
ジクロロ
@jirowcrew
2026年5月4日
明かしえぬ共同体
モリス・ブランショ,
西谷修
読んでる
読み終わった
あまりに名高く繰り返し語られてきたヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という教えは、そう言表した彼自身が自分に沈黙を課すことができなかった以上、決定的に口を閉ざすためにこそ語る必要があるのだということを指示していると受けとるべきだろう。しかし、いかなることばで語るのか? それはこの小著が他の書物に委ねる問いのひとつである。だがそれは、他の書物がそれに答えるためというよりは、それらがこの問いを担い、それを引き継ぐためである。
(p.116-117)
「決定的に口を閉ざすためにこそ語る必要がある」
(音)声として語れないことを文字に託す(書として語る)こと、これもまた「沈黙」の表現であると言えるのではないかと思う。
誰の耳にも聞こえず、誰も目にしない(開かれない)可能性(不可能性?)を宿している語り、それが書物。
光とは何かということ。
それは「目」でもなく「言葉」でもなく、
「開く」という行為に顕れるものではないかと思う。
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」
語りえぬ語りを終えて「閉じる」こと、沈黙。
他者の沈黙を開くこと、読書。
光の届かない領域にこそ、光に満ちた関係性に開かれているということ、『明かしえぬ共同体』。
饒舌な沈黙、冗長的な凝縮、
襞、モナド、ボルヘス。
ナブ・アヘ・エリバ、文字の精と文字禍。
「廃墟」として象徴される図書館を思う。
そこに通う人間もまた饒舌なる「廃墟」であるとも。
「閉じた」人間には、「明かしえぬ共同体」のうちに
生きる必然性と「開く」希望が宿っている。

