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じょるじゅ。
じょるじゅ。
@kameupaupa
どういうわけか、突然、夢野久作にハマったぷーたろーです。
  • 2026年9月17日
    美学入門
    美学入門
    難波先生のご著書を読むようになり、「そもそも美学とはなんぞや?」となっていた時に、「11社共同企画【四六判宣言】第26弾」の一冊としてこちらの本が取り上げてられていたため、読み始めました。 恥ずかしながら、これまで「美学」が学問の一分野であること自体知らず、美学というとなぜかルパン三世のテーマソングが頭に浮かんでおりました(「男の美学」的なイメージからでしょうか…?)。 実際に読んでみると、著者のベンス・ナナイさんもかなりエッジのきいた方で、カントが牽引した一般的な「美学」は「美的対象を見て、判断した結果」であり、本来の美学は「見る→判断する」の間の「→」にあたる注意の向け方とその時の経験ではないか?と、身近な事例をもとに説明していきます。 また、「西洋」で良い・善い・好いとされたもの“だけ“を対象とする美学を批判し、文化的な背景を“理解”し、多様性を含めて注意を向ける「美学的な謙虚さ」を持つように訴えています。 上記の理由から、日本文化についても触れられることがあり、「確かに国によって文化も背景も違うから、何が“美しい”と感じるかは人によっても年代によっても様々で、正解なんてないよなぁ」と思いました。 よく言われる例としては、西洋では完璧に完成されたものや左右対称のものが“美しい”とされますが、日本では“不完全さ”にこそ美が宿るとされていました(なので敢えて模様を一箇所だけ逆さまにするなど不完全にし、“永遠に完成しない=終わりがない”という美を表現しているようです)。 そして、そもそも美的経験とは「自分の心が大きく揺さぶられ、震えることである」とナナイさんは言います。現在は何でもかんでも考察しようとする傾向が強いように感じますが、腕を捲りまくり見ているようでは、その経験自体が本当に良いものであるとは言いづらいですよね。自分がどう感じたかそのものには、正解も間違いもないわけですから。 また、幼い頃に触れた音楽や美術などが、その後の自身の美的判断に大きな影響を与える、というのは仰る通りですと何度も深く頷きました。 私は批評家ではないので自分のことと内容とを関連して書いてしまいますが(笑)、最初に触れた音楽はジャズと洋楽80‘s、そしてシティポップでした。そのため、今も新たに好きになる音楽には存分にその影響が見て取れます。 また、本著を読んで偶然思い出したのですが、小さい頃「美の巨人たち」というテレビ番組を見るのが大好きで、その中でも本著にもちょろっと登場するジョルジョ・デ・キリコの作品「Melancholy and Mystery of a Street」(日本では「通りの神秘と憂鬱」や「都市の神秘と憂鬱」と呼ばれる作品)にものすごい衝撃を受けたんですよね。それはあれから何十年たった今でも、ずっと変わりません。 ただ、ナナイさんのご経験を拝読した後だど、昔好きだったものを見て今も心揺さぶられるのは、ある意味幸せなことなのかもしれない、と感じました。その作品を批評的に見たり、考察するために熟考したりしたわけではなく、「うまく言えないけどなんか好き‼︎」という子供の頃の感性のまま、大切にしまい込んでいたからかもしれません。 しかし、その作品の背景や作者さんが接してきた文化について“理解”することは、新たな注意を引き、新たな経験=視点になります。 美学というものの懐の広さと深淵さの一端に触れることのできる一冊でした。
  • 2026年9月17日
    空を飛ぶパラソル
