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食いしん坊ちぇりぃ
食いしん坊ちぇりぃ
食いしん坊ちぇりぃ
@yummyyummycherry
読み終わる本は読み始めた本のうち3冊に1冊。すぐ別の本に浮気します。 私はどうしたって私1人分の人生しか生きれないから、本を通じてちょっとでも他の視点からものが見られるようになりたい。 いつもゴハンは食べすぎているし、いつも本を買いすぎている。
  • 2026年10月6日
    店長がバカすぎて
    シリーズ化されているということは、ファンがついてて面白いのだろうと思って借りてみた。 中規模書店を舞台に繰り広げられる短編集で、「店長がバカすぎて」と「小説家がバカすぎて」を読んだ。 店長も小説家も主人公から見ると、バカに見えるのねというのがわかる描写があるものの、そこに少し無理矢理感を感じる。彼らをバカ扱いできるほど主人公の賢さも見えないというか、なんかまぁ責任を負わなくていい良い組織の下っ端が自分の見える範囲の業務でキャパが埋まって文句いってるだけ、みたいに感じちゃったからかな、、、 もう少し読むと、抜けたりズレたりポンコツなんだけどツボは押さえてる店長を愛しく感じられる可能性もあるものの、今回は、たぶんここでギブかも。なんだろう、今の気分じゃ無いのかな。
  • 2026年10月2日
    アニータの夫
    アニータの夫
    アニータ事件…学生時代にニュースで扱われていたのをチラッと見たような記憶はあるものの、当時は遊ぶのに忙しくて特段注視することなく。「外国人のホステスに入れあげて言われるがままに横領した地方のおじさん」みたいなイメージしか無かった。 本を読むとアニータは首謀もしてなければ教唆すらせず、ただ金の無心をしていただけだった。大金持ちの男が自分に好意を寄せて巨額の金をくれて、自分には養わないといけない家族がいて極東まで出稼ぎに来て売春までしているような状況なら、そりゃある分だけもらおうと思うだろうね、とアニータ側の心理は理解できた。その後の生き様も言い分も、何が真実か分からない中でも納得感はあった。 一方の千田。本の半分は千田のモノローグ形式で、時折ちゃちゃを入れる感じで著者(記者)の俯瞰コメントが入る構成。千田一人称での語りを読まされているのに、千田については事件の動機も人物像も何ひとつ理解が及ばず困惑ぅー!アニータに「だまされた」という認識になっているのが謎過ぎる。大して好きそうでもないけど、当時は入れあげてたのか…?それすら謎。釣り、山菜採り、将棋、歌と人生を豊かに送れる材料を人一倍持っていて、更にそれぞれ人より長けているにもかかわらずこんなことになっちゃうなんて、器用過ぎて人生つまんない男に送られた悪魔からのプレゼントがアニータ事件なんだろうか、とか思った。 一見小説のように見えるデザイン性の高い表紙が素敵。中身は実直な記者のルポベースだから、なんかギャップが面白い。
  • 2026年9月29日
    蟹工船
    蟹工船
    中学の時だったか、ちょっとだけ国語の授業で文学史があって、そこで紹介された作品の中で蟹工船とお目出たき人だけ、読んでみたいかもーと思ったまま読む機会なく月日は流れ… たまたまBOOKOFFで見つけて買ってみた漫画版。概要がわかって良かった。 森本ー😭
  • 2026年9月29日
    怪獣8号 1
    怪獣8号 1
    急に気になって読んでみた。 病院で『ほらね』って言うとこ好き。 諦めてた夢を追いかける感じが宇宙兄弟感ある。 チームバトル系の少年漫画って、シリアスな話でもたまにギャグ挟んでくるじゃん? 進撃の巨人とか鬼滅はそのギャグのテイストがあんまり好みじゃなかったんだけど、怪獣8号はちょいちょいクスってなるー🤭5巻までとりあえず読んだ。
  • 2026年9月21日
