句読点 "モモ" 2026年5月5日

モモ
モモ
ミヒャエル・エンデ,
大島かおり
店でやってる読書会に向けて読了。読むのはたぶん3回目。 何度読んでもその度に発見があるし、読んでよかったと感じる本。読んでいる時間が「豊かさ」そのものであると感じられるような本。 最初に読んだときは第一部が長く感じられてなかなか読み進まないことに焦れったさを感じていたが、それこそ自分の中に「灰色の男」が潜んでいたのだと思う。 2度目以降に読むと、この第一部こそが物語の中でもとても大事なもので、物語の最後に行き着くハッピーエンドの続きとしても読める。この物語は円環構造のようになっていて、だから何回読んでも、むしろ何回か繰り返して読むことを前提に作られていると思う。のちに出てくる時間の国へ通じる道で、ゆっくり進むほど速く進む道が出てくるが、この物語もそのようにしてゆっくり読むほど、あっという間に読み進めることができるということをエンデは意図したのではないかと思う。 モモの「ほんとうに聴く」ことができる能力は、なかなか身につけられるものではないが、モモの姿を通してそれがどのようなものかを想像することはできる。 ベッポの言葉がやはり何度読んでもいい。日頃ときどきこの言葉を思い出す。 第二部から灰色の男たちが暗躍しはじめ、それまでのモモの周りの豊かな時間がどんどん奪われ始めてからはページを繰る手が止まらない。床屋のフージーさんのところで灰色の男が使う詐術のカラクリに、渦中にいたら気づけるかどうか。時間に利子などつくわけがないと、常識的に判断することができるか。灰色の男が「無駄だ」と指摘する行動全てが逆に豊かさそのものであると逆説的に気づかせてくれる重要な場面でもある。 ベッポやジジも次々と灰色の男たちに侵食されていく様子は痛々しい。左官屋のニコラやファストフード店となったニノの店の非人間的な働き方も。 やはり12章の時間の国の場面がこの物語の白眉だろう。黄金色のパンとチョコレートのおいしそうなことと言ったら!カシオペイアが全編通してかわいい。隠れたもう一人の主人公でもあると思う。マイスターホラが語る時間についての秘密。「あなたは死なの?」というモモの問いかけにたいする返答が意味深い。灰色の男たちはほかならぬ人間自身が生み出したものであることも語られる。 ホラが「星の時間」の存在を語るが、実際に自分の人生を振り返ってみてもたしかにそのような特別な瞬間というのはごく稀に訪れている気がする。 「あの人たち、いったいどうしてあんなに灰色の顔をしているの?」 「死んだもので、いのちをつないでいるからだよ。おまえも知っているだろう、彼らは人間の時間をぬすんで生きている。しかしこの時間は、ほんとうの持ち主から切りはなされると、文字どおり死んでしまうのだ。人間というものは、ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」 (第12章より) モモが時間とは一種の音楽のようなものだと気づく場面。最初の第一部で、宇宙の耳たぶのような円形競技場跡でモモが毎晩星たちの音楽を聴いていた場面と繋がる。 「あの音楽はとってもとおくから聞こえてきたけど、でもあたしの心の中のふかいところでひびき合ったもの。」(同) 「時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。」(同、ホラの言葉) 「話すためには、まずおまえの中でことばが熟さなくてはいけない。」(同) そのほかにもいろいろこの章はハッとするような言葉がたくさん出てくる。 その後第3部はハラハラドキドキの展開で一気に読み進める事ができる。灰色の男たちが自滅していく場面は人間の欲深さとか執着心とか利己心とかそういうものが凝縮された感じで、見ていて痛々しい。最後に納得したように「これでいいんだ」と呟きながら消えていったさいごの灰色の男の言葉はなぜ。 短いあとがきの中で、エンデはこの物語をある夜行列車の中で向かいに座った不思議な男から聞いた、という設定でこの物語を終える。その男は「この物語は過去に起こったことのように話しましたが、これから起こることとして語ってもよかったのですよ」ということを語る。まさしく、いま世界中に灰色の男たちが暗躍しているように思えてならない。自分の生活を振り返ってみても、「盗まれた」としかいえないような時間の経ち方をしていることが多々ある。特にスマホを触っているときはすさまじい。灰色の男が子どもたちに与えていた「完全無欠なビビガール」なんてまだかわいいと思えるくらいに、この小さな「完全無欠な板」はおそろしい。かといって投げ捨てることもできない。あのモモでさえ、ビビガールから意識を逸らすのには苦労していたのだ。 そう感じている人が多いのだろう、近年もまた『モモ』がとてもよく売れているという。今年は日本語版が出て50周年だという。はやくこの物語が「過去に起こったこと」で終わる日がくればいいと思う。いや、たぶん終わることはないのだろうな。また何度でも繰り返すのだろう。その度にこの物語は力強く、カシオペイアのように導いてくれるにちがいない。
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