    今日も今日とて、夢野久作を読んでおります。 本書に収録されている作品のうち、初めて読んだのは「復讐」、「ココナットの実」、「老巡査」でした。 「ココナットの実」の主人公であるエラ子、かなり猟奇的というか……夢野久作作品の登場人物の中でも、トップクラスで無邪気な狂気を持ち合わせていて、読みながらゾワッとしてしまいました。 また、「老巡査」はなんかこう……ちょっと切ないお話でした。 夢野久作作品では、「巡査辞職」も巡査の男性が主人公でしたが、少し寂しさというか切なさを含んだお話になるのですね。 そして今は『少女地獄』を読み始めております。笑 読まないとソワソワして落ち着かないんですよね……まさに夢野久作中毒です。
  • 2026年9月17日
    闇を裂く道
    先日、三省堂書店の神田神保町本店へ行ったところ、向井秀徳さんのPOP UP SHOPが!! 向井秀徳さんの選書一覧も掲出されており、そちらを拝見したところ、吉村昭さんの作品が何作もリストアップされておりました。吉村昭さんがお好きなのでしょうか?(詳しくなくてすみません…) 向井秀徳さんの選書一覧には記載がなかったのですが、私の中で吉村昭さんといえばこちらの本。母の地元でもある静岡県函南町にある、丹那トンネルを題材とした作品です。 現在、リニア新幹線の建設工事が進む中、井戸の水が枯れてしまったり、逆に変なところから水が湧いてきてしまったり、ということが起きていると耳にします(あまり報道されませんが……)。 実は丹那トンネルの建設時にも似たような事象が発生し、わさびなどを栽培して暮らしていた地元の人々は、大打撃を受けることになりました。 そしてその豊富な水源は、工事に携わっていた方々の命をも奪うこととなります。 人間の都合で自然に手を加えるということがどういうことなのかーー実はこちら、読んでいるうちに段々と辛くなってしまい、途中で挫折してしまったんですよね…… リニア新幹線の工事自体はもう止まらない(止められない)でしょうから、せめて完成する前には再度挑戦してみたい作品です。 写真は、向井秀徳さんのPOP UP SHOPの様子です! 今月29日まで開催しているそうです。 ▷https://bjbj.jp/info/news_33 (帰って見直したら、左側が切れてしまってました…😥)
    闇を裂く道
  • 2026年9月16日
    小泉八雲集(新潮文庫)
    東京は9月に入ってから毎日雨が観測されているそうで、約140年の統計期間でも初めてのことなのだとか。 こうも雨が続くとお洗濯ものも乾かずですし、一緒に暮らしているリクガメさんもテンションが上がらないみたいです。 でも、雨が降ると、私はこの本を思い出します。 私は旅行先の本屋さんで本を買うのが好きで、こちらは以前、松江市に行ったときにartos Book Storeさんで買わせていただいたものです。 松江では「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるくらい雨の日が多いそうで、その日もポツポツ雨が降っておりました。 店内はシンプルかつオシャレながらも穏やかな空気で、店主の方も優しく、色々もお話してくださいました。 そして店内を包んでいたフレグランスがとても心地好くて、こちらも併せて購入させていただきました。勿体なくて、ちょっとずつケチケチ使っていたため、実はまだ残っていたりします😅 ちなみに私が持っている本と、Readsに登録されている表紙と異なるので、一応、私が持っているものを載せておきます。
    小泉八雲集(新潮文庫)
  • 2026年9月15日
    冗談に殺す
    冗談に殺す
    『夢の巻』に続いて拝読しておりました。 いやぁ…やっぱり夢野久作作品は面白い! 個人的には「キチガイ地獄」、「木魂」、「眼を開く」、「オンチ」が刺さりました。 特に「眼を開く」では思わず泣いてしまいました……多くの作品で狂気や非日常を醸し出している幻想的な描写が、こういう風に淡く穏やかにも変化するのですから、烏滸がましくも本当に素晴らしい作家さんだったのだな…と改めて感じておりました。 あと、夢野久作作品に登場するヒロインはカッコ良い女性が多いのですよね。それがまた痺れます。 まだまだ読みたい夢野久作作品があるので、また本屋さんへ行かなければ!