    異形のヒグマ OSO18を創り出したもの
    牧場で牛を次々と襲い、北海道庁が捕獲対応推進本部を立ち上げ、特定個体にコードネームを付与するまでの存在になったヒグマ・OSO18。被害と捕獲の試み、失敗、そして呆気ない最期までをNHKディレクターが追ったドキュメンタリー。 ディレクターがカメラにおさめたかった画、そして私も読み進める中で期待していたのは、現役最強のヒグマハンターが華麗なチームプレイで巻き狩りをしてOSO18を仕留めるクライマックス。でも現実はそんな期待通りには行かず。 OSO18は最後、本来手順には沿わない捕獲プロセスで仕留められ、情報が共有されないまま解体され、捕獲が公知の事実となったのはその死から3週間も経ってからだった。解体された肉は東京のレストランで提供されてジビエ愛好家たちに食べられていたという。 でも、そこで終わらない、この本の山場はOSO18に魅了されてその謎を解き明かしたい熱意を持った著者たちが、堆肥場にあるエゾシカの骨と皮の山からOSO18の骨を自力で探し出したシーン。小学校の体育館サイズに押し込められ3mほどに高く積まれた腐った死骸の山をひたすら選り分けて見つけ出す。北海道総研も諦めたこの作業をディレクターが執念で完遂したことで、研究者による分析が可能になり、OSO18の著しく肉食に傾いた特異な食性が明らかになった。食性のせいで年齢の割に身体が弱り、縄張り争いに負けてハンターたちの想定外のエリアまで移動、牧草地をヨロヨロしていたところで駆除されたとみられる、ということみたい。 美味しいものに執着して若い頃から暴飲暴食を繰り返し、消化機能が衰えてきたのを感じている私としては、OSO18に自分を見た気がする。読み終わってすぐ本の内容とともに、そう家族に熱弁したら今家でOSOって呼ばれてる。。。
  • 2026年9月19日
    マンションポエム東京論
    マンションポエム、この本によるとそれはマンション売り出し時の広告掲載文のことで、スペックをわかりやすく伝えるのではなく雰囲気を詩的に綴ることを優先しているという特徴があるとのこと。 「歴史と緑が織りなし」がちで「多くの文人が愛した土地」がちで、やたら「響き合い」がちで「心地よい風が吹き」がちで、なにかというと「奏で」がちなんですって😂確かにね。 マンション広告は電車内とか駅まわりで見かけることが多いんだけど、今まで完全にそれらの文章をナチュラルに受け入れちゃってた。でもこの本を読んだらもう読む前の自分に戻れない。マンション広告を見たらつっこまずにいることなんてできなくなっちゃった。それくらい華麗に視点を変えてくれたわ。 考えてみると筆者の言うとおりで、それなりの費用をかけて非現実的で大仰な言い回しを散々考えて、でも誇大広告と言われないように注釈で本気にされないように細心の注意を払うなんて滑稽すぎるのよね。膨大なポエムを収集、分析して論じてくれた筆者に惜しみなく拍手を送りたい👏
  • 2026年9月12日
    人間関係に「線を引く」レッスン
    周りに振り回されて気持ちがかなり疲れてしまっていた時に夫と本屋に行ってブラブラしていたら「コレでしょ、今読むべきなのは」と渡された本。 うちは夫と長男は本当にこの線引きが上手で、私と次男は下手っぴなんだよねぇ。 すぐ読み終わるし、ふむふむと思える本でした。 特に覚えておこう!と思ったのは 【「できるけど、やらない」にトライする】 【あえて「やってあげない」をやってみる】 このふたつ。
  • 2026年8月21日
    マイフィンランドルーティン100
    フィンランド土産貰った❣️
    マイフィンランドルーティン100
  • 2026年8月16日
    〈私〉を取り戻す哲学
