、自分のかつての破天荒な酒飲みエピソードを封印して書かないところなんかも、完全に責任のある大人って感じだ。子供の頃に想像するいわゆる大人とは程遠い感じなんだけど、でも素敵な大人だなと感じた。 今のところこの一文が、何故か好き。その柄の上着欲しい。 「そして今日も私は宇宙空間に子猫が何十匹も浮かんでいる柄の上着をひっかけて深夜のコンビニに行き、煙草とガリガリ君を買って帰る。」(p71) カッケー!深夜にコンビニで煙草なんて大人っぽい!「煙草」か「ガリガリ君」じゃなく、どっちも買えてて大人! **読了 7月18日追記** 読み終わっちゃった。このエッセイいつまでも読んでたいとか何度も読み返したいと思ったから買お。筆者のこと何ひとつ知らないし、本には頷けるところも、そうかな?と思うところもあったけど、不思議と連帯感を覚えた。 大人になった実感がないとか、大人になりたいというところに共感するものの、私は自分が本当はもう大人になってしまっていることを頭ではわかってる。だけど、未熟な自分をそのまま許容して欲しい、大人になんかなりたくないという子供じみたピーターパン症候群のような気持ちを捨てられないだけなんだよね。そして自分はまだ大人じゃないと思い込もうとしてる。 読んでいて王谷さんも、実はちゃんと大人だと思った。それは、彼女が世の中や他者や好きなものなどあらゆることと自分の間に明確に境界線をひいていて、その線の向こう側から自分をみつめる目を持っているように思えたから。彼女の語りは具体と抽象を自在に行き来するけど、目に見えるものに捉われてしまう子供にはそんなことできないしね。子供ははじめ自分と自分以外の線引きが曖昧。お母さんと自分が別人格なこともわかってない。お友達と自分が同じだと安心し、違いを感じると不安になる。社会で生きていくなかで徐々に自分の輪郭がわかるようになって境界線をひけるようになってくる。 たぶん私にとって大人とは、落ち着いた雰囲気があるとか、お金をたくさん稼ぐとか、子供がいるとかじゃない。他者とは異なる自分をよく理解し、それを静かに受け入れている人。境界線のこっち側についてはきちんと責任を負いつつ、向こう側の世界の仕組みも理解して他者や社会に想像力を持てる人。そんな人を大人だと感じるのかなーと思った。あと、ロースカツで消化器にダメージ受ける人はみんな友達だよ❤️
  • 2026年7月15日
    好きな食べ物がみつからない
    タイトルと可愛い表紙に惹かれて手に取った。私は好きな食べ物だらけなので、みつからないとはどういうことだろう、と気になったから。そうしたら冒頭にこう書いてあった。 *** 「あなたの好きな食べ物はなんですか?」 この質問には、どう答えるかにほんのちょっとした大喜利、またはセルフプロデュース的な側面をつい感じ取ってしまう。大喜利だとすると答えるのに悩んではいけない。熟考よりも求められるのは即答だ。そのうえで、セルフプロデュース、自分がどう見られたいかの計算が求められる。もちろん、実際にちゃんと好きな食べ物を答えなければ質問者との言頼関係にかかわる。とてもむずかしい。(p4) *** セルフプロデュース!?そんな不埒な考えで好きな食べ物を捉えようとしてるとは、けしからん!と思っちゃったよね。好きな食べ物は、圧倒的な多幸感を与えてくれ、全ての嫌なことを忘れて貪り喰ってしまうほど美味しいと感じるものであって、自分がどう見られたいかとかとは一切関係ありません。なにいってるんですか。即答は思考や準備や打算の結果ではなく、思考を経ずに口をついて出る結果によるものです。と思って読むのをやめた。 たこ焼きです。私の1番好きな食べ物はたこ焼きです。表面がふにゃっとしてる系の、中もそこまでトロトロではないけど、とろ〜んくらいのかたさのたこ焼きです。表面がカリッとしていたり、中の生地食感がぷりんとしていてはいけません。味は塩マヨネーズが最強で、20個くらい食べられると満足します。ごく幼少期はソース鰹節派、幼稚園年長から高校生くらいまでは醤油派、大学時代からは塩マヨ派です。各派閥に入った瞬間の設定も場所も記憶しています。別に人から塩マヨ味のたこ焼き好きと思ってもらいたいとか全く思ってません。でも抗えない、それが好きな食べ物です。 ちょっと開いてすぐ読むのをやめたけれど、自分がなんでたこ焼きを好きか言葉にできる機会を得られ、たこ焼き愛を再確認できて良かった。