  • 2026年9月11日
    冥土行進曲
    冥土行進曲
    昨日購入したのに、またも夢中で読み進めてしまいました。 こちらは1977年に刊行された短編集『狂人は笑う』に、「冥土行進曲」を収録し、改題したものということで、初版発行は2023年になります。 個人的にはちょっとベタかもしれませんが、「爆弾太平記」にやはりグッときてしまいました。夢野久作作品の登場人物って不思議な魅力というか、引力があるんですよね。 解説にも書かれていましたが、本書収録作品も夢野久作作品の根底にある世間に対する怒りや皮肉がたっぷり込められておりました。 夢野久作のすごいところは、“どちらかに偏らないところ“だと思っています。対立する立場のどちらか一方から相手を非難するのではなく、どちらの立場にもある闇を描き出しているんですよね。 例えば、資本主義vs社会主義という対立構造であれば、一見社会主義批判の作品が多いように見えて、ちゃんと資本主義の問題を扱う作品もあります。その視野の広さと知識量の豊富さには、もう敬服するばかりです。 ちなみに今のところ、夢野久作作品を読んで精神に異常をきたすということはないのですが、1日1回は夢野久作作品…というか、夢野久作の文章に触れないと落ち着かない身体になってしまったので、そこはおかしくなっているとも言えるかもしれません。 これまで本は好きでも文学と縁遠かった私がここまで読み耽っているので、母もびっくりしています。 とはいえ、あまり作品数が多いわけではないので、それが少し寂しいところです。歴史や過去に「たられば」は禁物と言いますが、読めば読むほどに、先の大戦を経た夢野久作が紡ぎ出す世界を見てみたかったなぁとどうしても思わずにはいられなくなってしまいます。
  • 2026年9月9日
    こころは遺伝する
    こころは遺伝する
    夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んだ後ということもあり、本屋さんでタイトルを目にした瞬間、ハッと静かに息を呑みました。 決定論などとも関わるのかもしれませんが、薄々気づいているとしても、環境という“自分で変えられるかもしれない”影響が大きいと思いたいですよね。 今の辛さは環境のせいで、環境が変われば自分もきっと変われるーー でも、そういう環境を選択したのは自分の遺伝子が関係しているのだよと言われたら、私はドキッとしてしまいます。 図星だからなのか、恐怖からなのか……心して拝読させていただきます。
  • 2026年9月7日
    あやかしの鼓
    あやかしの鼓
    もっともっと夢野久作作品を摂取したくなり、こちらも数日前から読み始めておりました。 なんだか読み終わるのが勿体無くて、少しずつ読み進めていたものの、結局引き込まれてしまい、あっという間に読了となりました。 探偵小説として最初に発表された「あやかしの鼓」から、「あやかしの鼓」を酷評していた江戸川乱歩が絶賛するまでになった「押絵の奇蹟」までの短・中篇を中心に収録されており、その怪異さもさることながら、全体的に人間の悍ましさ、冷酷さ、愚かさがより出ているように感じました。 本書収録作品での登場は少なかったのですが、夢野久作作品には現代でいうところの知的障害をもつ人たちが精神異常者と言われる立場として出てきます。が、実際にはその周囲を取り巻く「“普通の人間“と思い込んでいる健常者」の方が何倍も猟奇的で狂気に満ちている……という一種の皮肉を感じます(そこが好きなのですが)。 日本の探偵小説といえばお馴染み、江戸川乱歩も指摘しているように、最初のお話である「あやかしの鼓」は途中「ん?」となるところが正直ありました。そして、「これは探偵小説か?」という異論が出るのもまぁ致し方なしかな…という内容でしたが、個人的にはそのスピード感と艶かしさというか……主人公と一緒に目まぐるしく巻き込まれていく点も含めて好きな作品でした。個人的に能楽に興味があるので、随所に「おおっ!」となるところがあったのも大きいかもしれません。 そして、本書のラストを飾る「押絵の奇蹟」は、江戸川乱歩が絶賛するだけありまして、なんかもう胸がキュッとなるような……いっそ幽玄さを感じるお話でした。 ……ふと思ったのですが、押絵って今はどのくらいの知名度なんでしょうかね…?私は実家にたまたま立派な押絵羽子板があったのと、小学校でも簡単なものを作らされたのとで馴染みがあるのですが、今ってほとんど見かけないですもんね。 個人的に心に残ったのは、「空を飛ぶパラソル」ですかね。なんかもう…うん。とにかくいろんな人に読んでほしいと思いました。笑 対になっている『久の巻』も近いうちに読みたいと思います!本屋さんにこっちしかなかったんですよね…!
