
イツキ
@maruitsuki
2026年4月26日
熟柿
佐藤正午
読み終わった
罪の物語である前に、「見て見ぬふりをしたあと、自分が自分でなくなっていく」物語に思えた。かおりは、見て見ぬふりをしたことで人生を踏み外したと感じていて、その後は「本物のわたしはどこへ行ったのか」と、自分そのものの連続性を疑う。だから中心にあるのは、法的な償いだけではなく、自分という人間が壊れてしまった感覚で、そこがこの小説のいちばん深いところだと感じた。
そして晴子伯母さんの存在が、とても怖い鏡になっている。単なる不気味な親類ではなく、かおりが「こうなってしまうかもしれない自分」を映す像としてずっと効いている。人の言葉に尖って反応し、噂で輪郭づけられ、孤立していく姿が、自分の未来像みたいに見えてしまう。その意味で『熟柿』は、事故のあとを描く小説であると同時に、老い、孤独、評判、時間の蓄積が人をどう変えるかを描く小説でもあると思う。
でも最後に、この小説はそこで終わらない。題名の「熟柿」が、腐れかけた実の気味悪さだけでなく、「時機が来るのを気長に待つこと」という意味に開いていく。土居さんの待ち方と、かおりが「正しいホーム」へ向かって「乗るべき電車」に乗ろうとする終わり方を読むと、この小説は赦しの物語というより、「過去は消えないままでも、人はもう一度ちゃんと進路を取れるかもしれない」という小さな希望の物語にも見えてくる。大団円ではないけれど、信じる力だけは戻ってくる。その静かな回復が、私にはとても好きでした。