    夏休み終了とともに読み終わった。なんで夏休みに読む本としてこれを選んじゃったのかというと、ここ最近、家族/職場/友人の意向や期待に沿うように振る舞いがちな自分自身に疲れてしまっていたからだ。私はどうしたいんだっけ、もっと利己的になりたいけどそれってどうやるんだっけというのを、新しい視点から考えたくてタイトルの前段に惹かれて手に取った。 その答えを得られたかというと少し違った。哲学の本だったからね。 ちゃんと!タイトルを!最後まで!読んで!1週間前の私!!! でもまぁ面白かったかな。抽象的な思考実験的なものが書かれていて、大学の教養課程の授業を受けてるみたいだった。 この本によると〈私〉を取り戻すためには ⚫︎色んなことを鵜呑みにせずにホントかよー的な姿勢でもって自分の頭で物事を考えて ⚫︎誰かがパッケージ化してくれたわかりやすく良さそうにみえるものに軽々に飛び付かず ⚫︎すぐには結論が出ない場合は判断を保留して(=エポケー) ⚫︎自分の意識体験に照らし合わせて考えて、でもそれには限界もあるから他の視点からも想像して考えたりして本質を見つけようとしつつも、違うこと言う人もいるから尊重しあおーね ⚫︎とにかく〈私〉の内側に目を向けて〈私〉を取り戻していこ!これが新デカルト主義の提案だよーん という風に私は理解しました。 これは哲学的には何か独特な提案なのかな…?この考えに至る道筋を哲学的に示すことに価値があるのかな…。情報過多な世の中で冷静にものを見る上では、当たり前田のクラッカー過ぎる姿勢なのではとか思っちゃったよ。あとエポケーだけど、元来日本人はエポケーの実践、得意なんじゃなかろうか。 私が元々考えたいなと思っていたことと、少し掠ってる気がしたのはココかな: 「他者との時間は不自由を伴う。他者が目の前に存在しているだけで、それを黙殺するのは難しいし、そこに何らかのコミュニケーションが発生するからだ。誰かと一緒にいるだけで、〈私〉の自由は制限される。しかし、自由と責任を一人で背負い込もうとするとき、それが生きていく上での重荷になることもある。つまり、自由であるがゆえの憂鬱がある、ということだ。(中略)誰かと一緒にいる、ということは、互いの自由を、いい塩梅に、減じあう作業でもある」(p233) →確かに、人との関わり度合いを減らして自分の自由度を増やせたとしても、ひとりじゃつまんないな、じゃあ多少不自由だったり削られたりしても一緒の方が良いかな、そこで良い塩梅を探るしかないんだよな、と思った。良い塩梅とは。そこが難しいのだけど。 ちょっと慣れないタイプの本で頭が疲れたので、次はしょーもないくだらない本を読みたい。
  • 2026年8月11日
    〈私〉を取り戻す哲学
    夏休み1日目の朝、読み始めた。 この本で著者は情報過多の社会において自己の存在の確からしさがしぼみ、自己から切り離された情報や関係性のネットワークだけが広がっているなかで、どのように自己を取り戻していけるかについて論じてる、、、たぶん。 その中で、動物化というワードが出てくる。他人に承認してもらうことではなく自分が夢中になる、内的なエロスに軸足を置く状態らしく、例としてオタクの消費が挙げられている。これは『イン•ザ•メガチャーチ』で“視野を狭くする”というような表現で言及されていたことと通じているなと感じたので、備忘メモ✍️あの“視野を狭くする”という表現がなんかわかるようでわからず、ピンと来なかったのよね私。この本ではその辺よく理解できるように書かれている気がする。 衣食住に困らず物質的に満ち足りている我々は、欲しいものを自分で見出していかないといけないという大変贅沢な問題に直面しているよね😅 「欲望の大半が簡単に充足されうるとき、私たちは何が本当に必要なのかを自分で選ばなければならなくなる。それは選択すること、一言でいえば、『自由』をわがものにすることだ。しかし、自由を飼いならすのは簡単ではなく、それはこの時代に現われた本質的に新しい課題なのである。だとすれば、食傷精神が感じている退屈には時代的な理由がありそうだ。」(p30-31)