  • 2026年9月7日
    人間失格 (1952年) (新潮文庫〈第443〉)
    DOESさんの新曲が「人間失格」と知り、うちの蔵書にあるかを母に聞いたところ、昭和49年に重版された本著を渡されました。 「私が中2のときにお心遣いで買ったやつ。これで読書感想文書いたんだよ」ということなのですが、お値段が140円でびっくりしました。物価が今とは違うとはいえ、うらやましいお値段です。 子どものお心遣いで何十年、何百年、何千年も前の先人たちの知や文化、思想、哲学、美学に触れられたのだから、文庫本ってやっぱりすごいなぁ、と改めて感じました。
  • 2026年9月2日
    人間レコード 夢野久作怪奇暗黒傑作選
    今日から読み始めたのですが、夢中になってしまい、気づけば一気に読み終えてしまいました。 「探偵小説」というジャンルは、推理小説やミステリー小説にあたるのでしょうか…? この辺、明るくなくて恐縮なのですが、夢野久作の作品は推理小説でもミステリー小説でもなく、「探偵小説」なのだと改めて感じる短編傑作集でした。まぁ、『ドグラ・マグラ』自体がアンチ・ミステリの金字塔と呼ばれているくらいですからね…… 夢野久作の作品は、事件の経緯や犯行内容、トリックを「推理」するのが目的ではなく、それらの事件を引き起こす人間の心の奥底を「探偵」する小説というか……人間の醜さ、愚かさ、冷酷さを描き出しながら、弱者と呼ばれる立場の人に目を向ける。新聞記者でもあった夢野久作ならではの視点なのかもしれません。 現在は差別用語とされる単語が随所に散見されますが、当時はそれだけ当たり前に使われていたということの証左ですし、夢野久作自体がその人たちを差別しているわけではないことは、話の内容から十分に伝わってきます。 どのお話もそれぞれ印象的だったのですが、個人的には最初のお話でいきなりガツン!とやられてしまいました。 他の作品もまだまだ読んでまいりたいと思います。
  • 2026年9月1日
    人新世の「黙示録」
    8月中に読み終えたかったのですが、途中、『ドグラ・マグラ』に夢中になってしまい、予定より1日遅れでの読了となりました。 前作の内容では既に手遅れであるという危機感から、新たに書かれた本著。前著以上に、斎藤先生の逼迫した思いが伝わってきました。 私も概ね、斎藤先生の掲げる「暗黒社会主義」的なところに落ち着かない限り、人類が地球上で生存していくのは難しいだろうな、と感じています。 昨今、アルテミス計画などを筆頭に宇宙開発が盛んになっておりますが、そこにイーロン・マスク氏が大きく絡んでいるというのが全てというか……宇宙の起源云々はおまけのようなもので、地球に未来はないから火星への移住を考え始めている富裕層がいるのは間違いない訳ですよね。 開発がうまくいけば自分たち“選ばれし者”は助かるし、そもそも開発自体がお金を産む訳ですから、こんなに美味しい話はないです。 それでも斎藤先生のお話は、非現実的に思われる方も少なくないと思います。なぜだろうと考えたときに、以下の理由が浮かびました。  ① 資本主義に夢が残っている(ように感じる)  ② 贅沢をやめられない  ③ 気候変動や環境活動家に良い印象がない  ④ 主張する気がない ①は、「たくさん働けば、良い職種に就けば、うまいこと儲かるのではないか?」という幻想が、今も根強く残っているからではないかな、と思いました。幻想というか、「世の中はそういうものだ」とインプットされてしまっている感じでしょうか。 ②は、ブランド品や高級車などが現在もある程度売れていることからもわかる気がします。ブランドって、ブランド自体がもつ優越感なども含めて買ってるんですよね。太古の昔より豪族が自身の立場を知らしめるために装飾品をつけていたように、贅沢をすることは人として逃れられない本能の一部なのだと思います。 ③は、日本で報道される環境活動家の方々が、失礼を承知で申し上げると、ちょっと非常識というか、礼儀がなっていないというか……日本人の場合、そういった振る舞いをする人の話に耳を傾ける人は多くないと思います(かく言う私もそうなので…) そして一番大きな理由かな、と思っているのが④です。何より私自身がそうなのですが、「きっと国がなんとかしてくれる」と人(というか国や自治体)任せにしてしまい、自分で動こうという人が少ないので、いろんなところでいろんなものに文句は言えど、己の意思表明を伴う“行動”はしないというか……まぁ、選挙率が軒並み3割以下の国ですからね。残りの7割は「お上の仰せのままに」ってことですもんね。 本著を拝読し、一番考えされられたのが「自分がどのように行動を起こすか」というところでした。 一度波が起きればなんとかなりそうな気もするのですが、その波を起こすための行動が大変なんですよね……かくいう自分もきっと何もしないんだろうな…と既に後ろ向きです。これが本当にいけないんですけども。 未来にもう希望はない。選べるのは絶望の度合いだけ。 その度合いは、私たちの行動次第だと喉元に刀を突きつけられる著書でした。
  • 2026年8月29日
    ドグラ・マグラ(下)
