
ロトひろろ
@AI_authored_us
外に出ると不機嫌になるから仕方なく部屋で読書をする、
消極的よみんちゅ
- 2026年5月20日
- 2026年5月19日
- 2026年5月17日
大型商談を成約に導く「SPIN」営業術ニール・ラッカム,岩木貴子読み終わった新卒として経験ゼロから法人営業をやるので手に取ってみた。 それまでは営業に押し売りのイメージがあり、だからこそ苦手な印象があった。「そんな押し売りをするんじゃなくて顧客の悩みを解決することに注力すべきでは?」と思っていた。 この本を読んでわかったのは、前者は少なくとも大型商談では誤りであり、後者はまさしくその通りだったということ。 無知故にあらぬ誤解をしていたし、無知だけれども勘所はある程度わかっていたということなのだろうか。 - 2026年5月16日
私とは何かーー「個人」から「分人」へ平野啓一郎読み終わった読んでいる感覚としては、良質な高校入試の現代文に近い。平易で、わかりやすく、それでいて言っていることはかなり根本的というかなんというか。 この本で一番しっくりきたのは、「本当の自分」とかいうやつを自分の中心を置かないところである。 人は一つの本体があって、場面ごとにキャラを演じたり、仮面をかぶったりしているのではない。相手や環境ごとに生じる複数の「分人」のネットワークとして存在している。これが平野の主張だ。 面白かったのは、分人という枠組みが、いろいろな人間関係を一段立体的に見せるところだ。たとえば平野が行った講演会の話では、相手に合わせて基礎的な話をした平野が、文脈を知らない読者から「誰でも知っていることしか言っていない」と批判される。けれど、コミュニケーションは相手との共同作業である。その場で成立した話し方や内容もまた、その場の分人なのだ。だから、一場面だけを切り取って「これがその人の本質だ」と決めつけるのは乱暴だし、人がそこに抵抗を覚えるのも当然だ。 自傷行為についての考察も印象に残った。平野はそれを、単純な死にたい願望ではなく、耐えがたい自己像を否定し、別の自己像で生きようとする生きたい願望として捉える。慎重に扱うべき話ではあるが、消したいのは自分そのものではなく、あるセルフイメージなのだという見方は鋭い。 子育てや恋愛の話もよかった。子どもの環境を考えるとは、どんな分人の構成を持てるようにするかを考えることだという話は、結論だけ見ればありきたりかもしれない。でも分人という言葉を通すと、急に納得感が増す気がした。恋愛についても同じで、「愛とは、その人といる時の自分の分人が好きという状態である」という考え方は、人間関係全般に当てはまる。 - 2026年5月7日
おどろきの「クルド人問題」石神賢介読み終わった赤羽に住み始めた自分にとって、川口で語られるクルド人問題は遠い話ではない。だが、この話題はXなどでは議論の皮を被ったヘイトスピーチになりがちで距離を取っていた。 だからこそ、現地に入って具体的な人や場所を見ながら書かれた親クルドでも反クルドでもない立場からのルポであるこの本は面白そうだった。 特に面白かったのは、川口周辺の市街化調整区域とクルド人の解体業者との関係だ。この地域には、制度上、住宅や商店を簡単に建てられず、農地としても十分に収益を上げにくい土地がある。そこに、解体業のヤードとして土地を借りたいクルド人業者が入ってくる。これは土地を持つ日本人側にとっても、使い道の乏しい土地を貸せることには利益がある。 つまり、表面的には迷惑施設や地域トラブルとして見えるものの背後に、実は日本人側とクルド人側の持ちつ持たれつの関係がある。この構造があるのは川口市特有っぽく、川口と同様に外国人が多い周辺の市とは異なる点みたいだ。 この相互依存関係は問題を解きにくくもしている。土地を貸している側はクルド人を一方的には批判しにくい。地域住民は迷惑を感じながらも、完全に排除するわけにもいかない。クルド人側も、日本社会に受け入れられているというより、必要とされる部分だけで経済的に組み込まれているように見える。 本書の終盤で印象的だったのは、筆者がクルド人の多くを人懐っこくて親切とも描いている点だ。故郷での生活習慣、日本のルールへの理解不足、言語の壁、クルド人コミュニティを束ねるリーダーの不在(筆者の仮説としてはこれが大きいのでは考えていそう)、行政の対応不全が重なった結果、悪意というより齟齬が積み上がってあらゆるクルド人関連イシューが噴出しているのではないだろうか。 いつも思うが「誰が悪いのか」という問いはゴシップ的には面白いが、全くインタレスティングではない。やっぱりインタレスティングなのは、「なぜそうならざるを得ない構造ができてしまったのか」だ。この本は後者を感じさせてくれるものだったので満足した。 - 2026年5月3日
