
じょるじゅ。
@kameupaupa
2026年5月3日
読み終わった
@ 自宅
遅ればせながら第4回まで読み終わりました。
「心」は他者とのかかわり(予言不可能性)から生まれる、というのは確かにその通りだな、と思いました。完全に1人ならば、感情こそあれど言葉を交わす必要性がないので、美しい景色を見て感動したとしても、感情の枠に収まってしまうのかもしれません。
「自分のほかに本当に誰ひとり人間が存在しないと想像してみてください。」というところで、的はずれかもしれませんが、コロナ禍の非常事態宣言時の出来事を思い出しました。
どうしても1日だけ出社しないといけない日があり都心へ出たのですが、駅を降りたら全く人がいない、いつもなら片側3車線あるような大きな道路を途切れることなく続いていた車が1台もない、そしてちょうど電車が来ずに鳥も鳴かないタイミングで、本当に嘘みたいに無音になりました。
あの時、世界にたった自分1人だけ取り残されてしまったような感覚に襲われたのですが、あの状態を上手く表現する感情や言葉は今も見つかっていません。
普段は1人でいるとしても、電話やメール、SNSなどでやり取りをする相手がいれば違うのでしょうが、「心」をやり取りする相手がいないのなら、日常の中での機微も表現できない、表現する必要がない……そういう風になっていくのかもしれません。
ただ、予見不可能性は衝突や不快感をもたらすものでもあります。今後は話し相手として利用するAIに、“人間が傷付かない範囲”での予見不可能性を求める傾向は出てくるのではないかな、と感じました。
また、偏見や固定概念という曲者についても、ウィトゲンシュタインが思い巡らせていたと知り、ウィトゲンシュタイン自体が本当に「哲学」というものに真剣に向き合い、誠実に考え続ける努力をした人なんだと感銘を受けました。
偏見や固定概念は自分の中で無意識のうちに蔓延り、それが偏見や固定概念と思わずに考えるときの尺度として利用してしまっていると自分でも常々感じていたので、それこそウィトゲンシュタインの言う通り、「本当に誠実に考えること、あるいは考えようと努力すること」が必要不可欠なのだと肝に銘じたいと思います。
これを期に、『哲学探究』や『ラスト・ライティングス』も読んでみます!