    勢いのまま読み進め、気づけば午前3時になろうかというところ……いやもうすごいです!己の語彙力のなさに落ち込みますが、とにかく「すごい」の一言です。 正直、何が真実なのかはわかりません。でも、ある意味「わからないのが正解」と思わされるような、“何が真実なのかはわからない”けれど、“誰かの記憶から想起されている”というか……それこそ本当に胎児の見ている夢なのか。いやいや、この本自体が著作内にも登場していた『ドグラ・マグラ』自身なのかも…?(後半の方は主人公の言葉ながら「記したくない」等も書かれていますし) いやー、「胡蝶の夢」よろしく、私自身も今が夢なのか現実なのかがわかりません。笑 昭和10年に出版されたということで、現在の感覚からすると「おっと」となる表現も多分にあるため、その点気になる方はあまり読まれない方がよいかと思います。 でも、そうでないなら是非一度この感覚は味わっておいて損はないというか……小説にこんなに引き摺り込まれたのは、本当に久方ぶりです。 探偵小説というジャンルではありますが、推理云々よりも、人間の精神というか心理というか、そういった分野に科学的かつ哲学的に切り込んでいった視点がすごい…と感嘆しきりでした。 夢と現実、過去と現在、生と死、といった二つの世界を行ったり来たり…まるで「あわひ」の物語のように感じたのですが、夢野久作が能を嗜んでいたのも関係あるのでしょうか…? ちなみに、物語の重要な鍵となる絵巻物ですが、「そういえば、九相図ってあったよなぁ」と思い出して調べてみると、現存する九相図のうち、いくつかは九州にあるのですね。 そういったところも、物語に関係しているのかも…?と思ったり。 そしてまた余談になりますが、この本を出版した年にお父様が亡くなり、その翌年にご本人も同じ原因で亡くなった…というの知り、斎藤先生と正木博士との因果関係のようで、少し驚いてしまいました。 さて、今の精神状態でちゃんと眠れるか…脳髄だけ熟睡し、私の細胞の一部が寝落ちできずに他の細胞や内臓器官を揺り動かしてしまうかも。そんな考えが過らずにはいられない作品でした。
  • 2026年8月28日
    ドグラ・マグラ(上)
    昨日、突然読みたくなってしまい、母の蔵書から拝借して参りました。 普段、文学を含む小説の類はあまり読まない上、夢野久作の作品自体、読むのが今回初めてなのですが、もうはちゃめちゃに面白過ぎてあっという間に読み切り、現在下巻を貪るように読んでおります笑 読んでいると、驚くスピードで時間が過ぎていき、私も夢の中にいるような心地です。こんなに面白かったとは……もっと早く読めばよかったなぁ。 既に別の作品も読みたくなってしまっておりますが、まずはこちらを完走したいと思います!
  • 2026年8月26日
    アンチ・スポーツの哲学
    難波先生の新刊ということで拝読させていただきました。 私自身、スポーツはあまり好きではない(身体を動かすのもそんなに好きではないし、球技がまるでできなかった)のですが、本書を読んだことで、自分は<スポーツ>するのが嫌なのではなく、スポーツに関する雰囲気や文化、イメージが好きではなかったのだと気づきました。 難波先生がご指摘する通り、スポーツとは何かを考えるとき、私たちはスポーツそのものよりも、その周辺にある物語や道徳性を含めて「スポーツ」をイメージしているな、と思いました。 ただ、スポーツ自体は“究極にフェアな競い合い“であるはずで、「道徳心が育つ」とか「挫折が今後の人生の糧になる」というのは本当なのか?と、文化部オンリーだった私も側から見ていて疑問でした。 もしかしたら、ルールに則った上で相手を潰すことが公に許されている…というか、それが目的だからこそ、そういった競争心や暴力性を正当化するためにそういった考えが生まれていったのかなぁとも考えました。 また、難波先生はスポーツはゲーム的とおっしゃられていましたが、個人的にはギャンブル的な側面も強いのではないか、と感じました。というのも、母が熱狂的な燕党(私も燕党ですが、母ほどではない)なのですが、負けると翌日までギャーギャー嘆いて「もう野球は見ない!」と何度も言うくせに、夕方になると先発は誰だ、スタメンが発表されたとソワソワ。そして試合が始まれば、コソコソとスマホを見て一喜一憂。 あまり感情の波を起こしたくない私は、「それなら見なきゃいいのに」と思うのですが、その一喜一憂自体にある種の中毒性があるようなのです。だからこそ、最近は観客やSNS上での行き過ぎた非難や暴言が加速しているように感じます。 スポーツ選手のペルソナを勝手に理想化し、ちょっと何かあればすぐにこき下ろしてしまう…身近な人であれば表立ってできないであろうことを、スポーツ選手などの有名人であればOKというのは恐ろしい心理ですよね。 またも脱線になって恐縮ですが、私が誰かを熱烈に応援するのが苦手な理由もわかった気がしました。その人のことをよく知らない(こっちが一方的に知っているだけな)のに、「好きー!」と騒いで、もしもその人が法に触れるようなことや不祥事を起こしたときに、自分はどう振る舞えるのか…相手の更生を信じて支えられるか、というところまで考えてしまうせいかもしれません。 「ひどい、裏切られた!」と見限るのは簡単なのですが、それこそその人のペルソナを勝手に消費して、使い捨てるような気がして、どうも居心地が悪くなるのです。 難波先生のご著書は、自分の経験と照らし合わせて色々と思い巡らせることができるので、とても有難いです。 そして本書を読んでいる間に、難波先生の最新刊が発売されたようなので、そちらも読ませていただきたいと思います!
