

イツキ
@maruitsuki
本との出会いは一期一会。だから積読するのも仕方ないよね……
- 2026年9月30日
屍者の帝国伊藤計劃,円城塔読み終わった魂とは何か、意識とは何か、Xは本当に存在するのか。作品は最後まで答えを確定させない。ザ・ワンの説だって、結局は証拠が残されず、本当に正しかったのか分からない。 読み終えても、私にはこの物語の全てを理解できた気はしない。 でも、それでいいのかもしれない。 この作品自身が最後まで問い続けていたのは、たぶん「正しい答え」ではなく、「私は誰なのか」という問いだったからだ。 人は矛盾している。 自分のことすら完全には理解できない。 それでも誰かと出会い、言葉を交わし、その時間を物語にして生きていく。 そうして作られた物語が、今度は誰かを作っていく。 読み終わってもよく分からない。 でも、ワトソンとフライデーが旅した時間と、最後の「ありがとう」だけは妙にはっきり残っている。 難解で、やたらと話が大きくなって、何度も「今度はそこまで行くのか!」と振り回された。 それでも最後まで付き合ってよかった。 - 2026年9月20日
- 2026年9月19日
- 2026年9月13日
ラウリ・クースクを探して宮内悠介読み終わった読後に最も強く残ったのは、静かな感動だった。 ラウリは歴史を変える英雄ではない。むしろ歴史によって何度も居場所を失い、立ち止まり、自分を責め、それでも少しずつ自分の人生へ戻っていく人だった。 数字やプログラムという「かりそめでない世界」に居場所を見つけ、そこでイヴァンと出会う。しかし歴史はその居場所を引き裂く。それでも最後には、失った友人たちとの関係が完全に消えてはいなかったことがわかる。 そして、歴史にとって意味がないかもしれない一人の人生を、親友が書き残す。 特別ではない。だからこそ書く。 でも、誰か一人にとっては、どうしようもなく特別だった。 そのことを描いた物語として、心に残った。 また、読了後に解説を読むことで、ラウリの人生を追いながら同時にエストニア現代史を体験していたことに気づいた。エストニアという国について、知識だけでなく「人間がそこで生きる感覚」の解像度が上がった一冊だった。 - 2026年9月10日
傲慢と善良辻村深月読み終わった「傲慢」と「善良」という言葉の意味が、読書前と読書後で大きく変わった。 自分の価値観を持つことそのものが悪いわけではない。しかし、その価値観だけを物差しにして相手を測れば、相手を理解することを無意識のうちに諦めてしまう。 一方で、他人を尊重しようとして周囲に合わせすぎれば、自分自身の意思を失ってしまう。その「善良さ」もまた危うい。 だから必要なのは、傲慢さや善良さを完全になくすことではなく、自分の中にその両方があることに気づくことなのだと思う。 相手を自分の物差しだけで決めつけていないか。 周囲に迎合することで、自分で選ぶことを避けていないか。 『傲慢と善良』は、架と真実の物語を読み終えたあと、その問いをそのまま読者自身へ返してくる作品だった。 - 2026年9月5日
生き残った帝国ビザンティン井上浩一読み終わったローマの東西分裂が395年。 それ以降、幾度もの危機に瀕しながらもどうして1000年もの長きにわたって、東ローマ(ビザンティン)は生き残れたのか。 何故滅んだ、ではなく、何故生き残れたのかに焦点を当てている本著。 結論としては、ビザンティンはローマという建前で団結し、中身を柔軟に何度も変えてきたからである。 ビザンティン1000年の歴史を学べる良い本だった。 - 2026年9月4日
- 2026年8月30日
踏切の幽霊高野和明読み終わった最初は、踏切に現れる幽霊をめぐる怖い物語として読んでいた。 しかし読後に一番心に残ったのは、女性が何故踏切に向かっていたのか、その理由だった。 彼女には恨みもあったのかもしれない。それでも最後に残った願いが、あんなにも切ないものだったとは…… そして彼女を見送った松田もまた、妻を失った喪失を抱えたまま、この世界に残される。 この本で本当に怖かったものは、幽霊ではなかったように思う。 誰にも自分を知られないまま生きる孤独。 愛する人を突然失うこと。 そして、その人がいなくなった世界を一人で生き続けなければならないこと。 『踏切の幽霊』は、怪異を描いた物語でありながら、読み終えたあとに残ったのは、幽霊の怖さよりも、人の孤独と喪失の悲しさだった。 - 2026年8月28日