- 2026年5月2日
僕の狂ったフェミ彼女ミン・ジヒョン,加藤慧読み終わった平等は達成できないです。 お疲れ様っす。 だって平等は人間にとってあまりにも荷が重いから。平等のために、そこまで頭を使うことに耐えられる人間がどれほどいるんだろうか? この本には、主人公の「僕」と、フェミニストの「彼女」が出てくる。読んでいて、僕はこの「僕」に押しつけがましいウザさを終始感じた。 でも、世間的には彼は「いい彼氏さん」だ。暴力的でもない。露骨な女性蔑視を口にするわけでもない。彼女のことを大切にしたいと思っているし。 そんな彼は、彼女のためを思っているような顔をしながら、どうしたら彼女にフェミをやめさせられるかを考える。どうしたら、自分との幸せな結婚に戻ってきてくれるかを考える。 そう、そもそも彼は問題の特定に失敗している。 本当に考えるべきだったのは、「なぜ彼女は怒っているのか」「何に傷ついているのか」「自分はなぜそれを不快に感じるのか」「二人はどこで噛み合っていないのか」ということのはずだ。でも彼は、そこに行かずに初めから頭の中にある解決策に飛びつく。「ツイフェミ(意訳)なんてやめちまえよ」と。 ありものの解決策だとか既存の型みたいなものは、考えるコストを下げてくれる。なぜそれが良いのかをいちいち考えなくても、とりあえず従っておけばいい感じになることが多い。 「ツイフェミ=ヤバいので、それをやめさせよう」は、「僕」の周りでは当然に思われる解決策だった。他にも↓だって全部そうじゃないか。 彼氏ならこうする、彼女ならこうする、幸せとはこういうもの、優しさとはこういうもの、etc. だから人は大抵そこに飛びつく。既存の良いとされる型に乗るメリットは性別に関係なく存在するから。たしかにそこに構造的な不平等が刻み込まれているけれども。 そしてもう一つ、「中立」という態度は時として危ういよなと改めて思った。 圧倒的に非対称なものを前にしたときでも、「両方の意見を聞きましょう」という立場をとるのはなんて楽なんだろう。 でも、それは中立ではなく、考えてないだけだよね。 伊藤詩織さんの『Black Box』もそう。イスラエルとパレスチナの話もそう。職場のハラスメントだってそう。強い側と弱い側、語れる側と語れない側、疑われにくい側と疑われやすい側がある場面で、「どちらの言い分もありますよね」とだけ言うことは、しばしば既存の権力勾配に味方するだけだ。 平等が難しいのは、人間が悪意に満ちているからだけではない。我々人間が、そこまで頭を使えないからだと思っている。 既存のレールに乗ることも、中立を名乗ることも、形は違うが、どれも考えるコストを下げてくれる。だから人はそこに吸い寄せられるのかもしれない。 まあでもそういうものだよね。無理だけど目指し続けるのが平等だよね。だってそもそも、平等は人間が作り出した幻想なんだから。 - 2026年4月29日
僕の狂ったフェミ彼女ミン・ジヒョン,加藤慧読んでる流行りが落ち着いた?今になって手に取ってみるシリーズ 正直言って、いまのところ内容として新しい(「ハッ」とさせられる)ことはないので、小説として普通に読み進めている。 これを読んでいて、目の前の男性に対して、その人の配偶者のことを言いたくて表現に迷いすぎて言葉が出なかったという経験を先週したのを思い出した。 「配偶者」はカタ過ぎるし、「パートナー」という言い方は配偶者という意味をそのまま置換する表現ではないもんね。 やりづれえよ。婚姻。 - 2026年4月29日
「面白い!」を見つける林雄司読み終わった面白がることが1年くらい前からの自分の中のテーマだったりする。 一つには、自分なりの面白がり方を持っていることが、幸福な人生にとって肝要だと思ってるから。 もう一つは、面白がるという中立でもなんでもない感性こそが、ヒトらしさだと思ってるから。そうじゃない部分は機械に任せよう。 この本はファニーな面白さを話題の中心に据えて話を進めているけれど、インタレスティングな面白さにも敷衍できることはたくさんある。 - 2026年4月20日
