
mimo
@mimorial
2026年5月7日

されど私の可愛い檸檬 (講談社文庫)
舞城王太郎
読んでる
『ドナドナ不要論』読了。
変わってしまった奥さんの冷たさに、古傷をぐしぐし抉られてヒッ…となった。怖かった。「自分の子どもなんだから」とかないよ。自分にいっぱいいっぱいの人には、子どもだろうが家族だろうが、配慮する余裕なんかない。子どもだからって配慮なんかされない。守られない。あの日々を思い出して、身体が急激に冷えてしまった。なのに変な汗が出る。寒い。
肝心のドナドナ不要論だけど、不要というより忌避だったんだろうなと思う。ドナドナが持つ悲しみにあてられたくなかった。避けたかった。でも現実の悲しみは避けようがなく、容赦なく、滝のようにドシャドシャ降ってくる。その濁流に頭まで浸して初めて、あ〜ここにあるのは悲しみだけではないな、なんかいろいろあるや、って気づく。ドナドナもそうだったんだな、って気づく。
子どもの頃は「なんでこんな悲しいばっかりの話があるんや」と思っていた古典も、なんやかんや経験してから読んでみると悲しいだけじゃないことに気づくじゃない?あれなのかな。ギュッと圧縮して言っちゃうと。いや圧縮し過ぎか。圧縮はあんましたくないな、間接的に気持ちから目を背けちゃうからさ。