  • 2026年8月20日
    人新世の「資本論」 増補新版
    前回読んだ斎藤先生の本から他のご著書も気になり、拝読いたしました。 思ったこと、感じたことなどはありましたが、まだ続編の『人新世の「黙示録」』を読んでいないので、最終的な感想はそちらで書ければと思っております。 個人的に「脱成長」路線(資本主義との決別)は同意する部分も多いのですが、正直なところ、再生可能エネルギー(風力、太陽光、地熱など)や電気自動車などにはまだ少し不安要素というか、「それらの製品の一生を追いかけていったときに、本当に環境への影響が少ないのか?」というところは疑問視しているところがあったりします。 また、このまま資本主義を貫いていっても、奇跡的に脱成長コミュニズムへ舵が切れたとしても、そもそもの母数(人口)が地球の資源に対して多過ぎると思っているので、人口増加または維持したままという想定では、どちらに転んでも残念な結果になるのではないかなぁとは思いました。 とはいえ、斎藤先生もご指摘されている通り、この世はなんでも「商品」になりますからね。実は私もSDGsが出てきた時に「欧州発の新規ビジネスがまたやってきたな…」と感じてしまった1人です。 そして本当にブルシット・ジョブが多いし、そういう仕事がなぜかびっくりするぐらいお金をもらえるという(自分も少なからず加担していたわけですが…)。 東大卒業生の多くがコンサルへ就職するとか、いわゆる「直美」が増えて一般診療医が人手不足になっているとか、ある種当然の流れだよなぁと諦めていましたが、もう少し「いやいや」と思い直し、続編を拝読してみたいと思います。
  • 2026年8月7日
    性的であるとはどのようなことか (光文社新書)
    難波先生のご著書をすべて読んでみたい!ということで、今回はこちらを拝読いたしました。 面と向かって議論したり、考えたりすることが憚られるものの、大きな問題を引き起こす「性的快感」や「性的興奮」について、新たな視点で捉えようという内容になります。 本書を拝読し、(いつものことで恐縮ですが)少し脱線するものの、私が小説をあまり読まなくなったのは、小中学校時代にあった読書の時間に読んだ本のせいかも…?と思いました。 というのも、私が小中学生の頃は『世界の中心で愛を叫ぶ』や『いま、会いにゆきます』などが映画化され大ヒットした時でした。当時は本好きではなかったため、読書用の本を探しに本屋さんへ行った際、安直に「まぁ、なんか人気あるし」と映画も見ていないのに買って読んだところ、突然挿入される性描写に「えっ」と驚くとともに、(これらの作品が好きな方々には本当に申し訳ないのですが)行為そのものに対しての不快感と合わさって、「話の本筋に関係あるのコレ?」「漫画とかアニメはR18とか規制されるのに小説ならいいのかい」という違和感が強く残ったのです。 その後、国語の教科書に載っていた短編から気になって読み出した村上春樹作品や、気になって購入した歴史小説でも同様の現象に苛まれ、「小説は不意にそういう描写が出てくるかも知れない」という警戒心から、距離を置くようになったところはあると思いました。 そう考えると、文字のように自分で想像する必要があるものは良くて、パッと視覚的に入ってきてしまうものは悪い、ということになるのでしょうか…?確かに、視覚情報って強烈ですからね。広告がバッシングの的にされやすいというのは、そういうのも関係あるのかも知れません(あと、広告というものに対して、最近はあまりいいイメージがないのも関係しているような…?)。 ただ、「恥ずかしさ」という意味では、自分の感情が揺さぶられるというのに加え、その本を読んでいるときに誰かに見られて「この人、こういうのが好きなのか」という目で見られるのが「恥ずかしい」と感じる方が強いように思いました。人目を気にする文化圏で育っているからでしょうか。 また、「えっちさ」を2つに分けるという点で、個人的には「崩れのえっちさ」の方に共感しました。「崩れのえっちさ」というと、永井荷風の『濹東綺譚』を思い出します。 また、個人的に興味を持っているので、九鬼周造の『「いき」の構造』を取り上げていただいていたのは嬉しかったです。 普段、自分自身が何に対して「えっちさ」を感じるかについて、あまり考えたことがなかったので、これを機に何に対して心が動かされるのか、自分の感じ方に意識を向けてみようと感じました。 生活に密接…というか、生活の一部であるのに見逃されがちな点に優しい眼差しを向けられる難波先生のご著書、これからも楽しみにしております。