読み終わった僕はビジネス書が嫌いだ。 高校生の頃は、ビジネス書は本ではないと思っていた。 大学生の頃は、ビジネス書はポルノだと思っていた。 なんで嫌いかって? マインドセットとかいうものが掴みどころがなくてどうとでも言えるから? 根拠に乏しい適当なことが書かれがちだから? 職人でもないただのオフィスワーカーに仕事「術」という言葉を使うのは仰々しいから? 特に自己啓発寄りのビジネス書を書く側も読む側も痛々しいから? 中学生の時に電車で見かけたビジネス書に付箋を貼る人に痛々しさや恥ずかしさを感じたから? じゃあなんで痛々しいの? 何者でもない僕たちが、それを読んでいる間だけ何者かになれたように錯覚できてしまうのが欺瞞的だから? そういうことを書いている筆者は何を成し遂げた何者なの? 多くのビジネス書に書いてあることはバラバラでまるで足し合わせたら0になるみたいだから? YouTubeで見かけた読書好きがビジネス書ばかり紹介していたから? じゃあなんでそれが嫌なの? 僕は本をジャンルによって差別しているから? じゃあ僕自身が普段読む本は僕に差別されない本なの? 名著とは言い難い本(悪書)が多そうなジャンルだから? そういえばビジネス書はポルノ的だと前から思っていた。 だって人前ではみないのが普通でしょ? 権力欲とか性的欲求を最短距離で満たすものでしょ? 上手くいった人の事例とか、スタイルの良い美人、みたいな実態を反映しない上澄みの話でしょ? どっちにもお決まりの型と流れがあるわけでしょ? 消費の後の虚無感もあるでしょ? え?ただの謎かけじゃあないよ。 そんな僕でも就職して(すでに)圧縮の必要に迫られてきて、このタイトルを目にした時に読みたいと思ってしまった。 ビジネス書を読みたくて読んでいる人は実はそんなにいないのかもしれない。みんな出口を見つけたくてビジネス書を読んでは、また新しいビジネス書を読むのを繰り返しているのかもしれない。 そうすると、なんだか今まで自分が漠然と許せないと感じていたものが許せるようになった気がした。ビジネス書がたくさん陳列される書店の陰に、人生や仕事に悩みながら生きている人たちの営みが見えた気がした。 「尖り」がだんだん丸くなっていく。僕はありがちな人の中の一人だ。なんて誇らしいんだろう。 (この本はかなり真摯に書かれているしビジネス書の中でも良書に分類して良いなと思った。ただ久しぶりにこのジャンルの本を読んでみて、思い直したことがたくさんあった。倦厭してたものだって、意外と悪くないもんだね。) - 2026年4月11日
相続仮面 (PHP文庫)竹内謙礼,青木寿幸読み終わった真面目だけどふざけてる、相続エンタメ小説。 小説だと思って読んでも割と面白いし、相続の知識も得られる。 法定相続分は存在するものの、決められた枠の中で、相続税・所得税・当事者間の感情などの問題を調整して解決する様子がポップに楽しめる! 気になった方はぜひ! - 2026年3月28日
増補版 ガザとは何か岡真理読み終わったイスラエルがガザやヨルダン川西岸でいかなる蛮行をおかしてきているのかがよくわかる。僕みたいな初心者におすすめの一冊だ。(もちろんハマスも国際法違反を犯しているのだが、程度で言えばイスラエルの方が圧倒的である。) これを読んでいて国際法とは何なのだろうと思ったりした。 国家の内部では、法は暴力装置を背にして人を従わせる。 だが国際社会には、それに当たる一つの権力がない。 だからイスラエルのガザでの行為も、ロシアによるウクライナ民間人へドローンを使った攻撃も、違法の疑いが濃く語られながら止めきれない。裁判所の判断や逮捕状があっても、執行できずにそのまま政治の力によって黙殺される。 結局、国際法は世界を裁くフェアなものではなんでもないのだろう。それは、破られたあとに残る記録であり、非難の言葉であり、ときに弱者がすがる最後の拠り所に過ぎないのかもしれない。 - 2026年3月21日
羊をめぐる冒険(下)村上春樹読み終わった鼠三部作の中で、最も読みやすく最も読み応えがあると思った。 とはいえ、作品の内容を具体的に語るにしては、語れることが多すぎるし、しかしそれでは全容を語れないし、なにより僕の頭の中が整理されていない。だから特に話せることはない。 読後にえもいわれぬカタルシスがあったとだけ言っておこう。 村上春樹を読むのは一旦終わりにする。 - 2026年3月15日
羊をめぐる冒険(上)村上春樹読み終わった上巻を読み終わったところで意外な効用があった。 まず鼠三部作の三作品目になってようやく読みやすく(理解しやすく)なってきた。僕がこの文体に慣れたからなのか、村上春樹が分かるような文章を書いたからなのかわからないが。 そして前回から引き続き、主人公の生活の描写が細かくされている。やたら髭を剃ったり、シャツにアイロンをかけたり、ガスの元栓を閉めたりなどなど。 これが僕にとってとてもありがたかった。 というのも最近の僕は新生活に向けていろいろな準備をしているのだが、生活に必要な物品を購入する際には、頭の中で自分が生活する様子を想像して必要なものを考えている。ところが、これではどうしても抜け漏れが出てきてしまう。 でも村上春樹が細かく私生活の描写をしてくれるものだから、僕が買い忘れていたものを小説を通してリマインドしてくれるわけだ。 おかげで買い物が捗りそうだ。 - 2026年3月10日