  • 2026年7月13日
    そして、バトンは渡された
    お話の冒頭に出てくる優子ちゃんの「何も困っていない」という自己認識と客観的事実には大きなギャップがあって。実のところ優子ちゃんの人生は苦難の連続。 お母さんは亡くなっていて、父と再婚した2人目のお母さんは父と添い遂げる気がなく、優子ちゃんを失いたくないあまり実の父親から遠ざけ2人で経済的に苦しい生活をし、急に予告なく豪邸の年配者と再婚したけど出て行ってしまい、今度は新しい父親を連れて再登場して豪邸から優子ちゃんを引き取るもまた姿を消し… 優子ちゃんは環境が変わるたびに慣れるために必死だし、3人目の父親との2人だけの生活も互いに気を遣い、実の親子なら文句を言い合って喧嘩するところを飲み込んでいる。。。でもきっと、年月を積み重ねるうちに「結婚は認めないぞー!」と駄々をこねられる気兼ねのない関係になれたんだろうね。合唱祭前夜の2人が好き。 現実味がないお話の中で、冷めているように見える優子ちゃんが、なんとか心のバランスを崩さないように保っているような描写がたまに少しだけ現れてそこだけリアルだった。 子育て、愛がありさえすれば良いわけじゃない派。もちろん愛情は大事だけど、それがあれば良いわけではなく子供の物理的心理的安全性を確実に保つ姿勢が保護者には必要派。だからこの物語を心温まる話として語ることには少し懐疑的。優子ちゃんの親はみんな愛が根底にあることに疑う余地はないけど、利己的過ぎると感じるところもあり、しんどく感じるところもあった。その設定が何より森宮さんの安定感に価値を与えているんだけどね、そこは演出感が透けて見えてしまい物語にのめり込みきれなかったな。 でも最後、森宮さん一人称に話者が切り替わるのにはヤラレたー。。。このまま寝たら明日の朝は瞼が腫れて困るだろうなというレベルで涙が出ちゃった。
  • 2026年7月9日
    ブルマーの謎
    ブルマーの謎
    図書館でタイトルを見て「それな!謎すぎ!」って思って借りた。 この本によると、学校の体育で女子が密着型ブルマーを着用させられていたのは1965年頃からの約30年ほどらしい。私はちょうどその期間と小学生時代がかぶってしまっていて、確かにブルマーを履いて体育をしていた。小4くらいからは着用に対してはっきりとネガティブな気持ちを持っていた記憶がある。中学は海外だったのでブルマーからは解放された。なんで日本では下着姿同然で体育してたのかなと不思議に思ったし、大人になってからも、なんであの頃あんな格好させられてたんだろうと妹や友達との間で話題になったこともある。 本を読んだ私の理解によると導入と普及のきっかけは ▼ 密着型ブルマーの前に使われていたちょうちんブルマーより機能性の高いウェアを教育現場が求めていたこと、 ▼東京オリンピック開催時のテレビの普及で、身体のラインが露わなユニフォームを着用した女子選手を多くの人が観て、そこに美と健康を結びつけるマインドを一般の人が持つようになり受け入れやすい土壌ができたこと、 ▼販路を拡大したいメーカーのビジネス的な側面 好意的に受け入れる人もいたものの、導入時から嫌悪する声も多く、そのうち性風俗産業に取り込まれ売買の対象になるようになる。ただそれでも学校現場はブルマーを廃止しようとしてこなかった。 