  • 2026年8月5日
    40歳からは自由に生きる 生物学的に人生を考察する
    母から借りた本シリーズです。「アンタ、もうすぐ40歳になるんだから読んでみたら?」と渡されました。 全体を通して、池田先生節が炸裂しており、クスリと笑いつつ読ませていただきました。 人間(ホモ・サピエンス)は本来であれば38歳が寿命と知り、以前、将来について悩んでいた後輩に「昔は人生50年って言ってたんだから、一旦50年で完結するつもりで人生設計してみたら?」と話したことを思い出しました。「50歳になったら、次の50年をどう生きるか考えれば良いのでは?」なんて話した私が全く何も思い描けてないのですが、残り数年で生物としての寿命を迎えると思うと、なぜだか少し心が軽くなりました。 最近読む本でもキーワードとして出てくることが多い「“今”を生きる」というスタンスについて、本書でも言及されておりました。無意識ではあるものの、自分がそういった考えを求めているのかも知れません。 実は私は幼少期から「死」に対しての恐怖感があまりなく、逆に「この先まだ生きていくのか…」とため息が出てしまうタイプです。人間以外の生物は「未来」というものに囚われていないというご指摘に、「確かにそうかも」という同意と「そうかなぁ」という疑問がありました。 私は長いことクサガメと暮らしているのですが、クサガメは結構な記憶力があります。過去にあった出来事を覚えており、そこから未来に何が起こるか推測することがあるように見受けられる時があるのです。ただ、クサガメが推測する未来は長くても数日先くらいかと思いますので、人間のように何ヶ月、何年、何十年先のことを思い悩むことはないのでしょう。 また、語弊を恐れずに言えば、私も人口は減少した方が良い…というか、現在の新自由主義の流れであれば、早かれ遅かれ人口減少する方が選択される、と考えています。国や自治体は財源(というか、経済を回し、税金を払ってくれる存在)として人口増加に躍起になっていますが、子どもの場合は早くても生まれてから15年ほど経たなければ難しいわけですから、その間にAIなどの技術はあっという間に進んでいくはずです。 1人のAI技術者が100人分、1000人分の生産性を生み出せるとしたら、その100人、1000人に該当していた人たちの仕事は奪われ、食いっぱぐれてしまいます。それはAI技術者とて例外ではなく、AIが進歩することでAI技術者も段々と数を減らされていくのでは?と私は考えています。 そんな未来が待っているかも知れない中で、生まれてきてくれた子どもたちに自分は何を遺せるのだろう…と考えることが増えました。 そういったことも含め、池田先生のようにあるがままに振る舞うのは難しいとしても、もう少し人間社会と距離を取りながら過ごしても良いのかな、と思わせてくれる一冊でした。
  • 2026年7月30日
    カメが教えてくれた、大切な7つのこと
    カメが教えてくれた、大切な7つのこと
    優しく穏やかな賢者として森の動物たちから尊敬されているカメのクールマが、悩みを抱えた動物たちの相談を通して、生きていく上で大切な大切な7つのことを教えてくれる…という内容です。 ドイツで出版され、日本語訳されたのが約10年前。カメ好きな私が見つけて購入したのは2、3年ほど前だったと思うのですが、その時点で既に中古しかありませんでした。 実は、以前読んだ際は「書かれていることは理解できるんだけど、実践するのは難しいなぁ」というのが正直な感想でした。 そこから少し経ち、ふと「再読してみようかな」と夜寝る前に少しずつ読み進めておりました。 仕事で身体を壊したからというのもあるかも知れませんが、今になって「そうだよなぁ」と心に染み込んできました。 