なめらかな世界と、その敵伴名練読み終わった高度なSF設定を楽しみながら、その設定によって人間の常識や倫理が崩されていく短編集だった。 この短編集で最も好きだった作品は 『美亜羽へ贈る拳銃』 インプラントによって、愛情、攻撃性、性格、知性など、人間の精神そのものを変えられる世界。 人間の愛情、人格、自由、幸福といったものは、科学によって細かく説明できたり操作できたりするようになったとしても、それだけで意味まで決まるわけではない。 科学が発達するほど、人間は答えを手に入れるだけでなく、今までは考える必要すらなかった問いを抱えることになる。 「科学技術の進歩に、人間の理性や倫理は追いつけるのか」 この短編を読み終えたあとに一番長く残った問いはこれだった。 - 2026年8月27日
成瀬は都を駆け抜ける宮島未奈読み終わった今作で最も印象に残ったのは、「極める」という成瀬の口癖が、単なる面白い言い回しではなく、彼女の人生観そのものとして描かれたことだった。 成瀬はゴールへ到達するためだけに歩いているのではない。 歩くことそのものを楽しみ、その途中で出会ったものを次々と自分の人生へ取り込んでいく。 そして、その姿を見た人たちもまた歩き始める。 坪井は料理へ。 ののかは次の配信へ。 西浦は新しい人間関係へ。 美貴子は五年前にできなかった一歩へ。 成瀬が誰かを変えようとしたわけではないのに、結果としてたくさんの人の人生が少しずつ動いている。 一方で、その成瀬自身も決して一人で光り続けられるわけではない。 最後に島崎が「わたしも二百歳まで生きよう」と言ったことで、今度は島崎が成瀬の長い人生を支える側へ回る。 新しい人がどれほど増えても、やっぱり最後には、 「成瀬と島崎なんだよなぁ」 と思わせてくれる。 四百万年を生きる琵琶湖のそばで、三百年でも四百年でも一緒に生きようとする二人。 この先の成瀬あかり史も、まだまだ見届けていたい。 - 2026年8月25日
成瀬は信じた道をいく宮島未奈読み終わった前作以上に「成瀬本人」だけの物語ではなくなった。 みらいちゃん、クレームをやめたい呉間言実、篠原かれん、成瀬のお父さん……それぞれ違う人が成瀬と出会って、少しだけ人生の向きを変えていく。でも成瀬は誰かを導こうとしているわけじゃない。ただいつも通り、自分の信じた道を歩いているだけ。 「何になるかより、何をやるか」 「向いているかどうかなんて、やってみないとわからない」 そして前作から続く、「大きなことを百個言う」。 このあたりが全部つながって、タイトルの『成瀬は信じた道をいく』がすごくしっくり来る。 しかも、その成瀬の生き方が周囲へ伝染していく。 みらいちゃんは将来を「職業」ではなく「何をしたいか」で考え始め、言実は自分の性質を否定するのではなく使い方を変え、かれんは家族から与えられた人生ではなく「これから自分の好きなものを探す」ことにワクワクする。 成瀬は人を変えようとしないのに、人が勝手に変わっていく。 そこがこのシリーズの気持ちよさなのかもしれない。 - 2026年8月25日
冬の子 ジャック・ケッチャム短篇傑作選カネコ・ヒロシ,ジャック・ケッチャム,金子浩気になる - 2026年8月24日
Newton (ニュートン) 2026年 9月号ニュートンプレス読み終わった - 2026年8月23日
成瀬は天下を取りにいく宮島未奈読み終わったとにかく成瀬あかりという人物が面白かった。 何をするかわからず、言葉遣いも時々妙で、普通なら尻込みするようなことにも平然と挑戦する。 読みながら何度もツッコミを入れてしまった。 そして、いいキャラしてるのは成瀬だけじゃない。 呆れたりツッコんだりしながら、なんだかんだ成瀬の隣に立っている島崎。そんな島崎が成瀬よりも好きに思えた。 - 2026年8月22日