そんな中で消滅のきっかけは ▼セクハラ概念の一般化 ▼生徒側の人権意識の向上 ▼ シンガポール日本人学校に赴任した体育教師がブルマー着用を生徒の反発を押し込めて強制したことをメディアが取り上げたことでブルマー廃止に加勢する方向で世論が形成されていった ということみたい。 個人的に最大級に謎だったのは、あんな明らかに恥ずかしい格好をさせてこようとした学校(国)側が、女子にその姿を強制したがる背景にどういう意識があったのか、ということなんだけど、それについては以下引用のように言及されていた: 敗戦後、GHQに押し付けられた男女平等や教育政策のおかげで、戦前までの日本のよき伝統はむちゃくちゃにされてしまった。あるいは、家父長制的道徳という包囲網が解かれたために個人の欲望がむき出しになり、道徳が混乱し、性が廃して世の中がひどいことになってしまったと感じ、とりわけ女子に関して「従順、真淑といった日本女性のすばらしい婦徳の涵養などは戦前の遺物として顧みられようともしなくなってしまった」と大きな失望をいだいていた婦徳派にとって、密着型ブルマーがもたらす「恥ずかしさ」は必ずしも悪いことではなかった。それどころか、むしろ積極的な効用を見ていたふしさえある。というのは、男性からの視線を受けて恥じらう女の姿は、婦徳の主軸をなす「女らしい挙措動作」の重要な要素であり、密着型ブルマーをはいて恥ずかしさを覚える女子の姿はこの「恥じらう女」に通じるところがあるからだ。つまり、一九六〇年代後半に密着型ブルマーが学校の女子体操着として登場したとき、婦徳派はブルマーをはく少女たちの姿に「恥じらう女」の姿を垣間見たのではないだろうか。(p186-7) なんだその精神性。強烈に悍ましい。こんな言葉使いたくないけど、声を大にして言いたい。キモ! ブルマーが廃止されて良かった。女性の人権が向上する方向で社会が変わりつつあって良かった。長年の謎に向き合ってくれてありがとう、山本雄二さん。
  • 2026年7月7日
    美しい海の浮遊生物図鑑
    美しい海の浮遊生物図鑑
    プランクトンについて完全に間違った認識を持っていたことがわかった…微生物だと思ってたら、プランクトンは生き方らしい。1mを超えるエチゼンクラゲもプランクトンなんだって。これって常識?Did you guys know this!? *** プランクトンは、英語では「plankton」と書く。元々はギリシャ語で「あてもなくさまよう者」を意味する「πλαγκτός」に由来すると言われている。イギリスのハーディ卿によれば、この「πλαγκτός」には「自らの意志に反し漂わなければならないもの」という意味がある。(p7) *** 自らの意思に反して漂ってるんか。無常だな。 読み始めて早々にプランクトン観察のための準備や注意点やコツが詳しく書いてあったり、聞いたことない用語が解説されているページがあって「お、おぅ…誰向けの何の本なんだ」と戸惑った。私は表紙のビジュアルに惹かれて手に取っただけなのに。 ホタルイカ凄い好きなんだけど(食べるのが)、海中にいるときはこんな見た目なの…?なんか色が激しい…ホタルイカモドキ科って書いてある。ホタルイカなのに。もどき。 ゾウリエビっていうのがめちゃ怖い顔しててページめくってびっくりした。魚のページも怖い。私どれ好きかなーって探してたけど、全然好きになれる奴出てこなかった。表紙の雰囲気が好きなだけだった🤣でもプランクトンの意味を知ることができてひとつ賢くなったから、よし。
    美しい海の浮遊生物図鑑
  • 2026年6月27日
    ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか
    Sentient Activity(定義は後述)という概念を知ることができたのは収穫だった。なるほど、私が疲れちゃうのは子育てにおけるSAを一手に引き受けているからなのね、というのはよく理解できた。 でも納得感はそんなになかったかな。SA負担を分散させるには…というところでの現実的に参考になる話はみえてこず、後半は流し読みして図書館に返してしまった。 ケア労働が女性に偏ってるのはおかしいよね!男性だってできるよ!シェアすべき!というのは理想なんだけど、結局公平な負担が実現しないのであれば、どちらかというと「これこれの理由があり奴らはやや適性に欠けるんですわ😇」みたいな話の方が個人レベルでは慰めになる気はした。当然マクロな視点では協働の方向に持っていく必要があるのは論を待たないのだけど、たぶん私がタイトルから期待していたのはもっと個々の体験ベースの共感系のストーリーとそれに対する専門的な物の見方だったのよね。 観測範囲内の男性を見ると、役割や責任について頭で理解してそれに応じたケアを果たそうとしたとしても、そもそも興味関心がない対象に細やかな気を配ることができない傾向が強い人が結構いるように見受けられまして…ケア対象を子供とした時、特に妊娠出産を経られないから生まれた個体が自分と繋がっているのか分かりようがないし、心理的なアタッチメントの度合いに差が出がちで、それが結果的に担うSAの量の違いにどうしてもつながっちゃうんじゃないの…?とか思ってしまったよ。本では男性たちも職場で忖度できる=SA能力あるじゃん、て書いてあったけど、それは自分の処遇に対して関心があるがあるからじゃん?対象への熱量が異なるケアの場面に適用できる話ではない気がして、いまいち腑に落ちなかった。 ちなみにうちの場合、夫は対子供SAはあまり発動しないんだけど、ありがたいことに対私SA量の多い人で、その絶妙なバランスで我が家は成り立っている🤭 【SA=Sentient Activityの定義 (本から抜粋)】 子育てや介護などの日常生活を支える「ケア」においては「よりよい状態」というのは自明のものではありません。ケアする人は、「よりよい状態」とは何か(What)を考え、それをどうやって実現できるのか(How)も考えなければいけません。 こうしたケアする人がしている考える活動を sentient activity と呼んだのがイギリスの社会学者ジェニファー・メイソン(Mason 1996)です。Sentient は、日本語に訳すると「知覚の」という形容詞になりますが、ケアをする人がおこなっている「思案する(thinking)」「感じる(feeling)」活動をさします。 (中略) 感知し思案するSAとは具体的にどのようなものでしょうか。メイソンはSAを下のようにリストアップしています。特定の他者の[ニーズ・健康、幸福、ふるまい、好み、雰囲気、個性、性格、関係性]に[耳を傾ける、気づく、聞く、調整する、観察する、概念化する、解釈する、研究する、関心をもつ]、または、自分と他者の関係性や他者同士の関係性を[とおして考えたり、理解したり、調整したり、planningしたり、組織化したり]する活動(Mason1996:16) (ix-x)
  • 2026年6月27日
    母という呪縛 娘という牢獄
    家庭の機能不全の話は苦手なので、気になりつつも読めないだろうと思っていたこの本。図書館でパラッと見て、読んだ方が良いかもしれないと思い借りてしまった。案の定、読むに耐えず飛ばした箇所はあったけど、世に出ることが必要な本だなと感じた。 9年間の医学部受験浪人を強いた末の殺人だと誤認していたけど、娘はその浪人生活は耐えたことを知って絶句。殺人のきっかけはその地獄の再来を阻止するためのものだった。この母子の間に介入できた可能性があった人達は、私の感覚からすると自責の念でおかしくなったりしそう。でも、漫然と異常事態を放置していた父親の苦悩は少なくともこの本からは見えてこず、モンスター化した母を金銭的に支援するだけだったアメばあの事件後のお気持ちも謎のまま。。。結果は不可避だったと納得してしまった。 