  • 2026年8月5日
    コンビニ人間
    コンビニ人間
    主人公・恵子の友人や妹、同僚といった「こちら側」の人たちは、決して恵子のいる「あちら側」にはならない。社会の一員として生きていくためには、恵子の方が「こちら側」を観察し、似せる努力をし続けるしかない。それでも完全に馴染むことはできないということを、わざわざ白羽が突きつけるのやめてー🥲まぁ恵子自身にはダメージゼロだけど😅白羽はなんだかんだ「こちら側」の人間だよな。 困りごとを抱えるお子さんがいる親しい友人が「ほかの子なら成長過程で当たり前にわかるようになることやできるようになることが、うちの子だけわからない、できない…辛い」と吐露していたのを読みながら思い出した。昔と比べると色んな人がいることが広く認知されるようにもなってきているし、適材適所で一緒に社会をまわしていけたら良いよね…コンビニ人間上等じゃん、て思った。 でもそれと同時に、私自身は色んな人を静かに眺めることはできても、結局同質性の高いコミュニティに属している方が居心地が良いというのは否めないというズルい本音も自覚しちゃった。なんつーか、自分がいるコミュニティ内にも色んな人がいるって思ってたけど、この本に出てくる恵子みたいな人はいない(か、極めて高度な擬態をしてくれている)んだよね。。。私が見てる“色んな”の幅はすごく狭いんだろうし、俯瞰で見るとほぼ同質なんだろうなとか思って。多様性って難しいね。
  • 2026年8月3日
    ファイア・ドーム(下)
    下巻は冒頭のスピード感が凄まじかったな。物語の真相が明かされるより何ステップも手前だけど、クライマックスかなと思わせる緊張感が続いた。。。光ちゃん見つかって良かったー!!! 光ちゃん監禁の真相は想定展開からのギャップが大きく、展開に少し無理があるようにも感じ…更にカネコ兄弟がもたらす情報から25年前の事件との繋がりが明らかになるあたりで、物語のスケールが大きくなった。そのぶん少し「お話」としての印象が強くなって、後半は夢中で追いかけるというより、少し距離を置いて読んだ。 下巻でリアルだなと感じたのは地元の東京に帰った美冬が恵比寿で友達と会うシーン。特定コミュニティで大騒ぎされていることでも、そこを離れると一気に無風ってことはよくありそう。都会なら尚更。引っ越しを繰り返していた暁が今は大阪で家庭を持っているところも、土地を離れ大都会に暮らすことで、コミュニティからの離脱が可能であることを示していたよね。 作者はどう言う意図で舞台設定をしたんだろうなぁ、、、地方の方が人間関係が濃くて湿度高そうという偏見じみたイメージは私も持っているけど、令和の今もそうなのかな。都会の人は自分の人生に夢中で、まわりのこと気にしてないというのは実感としてあるけど、なんとなく舞台設定に地方蔑視とまでは言わないけど冷めた固定観念を感じてそこは少しひっかかったな。 最後のシーンは美冬が救われる形になるようにあの場所で終わってるんだろうけど、私は物語の中で属性的に近いのは母親たちなので、また子供達だけで心配でたまらなくなるような場所に行ってしまっていて胸がザワザワしちゃったよ。
  • 2026年7月31日
    生きる言葉(新潮新書)
    30年モノの恋は、若造には歌えない。 元カレとの30年ぶりの再会を歌った歌に悶絶。 「どうだった?私のいない人生は」聞けず飲み干すミントなんちゃら(p85) ともすれば記憶に残らない瞬間を写真のようにキャプチャする俵万智さんの短歌、大好き。 ファイア•ドーム下巻を読みたい気持ちを抑えて、返却期限の迫るこちらの本を急ぎ読み進めていたけど、急いだら勿体無い。じっくり味わいたい本だった。
    生きる言葉(新潮新書)
  • 2026年7月29日
    ファイア・ドーム(上)
