阿久津隆 "響きと怒り" 2026年4月16日

阿久津隆
阿久津隆
@akttkc
2026年4月16日
響きと怒り
響きと怒り
ウィリアム・フォークナー
p.22 「お前、ティー・ピー」と母がわたしをつかまえながらいった。わたしにはクイニーの蹄の音がきこえ、光ったものが馬車の両側をなめらかに動いていくのが見え、その光の影がクイニーの背中を横切って流れていた。それはまるで車輪の頂上が光ってでもいるふうに動きつづけていた。と、一方の側の光ったものが、兵士の像の立っている高い白い柱のところまできて、動くのをやめた。だがもう一方の側の光ったものは、なめらかにとざされることなく動きつづけ、しかしその動き方がいくらかゆっくりになった。 電車に乗ると『響きと怒り』を開いて光ったものが動くのを眺めた。 この馬車の場面、ラスターが25セント玉を捜している場面、ベンジーとキャディが寒いところにいる場面、3つの時間が流れているということなのだろうか。行きつ戻りつしながら、わかんないな、と思いながら読んでいると新宿三丁目で、着くとルノワールのところから上がって飲食店街で、7時前、歩く人はそんなに多くなく、先々月はもっと早い時間だったからそうかと思ったが、この時間でもこうだろうかと思いながら、九龍に行き、外の席に着いて、中は人気だが外は空いていて、思ったよりも寒い日で、風も冷たかった。リュックに入れてきた長袖を着たが、スパッツも履いてきたらよかった。 優くんに、着いた旨を伝える連絡をすると、やべ、と返事があり、7時半だと思っていたということだった。さっき電車で本を読みながら、やはりかぱかぱして読みづらい、ページを開くごとに、剥がすような感じになる、これはさすがに不便だ、買い直そうか、時間があれば紀伊國屋書店はうってつけだ、しかし今日は、と思って直行したわけだが、これなら紀伊国屋書店に寄ってもよかった、そう思いはしたが、待ち時間は待ち時間でいいものだった。リュックから本を取り出すと読書を再開し、どうも斜体のところで時間が切り替わるようになっているようだった。それなら、1928年4月7日っていうのはなんだったんだよ、と思いながらも、斜体で時間が変わるのだなと得心して読んで、しかし斜体がどうも、『アブサロム、アブサロム!』よりも読みやすいような感じがして、フォントが違うんじゃないか。 何年も何年も前、同じ九龍で、そのときは店内で、武田さんが来るのを待ちながら赤い表紙の文庫本、赤だから岩波かと思ったら筑摩書房だった、『フラナリー・オコナー全短篇』を読んでいた時間も思い出されて、九龍ではアメリカ南部の小説を読んで待ちがちということだろうか、ともあれ人を待ちながらする読書の時間はとてもいい。 ディルシーが「神様のおぼしめしのある時がくりゃあ、わかるだから」と言って、同じ言葉が『死の床に横たわりて』で言われたような気がする、と思っているあたりで人影が走ってくるので顔を上げると優くんが走ってきて、走ってる、と言うと、走ってきた、と言った。
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