本屋さんのある街で一穂ミチ,三浦しをん,凪良ゆう,坂木司,瀬尾まいこ読み終わった五篇すべてが同じように刺さったわけではなかった。 それでもアンソロジーだからこそ、一つの「本屋」という題材からまったく違う物語や価値観が生まれる面白さがあった。 特に心に残ったのは、本や本屋を必要以上に神聖なものとして描いていないところ。 本を読めば人生が救われるわけでも、本屋が街のあらゆる問題を解決するわけでもない。 それでも、本が一冊あることで少し気分が変わる。 気になる棚を眺めるために本屋へ入る。 そこで誰かと顔を合わせる。 疲れた人が少しだけ休む。 そうした小さなことが積み重なって、暮らしは少し豊かになる。 読み終えて改めて、本のある暮らしが好きだと思った。 - 2026年8月21日
イクサガミ 神今村翔吾読み終わった最初は、二百九十二人の猛者が十万円を巡って殺し合う、とびきり熱いデスゲーム時代小説として読み始めた。 実際、最後まで戦闘の熱量は凄まじく、「まだこんな強い奴がいるのか」と何度も驚かされた。 しかし四巻を読み終えて最も残ったのは、誰が一番強かったのかではなかった。 一人で強くなることだけが、本当に強いのか。 その問いだった。 京八流の答えは、 「奪うのではなく託す」。 双葉が辿り着いた答えは、人に頼った分、自分もまた誰かを支えること。 愁二郎が辿り着いた答えは、過去を振り返っても、そこへ戻らず前へ進むこと。 シリーズ開始時は「最強の一人を決める物語」だと思っていた。 でも実際には、 一人にならないことの強さを描いた物語だった。 奪い合うことから始まり、託し合うことで終わる。 多くの別れがあり、とても寂しい。 それでも最後には、これからの旅にも美しい景色と輝かしい出会いが待っていると思わせてくれる。 『天』『地』『人』『神』と続いた長い旅の終着点として、本当に清々しく、美しい完結だった。 - 2026年8月16日
イクサガミ 人今村翔吾読み終わったシリーズ三作目となる『人』では、当然ながら生き残っている者たちの強さも尋常ではない。 それぞれが異なる武器、武術、信念を持ち、「こんな戦い方まであるのか」と驚かされるような戦闘が次々に描かれる。 特に面白かったのが、一対一の強さだけでは突破できない戦いが増えていることだ。 即席で手を組み、それぞれの能力を組み合わせて圧倒的な敵を攻略する。武術だけではなく、知恵や駆け引きで自分より強い相手に立ち向かう。さらには、武人ですらない人々の仕事や技術が窮地を救うこともある。 「誰が一番強いのか」という単純な競争ではないからこそ、それぞれの人物に活躍の場所がある。この集団戦と役割分担の面白さは、『人』でさらに磨かれていたように思う。 そして本作で何より印象深かったのは、生き残った参加者たち一人ひとりの人生だった。 時代の変化についていけなかった者。 過去を忘れられない者。 誰かを守るために戦う者。 ただひたすら強さを求める者。 故郷のために戦う者。 蠱毒という場では全員が「倒すべき敵」になり得る。それでも、その人がなぜここにいるのかを知ると、簡単には敵と思えなくなってしまう。 登場時間の決して長くない人物にも、それまで生きてきた人生がある。その厚みがあるからこそ、一つ一つの戦いや別れが強く心に残った。 - 2026年8月15日
イクサガミ 地今村翔吾読み終わった『イクサガミ 天』で始まった、武技に優れた者たちが京都から東京を目指し、互いの札を奪い合う〈蠱毒〉。一作目の時点ですでに十分すぎるほど魅力的な設定だったが、二作目『地』では、その土台の上に物語が一気に広がっていく。 読み終えてまず感じたのは、物語の土台、ストーリーの広げ方、そして登場人物の厚み、そのどれもがすごいということだった。 『天』では、何者が何のために蠱毒を開催しているのか分からないまま、愁二郎たちは東京を目指していた。『地』では、その旅を続けながら、蠱毒の背後にあるものが少しずつ見え始める。 しかも物語が大きくなるほど話が散らかるのではなく、明治という時代そのものが蠱毒と結びついていくのが面白い。 特に印象に残ったのが、「武」というものが急速に時代遅れになりつつある世界で、達人たちが戦っているということだ。 武士という身分は失われ、刀を帯びることさえ許されなくなった。銃をはじめとする新しい武器や制度が広まり、それまで何十年もの鍛錬を必要とした力の価値そのものが変わろうとしている。 愁二郎たちは、とてつもなく強い。 