    上巻の半分ちょっと読んだ。次々とやってくる不穏な展開に先が気になり、つい夜更かししちゃった。 美冬と透真の飲み屋デートの会話のところだけ説明調で冗長な感じはしたけど、それ以外は結構物語の中に入り込んだー。特に事件後初の透真との電話シーン、からのー、知り合いからLINEの嵐という流れはリアルに心拍数上がる臨場感で、胸のザワザワがすごかったな、、、 透真の電話はさ!恋人としても職業人としてもダメでしょ!あんなの!大変な状況に寄り添う恋人としても、ヘビーな取材依頼をする記者としても、そこ電話じゃないだろ!電話で家にいることを確認したなら会いに行ってまず寄り添って、職業柄やむを得ないお願いするなら様子見ながら誠心誠意言葉を尽くせ!キィィィ!ってなったわ。 1番お気に入りの登場人物の速斗くん、、一樹と一緒にこうちゃん探しに行くの…?大丈夫…?そわそわ… (ここから読了後) なんとも緊迫感のあるぞっとするシーンでおわた…。透真が事件後に一度も美冬に会いに行ってないことにプリプリしていた私ですが、もはやそれは大筋からは瑣末なことのように思えてきました。透真は現実味云々じゃなくて話を転がすために作者にとって都合の良い動きをするキャラクターなんだろうな…。謝罪する担任に声をかけるおじいちゃんとこうちゃんママは人間ができすぎていて、ここも少しリアリティに欠ける気がしたけど、既に過去に地獄を見た経験のある人たちはこんなに達観できるものなのかしら。 心配する気持ちと、軽い気持ちで噂話をすることは矛盾せず両立する。我が身を顧みても、すごく実感をもって理解できてしまう。物語がそれを突きつけてきてドキッグサッと痛いところを突かれるような感覚になった。それと同時に、人の心が通うそれなりにウェットなコミュニティに属している社会的な生き物である以上、自分たちに関わり得る事柄にまつわる懸念事項を伝聞形式で共有していくことは避けられない気もする。それが耳目を集める出来事や不特定多数が消費するエンタメ要素となってしまった時に、オールドメディアやらSNSやらの伝播力が大きく作用して、ただの噂話がどこまでも果てしなく拡散していってしまうんだろうな、、、。でも私の実感が及ぶのは、顔の見えるコミュニティでの噂話までだった。リアルでは一切関わりのないスクリーンの向こう側の人に辛辣なコメントを書き込む心理までは、まだ私にはうまく想像できないな。 タイトルも凄いね。スノードームの雪が赤かったとしたらファイアドーム…噂の対象になってしまった人たちはそのドームに閉じ込められているのだと示す比喩。映像喚起力がすごくて、ドームの中で赤い火の粉が何度沈んでも舞い上がる様が目に浮かんだ。 いざ下巻へ。
  • 2026年7月25日
    ババヤガの夜
    随分前にダガー賞受賞のニュースでこの作品の存在自体は知ったのだけど、喧嘩の強い女がヤクザの娘の護衛をするという設定にあまり興味を持てずに…というか暴力描写が苦手なので忌避感から読み損なったままでいた。 でもたまたま読んだめちゃくちゃ面白いエッセイと同じ作者だと知って、なら好きな文章かもしれないと文庫本を買ったら一気読み。途中、整骨院に行く時間になって読むのを中断しないといけなくなったんだけど、行く途中の信号待ちでもつい読んでしまうくらい物語に引き込まれた。なんでミステリー文学賞を受賞したんだ?と不思議に思いながら読んだけど、終盤になり自分がまんまと仕掛けに引っ掛かっていたことに気がついてなるほどーと。 暴力描写はヒィィとなるものの、基本的に悪い奴がやっつけられていくから痛快だった。柳…!好き。 なんとなく食指が動かないと思う作品でも、読んでみたら自分とマッチする本もきっとたくさんあるんだろうなーと気付かされた。
  • 2026年7月23日
    宇宙兄弟(46)
    ムッタヒビトおかえり! 救出&帰還成功おめでとう!! 46巻分のありがとうを小山宙哉さんに!!!
