
ジクロロ
@jirowcrew
2026年4月30日
明かしえぬ共同体
モリス・ブランショ,
西谷修
読んでる
「このノートがアリアドネの糸のように私を同胞たちに結びつける。その余は私には空しく思われる。とはいっても、私はそれを友人たちの誰にも読ませることはできないだろう」。なぜならその場合には個人としての友人たちによる個人的な読みとなるからだ。誰に宛てられたのでもない本の無名性はそこに由来する。そしてそれは未知の者との関係によって、ジョルジュ・バタイユが「否定的共同体、すなわち共同体をもたない人びとの共同体」と呼ぶことになる(少なくとも一度)ものをうち立てるのである。
(p.57)
こんなにもバタイユのことを切り刻んでいく人も珍しい。