ドイツで出版された本ですが、ヨガや東洋思想がベースとなっているので、日本人でも違和感なく受け入れられると思います。 エクササイズと題して具体的な実践方法も書かれており、耳障りの良い言葉がただ並んでいるだけでの本ではないのも、個人的には有難いポイントです。 特に、意識して動作をゆっくり行うというエクササイズは、非常に参考になりました。 先日拝読した難波先生の本ともつながるのですが、意図して「自分の時間」を自分へ引き戻すために、自分が本当にやりたいこと、やらなければならないことを選び取って丁寧にゆっくり行うと、「自分の時間」というものはちゃんと自分の手元にあるのだ、と実感できたのでオススメです。 また、呼吸の大切さを改めて痛感いたしました。本を参考に自分の呼吸を見直してみたら、なんと息を吸うときにお腹を凹ませていました……そりゃあ呼吸が浅くなるわけです。 それから呼吸に意識を向けるようにしたら、かなり改善されてきました。今は、身体の緊張がほぐせるように練習しています。
  • 2026年7月30日
    現代語訳 風姿花伝・三道
    隣町珈琲さんで開催されたイベントをオンラインにて視聴し、気になって購入いたしました。 『風姿花伝』は岩波文庫から出版されているものを何度か読んでいましたが、岡田利規さんの現代語訳はかなり理解しやすく、<花>についてもよりイメージが湧きました。文庫を読んでいた時にも、世阿弥が当時の能に対して危機感を持っているのはなんとなくわかっていましたが、自分が使っている現代語で読むと、より一層伝わってきました。 でも、600年経っても通じる部分が多いということは、良くも悪くも人間は変わっていないのだな…とも思ったり。変わらないからこそ、古典が今も残り続けているとも言えるのですが…… また、今回初めて『三道』を読んだのですが、ここまでわかりやすくてはっきり書かれた能の作り方の本があることに驚きでした。こういったノウハウをもとに、世阿弥は名作と呼ばれる作品をたくさん残していったのですね。 今度、アリストテレスの『詩学』と読み比べても面白いかもと思いました。 それしても、読んでいたら能を観に行きたくなってしまいました。今年はまだ能を観に行けてないので、どこかのタイミングで行きたいなぁ。
  • 2026年7月29日
    なぜ人は締め切りを守れないのか
    難波先生の著書を全部読みたい!ということで、今回はこちらを拝読いたしました。 締め切りの考え方として「プロジェクト」という概念を導入されたことに驚くとともに、納得しかありませんでした。生産性や労働力について議論されることはありましたが、自分たちの時間についても無視され、奪われているという考えはあまりなかったと思います。 私も例として出てきたシステム構築の仕事をして身体を壊したので、プロジェクト的時間の苦しみは非常にわかります。難波先生もご指摘されていた通り、プロジェクトは必ず遅れます。上の人はスケジュール厳守かつ品質担保を強く要求してきますが(それがお仕事なので)、スケジュール自体は各担当に詳細なヒアリングなどせずにお客さんの要望に合わせて無理に引くので……まぁ、クライアント側が要望するスケジュールに無理があることもあるのですが、コンサルの口添えもあったりするのでクライアントの都合だけじゃないことも少なくないというかゴニョゴニョ…… 資本主義は、搾取する側が搾取される側を生産力として数値化するので、個人が生きる時間は無視されてしまいがちです。元々達成できない締め切りを守るために、たくさんの人たちが苦しんでいるわけですから、それが健全な世界とは思えないですよね。 難波先生のおっしゃる通り、ちょっと前まで現代でいうところの締め切りは存在していなくても世界は回っていたわけですから、たとえ今はまだ理想論のように聞こえるとしても、私たちが生きる時間を再設計することもできるかも知れません。 少なくとも、自分の生活を見直してプロジェクト的な締め切りと向き合う必要があるなと改めて感じました。
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