    宇宙兄弟(46)
  • 2026年7月16日
    40歳だけど大人になりたい
    私も40代だけど大人になりたい。 以前地下鉄のホームで角ハイボールのポスターが目に飛び込んできた。私は井川遥さん出演のCMシリーズが大好きで、あのバーの店主に理想の大人の女性を感じていたので「私もあんなふうに大人っぽくなりたいと思ってるんだよね」と隣にいた夫に言った。すると怪訝な顔をされ「大人っぽいって何。あなたもポスターのあの人も大人通りこしておばさんだよ」と言われた。井川さんと同じ括りで語られ、内心かなりはしゃいで喜んだものの「いや、違うんだって、あの髪の毛長くて色気みたいな憂いのある目をしてる大人っぽい感じになりたいんだよぉー」と駄々をこねた記憶がある。大人どころか、さらに手前の大人っぽさを目指そうとしていた。その意識は今もさほど変わっていない。 なので、この本のタイトルをReadsで目にした時に刺さって手に取ってみた。半分近く読んでみて、王谷さんはフリーダムな感じだけど、かっちょいい大人だなと。大丈夫よ、大人じゃん!て思った。ものすごく自分を俯瞰で見る視座と、読み手が受ける印象がブレない的確な表現、語彙の幅。ガキンチョはそういうのない。荒れた飲酒に憧れを持つ人をわずかでも生み出さないようにと、自分のかつての破天荒な酒飲みエピソードを封印して書かないところなんかも、完全に責任のある大人って感じだ。子供の頃に想像するいわゆる大人とは程遠い感じなんだけど、でも素敵な大人だなと感じた。 今のところこの一文が、何故か好き。その柄の上着欲しい。 「そして今日も私は宇宙空間に子猫が何十匹も浮かんでいる柄の上着をひっかけて深夜のコンビニに行き、煙草とガリガリ君を買って帰る。」(p71) **読了 7月18日追記** 読み終わっちゃった。このエッセイいつまでも読んでたいとか何度も読み返したいと思ったから買お。筆者のこと何ひとつ知らないし、本には頷けるところも、そうかな?と思うところもあったけど、不思議と連帯感を覚えた。 大人になった実感がないとか、大人になりたいというところに共感するものの、私は自分が本当はもう大人になってしまっていることを頭ではわかってる。だけど、未熟な自分をそのまま許容して欲しい、大人になんかなりたくないという子供じみたピーターパン症候群のような気持ちを捨てられないだけなんだよね。そして自分はまだ大人じゃないと思い込もうとしてる。 読んでいて王谷さんも、実はちゃんと大人だと思った。それは、彼女が世の中や他者や好きなものなどあらゆることと自分の間に明確に境界線をひいていて、その線の向こう側から自分をみつめる目を持っているように思えたから。彼女の語りは具体と抽象を自在に行き来するけど、目に見えるものに捉われてしまう子供にはそんなことできないしね。子供ははじめ自分と自分以外の線引きが曖昧。お母さんと自分が別人格なこともわかってない。お友達と自分が同じだと安心し、違いを感じると不安になる。社会で生きていくなかで徐々に自分の輪郭がわかるようになって境界線をひけるようになってくる。 たぶん私にとって大人とは、落ち着いた雰囲気があるとか、お金をたくさん稼ぐとか、子供がいるとかじゃない。他者とは異なる自分をよく理解し、それを静かに受け入れている人。境界線のこっち側についてはきちんと責任を負いつつ、向こう側の世界の仕組みも理解して他者や社会に想像力を持てる人。そんな人を大人だと感じるのかなーと思った。あと、ロースカツで消化器にダメージ受ける人はみんな友達だよ❤️
  • 2026年7月15日
    好きな食べ物がみつからない
