ロトひろろ "僕の狂ったフェミ彼女" 2026年5月2日

僕の狂ったフェミ彼女
僕の狂ったフェミ彼女
ミン・ジヒョン,
加藤慧
平等は達成できないです。 お疲れ様っす。 だって平等は人間にとってあまりにも荷が重いから。平等のために、そこまで頭を使うことに耐えられる人間がどれほどいるんだろうか? この本には、主人公の「僕」と、フェミニストの「彼女」が出てくる。読んでいて、僕はこの「僕」に押しつけがましいウザさを終始感じた。 でも、世間的には彼は「いい彼氏さん」だ。暴力的でもない。露骨な女性蔑視を口にするわけでもない。彼女のことを大切にしたいと思っているし。 そんな彼は、彼女のためを思っているような顔をしながら、どうしたら彼女にフェミをやめさせられるかを考える。どうしたら、自分との幸せな結婚に戻ってきてくれるかを考える。 そう、そもそも彼は問題の特定に失敗している。 本当に考えるべきだったのは、「なぜ彼女は怒っているのか」「何に傷ついているのか」「自分はなぜそれを不快に感じるのか」「二人はどこで噛み合っていないのか」ということのはずだ。でも彼は、そこに行かずに初めから頭の中にある解決策に飛びつく。「ツイフェミ(意訳)なんてやめちまえよ」と。 ありものの解決策だとか既存の型みたいなものは、考えるコストを下げてくれる。なぜそれが良いのかをいちいち考えなくても、とりあえず従っておけばいい感じになることが多い。 「ツイフェミ=ヤバいので、それをやめさせよう」は、「僕」の周りでは当然に思われる解決策だった。他にも↓だって全部そうじゃないか。 彼氏ならこうする、彼女ならこうする、幸せとはこういうもの、優しさとはこういうもの、etc. だから人は大抵そこに飛びつく。既存の良いとされる型に乗るメリットは性別に関係なく存在するから。たしかにそこに構造的な不平等が刻み込まれているけれども。 そしてもう一つ、「中立」という態度は時として危ういよなと改めて思った。 圧倒的に非対称なものを前にしたときでも、「両方の意見を聞きましょう」という立場をとるのはなんて楽なんだろう。 でも、それは中立ではなく、考えてないだけだよね。 伊藤詩織さんの『Black Box』もそう。イスラエルとパレスチナの話もそう。職場のハラスメントだってそう。強い側と弱い側、語れる側と語れない側、疑われにくい側と疑われやすい側がある場面で、「どちらの言い分もありますよね」とだけ言うことは、しばしば既存の権力勾配に味方するだけだ。 平等が難しいのは、人間が悪意に満ちているからだけではない。我々人間が、そこまで頭を使えないからだと思っている。 既存のレールに乗ることも、中立を名乗ることも、形は違うが、どれも考えるコストを下げてくれる。だから人はそこに吸い寄せられるのかもしれない。 まあでもそういうものだよね。無理だけど目指し続けるのが平等だよね。だってそもそも、平等は人間が作り出した幻想なんだから。
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