1973年のピンボール村上春樹読み終わったノルウェイの森、風の歌を聴け、1973年のピンボールと読み進めている。 正直言ってモヤモヤしているところばかりなのだが、一旦気にせずに羊をめぐる冒険に行ってみようかと思う。 - 2026年3月7日
読み終わった知床旅行前の予習として読んだ。 この本は、知床博物館館長をされた中川さんが20年前に書かれたもの。知床の自然を、生態系というマクロな視点と個々の種の魅力というミクロな視点で紹介している。 知らないこともたくさん出てきて小学生の頃のような気持ちで驚きながら読めた。 データが古い部分は「今はどうなんだろう?」と調べながら読むのも面白かったので、古めの本を読むのもそれはそれで楽しいかもしれない。 知床旅行前には多くの人におすすめしたい本なのだが、一次流通では入手できず、中古でしか手に入らなかったのが気になる点。 今手元にあるものは、どうせ僕がドッグイヤーしすぎて売値がつかないのだし、何より良書なのだから今後も売らずに持っておこうと思う。 - 2026年3月3日
センス・オブ・ワンダーレイチェル・カーソン,上遠恵子読み終わったセンスオブワンダーと愛のお話 前半はレイチェル・カーソンが姪の息子であるロジャーくんと自然を全身で体験するエッセイだ。後半はそれを踏まえて4人の先生が「私のセンスオブワンダー」を語っている。センスオブワンダーとは、神秘さや不思議さに目を見張る感性のことだ。 前半では、ロジャーくんと母親代わりのカーソンが森や海を探検し、そこで小さな発見を繰り返して感動をともにする。自然への愛、ロジャーへの愛、自分の人生への愛というか喜びのようなものが綴られているように思える。 前半で面白い部分は終わりかと思いきや、後半もずっと面白い。福岡伸一の語るセンスオブワンダーは筆力があって特に好きだった。もちろん他の3人も引き込まれる文章だった。後半のパートが添え物になっていない。 僕のセンスオブワンダーの経験に大したものはない(僕は生物が大の苦手だ)が、5歳くらいの時に父親と潮干狩りに行ったことをふと思い出した。どこかの干潟で適当に素手でちょっと砂を掻けばアサリが獲れたのには痺れた。時間が経つと潮が満ちてきて、それが「月が海水を引っ張っているからだ」と聞いた時、目の前の水平線からズームアウトして小さな地球と月の関係を想像して圧倒された。持って帰ったアサリの中に小さなカニがいて、そんなところを棲家にする生き物がいるのかと驚いた。 思い返せば、両親は無い袖を振って僕に時間やお金をつかってくれた。大学院も終わり春から一人で暮らす僕は、そんなことを思い返したりした。 - 2026年3月3日
風の歌を聴け村上春樹読み終わった語り手の偏りを表現しているのかな? 続けて2回目を読んでみた。 OFF、ケネディー、不毛、風、夢、指、ものさし、猿、などの単語が違った文脈でたびたび登場したりする。 これは語り手の思考の癖みたいなものを表現しているのかなと思ったりしたが詳しいことはわからない。 この小説は時間軸がちょこちょこ変わるので、2回目をすぐに読み直してみるとかなり頭に入ってきやすかった! - 2026年3月2日
- 2026年3月1日
読み終わった白でも黒でもない状態をどれだけ受け止められるか? 白か黒かでものを語ろうとする愚にもつかない意見が幅を効かせるネット空間では、これは忘れちゃならんよなと思っていたが、これに近い話を小川先生はしているように思える。 小川先生曰く、ドラキュラは二項対立を超えた物語だそうだ。 ルーツはアイルランドなのかイングランドなのか? 生きているのか死んでいるのか? 人間なのか怪物なのか? 旧来の女性像なのか新しい女性像なのか? セラピーなのかケアなのか? こういう二項対立の間のグレーに位置するような描写が多数出てくるそう。 ドラキュラ原作を読みたくなった上に、新刊の東畑さんの「ケアとは何か」(タイトルはうろ覚え)に遂に手を出しても良いかもしれないと思った。東畑さんの本は話題になって気になっていたが読む理由が自分の中でイマイチはっきりしなかったので買うのを控えていた。これなら買っても良いかもしれない。
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