    タイトルと可愛い表紙に惹かれて手に取った。私は好きな食べ物だらけなので、みつからないとはどういうことだろう、と気になったから。そうしたら冒頭にこう書いてあった。 *** 「あなたの好きな食べ物はなんですか?」 この質問には、どう答えるかにほんのちょっとした大喜利、またはセルフプロデュース的な側面をつい感じ取ってしまう。大喜利だとすると答えるのに悩んではいけない。熟考よりも求められるのは即答だ。そのうえで、セルフプロデュース、自分がどう見られたいかの計算が求められる。もちろん、実際にちゃんと好きな食べ物を答えなければ質問者との言頼関係にかかわる。とてもむずかしい。(p4) *** セルフプロデュース!?そんな不埒な考えで好きな食べ物を捉えようとしてるとは、けしからん!と思っちゃったよね。好きな食べ物は、圧倒的な多幸感を与えてくれ、全ての嫌なことを忘れて貪り喰ってしまうほど美味しいと感じるものであって、自分がどう見られたいかとかとは一切関係ありません。なにいってるんですか。即答は思考や準備や打算の結果ではなく、思考を経ずに口をついて出る結果によるものです。と思って読むのをやめた。 たこ焼きです。私の1番好きな食べ物はたこ焼きです。表面がふにゃっとしてる系の、中もそこまでトロトロではないけど、とろ〜んくらいのかたさのたこ焼きです。表面がカリッとしていたり、中の生地食感がぷりんとしていてはいけません。味は塩マヨネーズが最強で、20個くらい食べられると満足します。ごく幼少期はソース鰹節派、幼稚園年長から高校生くらいまでは醤油派、大学時代からは塩マヨ派です。各派閥に入った瞬間の設定も場所も記憶しています。別に人から塩マヨ味のたこ焼き好きと思ってもらいたいとか全く思ってません。でも抗えない、それが好きな食べ物です。 ちょっと開いてすぐ読むのをやめたけれど、自分がなんでたこ焼きを好きか言葉にできる機会を得られ、たこ焼き愛を再確認できて良かった。
  • 2026年7月13日
    そして、バトンは渡された
    お話の冒頭に出てくる優子ちゃんの「何も困っていない」という自己認識と客観的事実には大きなギャップがあって。実のところ優子ちゃんの人生は苦難の連続。 お母さんは亡くなっていて、父と再婚した2人目のお母さんは父と添い遂げる気がなく、優子ちゃんを失いたくないあまり実の父親から遠ざけ2人で経済的に苦しい生活をし、急に予告なく豪邸の年配者と再婚したけど出て行ってしまい、今度は新しい父親を連れて再登場して豪邸から優子ちゃんを引き取るもまた姿を消し… 優子ちゃんは環境が変わるたびに慣れるために必死だし、3人目の父親との2人だけの生活も互いに気を遣い、実の親子なら文句を言い合って喧嘩するところを飲み込んでいる。。。でもきっと、年月を積み重ねるうちに「結婚は認めないぞー!」と駄々をこねられる気兼ねのない関係になれたんだろうね。合唱祭前夜の2人が好き。 現実味がないお話の中で、冷めているように見える優子ちゃんが、なんとか心のバランスを崩さないように保っているような描写がたまに少しだけ現れてそこだけリアルだった。 子育て、愛がありさえすれば良いわけじゃない派。もちろん愛情は大事だけど、それがあれば良いわけではなく子供の物理的心理的安全性を確実に保つ姿勢が保護者には必要派。だからこの物語を心温まる話として語ることには少し懐疑的。優子ちゃんの親はみんな愛が根底にあることに疑う余地はないけど、利己的過ぎると感じるところもあり、しんどく感じるところもあった。その設定が何より森宮さんの安定感に価値を与えているんだけどね、そこは演出感が透けて見えてしまい物語にのめり込みきれなかったな。 でも最後、森宮さん一人称に話者が切り替わるのにはヤラレたー。。。このまま寝たら明日の朝は瞼が腫れて困るだろうなというレベルで涙が出ちゃった。