私自身はこの娘と年齢が近いのだけど、我々世代の娘を持つ母親たちの多くは家庭に入る事を既定路線とされていた人たちで、娘に対しては「これからの時代は女性も社会進出!娘は仕事も家庭も!」と新しい時代に期待を寄せて、自分が道半ばで諦めたり叶えられなかったりした仕事での自己実現を娘に託そうとしていた人達は少なからずいた気がする。この本の母娘は極端なものの、それでもあの時代の母子の空気感を感じた。母親の歪な学歴観がどのように形成されたのかはわからないままだけど、あそこまで露骨に見下げるまではしなくとも、公立の教育システムを積極的に回避しようとして子供を受験というレールに誘う親たちの価値観とも地続きではあるなと思い、、、違う世界の話、ではなく、まさしくこの社会で起きた事件だなという変な腹落ち感もあった。 一審では無罪主張、二審で認めに転じるという裁判の展開も珍しく感じられ、娘の心境の変化が興味深かった。裁判を通じて自身が置かれていた苦境に思いを馳せてくれる人が世の中にいることを娘が感じられたことに細い糸のようなかすかな希望の筋を感じた。
  • 2026年6月24日
    法廷遊戯
    法廷遊戯
    第一部【無辜ゲーム】はイタイ学生感満載で、読み進めるモチベーションを保つのが難しかったけど、第二部【法廷遊戯】が始まってからは展開スピードも早く、何層にも仕組まれたパズルのピースが徐々にはまっていくような感じで夢中で読んだ。 司法試験合格の筆者ならではの現行司法制度への問題提起。再審制度の不条理とも言える敷居の高さや、検察の証拠開示の範囲に対する筆者の静かな憤りを物語の根底に感じた。その上でエンタメとしても上手く昇華されていて脱帽。 何が正義なのか、難しいね。あと、サイドの話かもしれないけど家庭の事情で進学可能性が左右されない社会になることを切望したわ。
  • 2026年6月17日
    雨にシュクラン
    雨にシュクラン
    図書館の児童書のコーナーにあって、なんとなく手に取ってみた。 周りが導くルートにおとなしく従いたくない女の子が出てきて、自分で自分の道を決めて、興味のあることに近づくために思い切って行動していて気持ちがいい。今の気分にもあってたし、万年厨二病の私は「決めつけないで!」と我が道を行く主人公に勝手に仲間意識を抱けて、今日読むのにピッタリな本という気がした。風邪ひきさんで家にいた中学生の息子も、なんとなく手に取って一気読みしてた。 そして今、猛烈にトルコ料理を食べたくなってる🤤 サラッと読める素敵なお話、シュクラン。
  • 2026年6月5日
    おとぎ話の幻想挿絵
    お友達とランチをしたあと、近くに幻想文学の古書店があるから行きたいと言うのでついて行った。そんな本のジャンルがあるのですね。 この本の背表紙が目に留まり引き出してみたら、装丁もパラッと覗いた中身も、めちゃくちゃときめかせにくるので我慢できずに購入。『不思議の国のアリス』とか、『大正イマジュリィの世界』と並べて本棚に置きたい。
  • 2026年6月4日
    十戒
    十戒
    方舟読んだあとReadsの感想を見ていたら、できるだけすぐに十戒を読んだ方が良いというコメントを見かけて買っちゃった。人物描写や人間関係について最低限しか書かないスタイル?だからなのか登場人物を把握しきれなくて、人が死んでもその人が誰で何してる人だったかピンとこなかった💦 そして相変わらず登場人物が作者にとって非常に都合よく振る舞うところが没入を阻害してくるのだけど、それでも最後まで一気に読ませ、更にもう一度読み返そうと思わせる仕掛けがあっぱれ! ※ネタバレ(?)あり※ 犯人とのやりとり時の主人公の反応がところどころ不自然だったから、誰が怪しいのかみたいなのは途中でわかってしまったけど、2つの筋を通すという方舟同様の設計と、主人公は見て見ぬ振りをしていたという新しいタイプの結末と、何より「あなたはあの…!」というラストに拍手したい。
読み込み中...