しかし、彼らがどれほど強くても、時代そのものを斬ることはできない。 だからこそ、その姿が眩しく見えるのだと思う。 もし剣や槍が当然のように必要とされていた時代の物語だったなら、ここまで惹かれなかったかもしれない。自分たちが積み重ねてきたものが、もうすぐ必要とされなくなる。それでも技を磨き、信念を持って生きている。 時代に飲み込まれ、滅びゆく者たちだからこそ、その一瞬の輝きに魅せられてしまう。 剣豪デスゲームとしての圧倒的な熱さと、時代に取り残されていく者たちを描く切なさ。 その二つが同時に存在していることこそ、『イクサガミ』という物語の大きな魅力なのだと思う。 『天』で作った最高の土台を、物語、時代、人物のすべての方向へ大きく広げた二作目。 続きがますます楽しみになった。 - 2026年8月15日
読み終わったローマから始まる帝国史勉強のはじめの一歩 この本で一番大きかったのは「皇帝の名前を覚えたこと」じゃなくて、ローマが何度も制度を作り替えながら生き延びた帝国だったことが見えてきたことだと思う。 共和政が巨大帝国を処理できなくなると元首政へ変わり、一人の皇帝では帝国を守れなくなるとテトラルキアへ変わり、宗教環境が変わればキリスト教を取り込み、政治的中心までローマからコンスタンティノープルへ移す。 「昔ながらのローマ」を守り続けたから長生きしたんじゃなくて、むしろローマであり続けるために、何度も“ローマのあり方”を捨てている。 なかでも、二つの問題が、かなり印象に残った。 一つは、 巨大な権力をどう作るかではなく、その権力をどう次へ渡すか。 皇帝制は共和政末期の内乱への回答だったけれど、今度は帝位継承が新しい問題になる。養子継承がうまくいった五賢帝時代もあれば、軍が皇帝を競売にかけるところまで崩れる時代もあった。 もう一つは、 帝国が大きくなることと、その帝国を維持できることは別。 トラヤヌスの最大版図はローマの強さの頂点だけれど、その巨大な国境線は後には軍事費・兵員・統治コストという重荷にもなる。「拡大=成功」「縮小=衰退」では説明できない、というのがよく分かった。 - 2026年8月13日
イクサガミ 天今村翔吾読み終わった明治十一年。京都・天龍寺に集められたのは、全国からやってきた武芸の達人たち。 彼らに課されたのは、木札を奪い合いながら東京を目指す命懸けのゲーム「蠱毒」だった。 この設定を知った時点では、「明治時代を舞台にしたデスゲーム」というだけでも十分面白そうだと思った。実際、刀、槍、弓、忍術などを駆使する強者たちが次々と現れ、東海道を進みながら戦いを繰り広げていく展開は、とにかく熱い。 登場する武芸者たちには、それぞれ戦う理由がある。 何のために金が必要なのか。 誰を守りたいのか。 どんな状況でも、何だけは譲れないのか。 殺し合いという極限状態だからこそ、その人が何を信じて生きているのかが強烈に浮かび上がる。 特に好きだったのは、「ここだけは越えない」という自分なりの一線を持った人物たちだ。 敵か味方か分からない。 信用していいのかも分からない。 それでも、その人物が信じているものを知ると、不思議と惹かれてしまう。 一方で、そんな信念や倫理とはまったく別の場所にいるような人物も登場する。 ただ強者との戦いを求め、人を斬ることそのものを楽しむ者。 信念を持って戦う人物たちが魅力的だからこそ、そうした価値観の通じない敵の存在がより恐ろしく感じられる。いつ現れるか分からないだけで物語全体に緊張感を与える、非常に魅力的な敵役だった。 そして、本作について語るなら剣術の設定も外せない。 中でも愁二郎が学んだ「京八流」は、完全に好みだった。 武曲、禄存、破軍、巨門、貪狼、廉貞、文曲、北辰。 星の名を冠した八つの奥義。 名前だけでも格好いいのに、それぞれにまったく異なる特色があり、使い手によって戦い方まで変わる。 こういう設定がたまらない。 シリーズ第一作として、これ以上ないくらい見事に掴まれてしまった。 格好いい剣術と強烈なキャラクターが次々登場する、熱量の高い歴史エンターテインメント。 続きまで読まずにはいられない。
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