  • 2026年7月9日
    ブルマーの謎
    ブルマーの謎
    図書館でタイトルを見て「それな!謎すぎ!」って思って借りた。 この本によると、学校の体育で女子が密着型ブルマーを着用させられていたのは1965年頃からの約30年ほどらしい。私はちょうどその期間と小学生時代がかぶってしまっていて、確かにブルマーを履いて体育をしていた。小4くらいからは着用に対してはっきりとネガティブな気持ちを持っていた記憶がある。中学は海外だったのでブルマーからは解放された。なんで日本では下着姿同然で体育してたのかなと不思議に思ったし、大人になってからも、なんであの頃あんな格好させられてたんだろうと妹や友達との間で話題になったこともある。 本を読んだ私の理解によると導入と普及のきっかけは ▼ 密着型ブルマーの前に使われていたちょうちんブルマーより機能性の高いウェアを教育現場が求めていたこと、 ▼東京オリンピック開催時のテレビの普及で、身体のラインが露わなユニフォームを着用した女子選手を多くの人が観て、そこに美と健康を結びつけるマインドを一般の人が持つようになり受け入れやすい土壌ができたこと、 ▼販路を拡大したいメーカーのビジネス的な側面 好意的に受け入れる人もいたものの、導入時から嫌悪する声も多く、そのうち性風俗産業に取り込まれ売買の対象になるようになる。ただそれでも学校現場はブルマーを廃止しようとしてこなかった。 そんな中で消滅のきっかけは ▼セクハラ概念の一般化 ▼生徒側の人権意識の向上 ▼ シンガポール日本人学校に赴任した体育教師がブルマー着用を生徒の反発を押し込めて強制したことをメディアが取り上げたことでブルマー廃止に加勢する方向で世論が形成されていった ということみたい。 個人的に最大級に謎だったのは、あんな明らかに恥ずかしい格好をさせてこようとした学校(国)側が、女子にその姿を強制したがる背景にどういう意識があったのか、ということなんだけど、それについては以下引用のように言及されていた: 敗戦後、GHQに押し付けられた男女平等や教育政策のおかげで、戦前までの日本のよき伝統はむちゃくちゃにされてしまった。あるいは、家父長制的道徳という包囲網が解かれたために個人の欲望がむき出しになり、道徳が混乱し、性が廃して世の中がひどいことになってしまったと感じ、とりわけ女子に関して「従順、真淑といった日本女性のすばらしい婦徳の涵養などは戦前の遺物として顧みられようともしなくなってしまった」と大きな失望をいだいていた婦徳派にとって、密着型ブルマーがもたらす「恥ずかしさ」は必ずしも悪いことではなかった。それどころか、むしろ積極的な効用を見ていたふしさえある。というのは、男性からの視線を受けて恥じらう女の姿は、婦徳の主軸をなす「女らしい挙措動作」の重要な要素であり、密着型ブルマーをはいて恥ずかしさを覚える女子の姿はこの「恥じらう女」に通じるところがあるからだ。つまり、一九六〇年代後半に密着型ブルマーが学校の女子体操着として登場したとき、婦徳派はブルマーをはく少女たちの姿に「恥じらう女」の姿を垣間見たのではないだろうか。(p186-7) なんだその精神性。強烈に悍ましい。こんな言葉使いたくないけど、声を大にして言いたい。キモ! ブルマーが廃止されて良かった。女性の人権が向上する方向で社会が変わりつつあって良かった。長年の謎に向き合ってくれてありがとう、山本雄二さん。
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