
najiok
@najiok
2024年12月29日

慣れろ、おちょくれ、踏み外せ --性と身体をめぐるクィアな対話
森山至貴,
能町みね子
読み終わった
能町みね子さんと社会学/クィア・スタディーズを専攻する学者森山至貴さんの対談。「LGBTQ+」「セクシュアル・マイノリティ」の、学術研究の知識からと、その当事者として現代に生きる人としての言葉が、率直で誠実かつ大胆で痛快、納得感の深い対話となっていた。
「LGBTQ+」と、言葉としてひとまとめにされているがそれぞれ異なっており、たとえば性的指向に関するLGBと、性別の不合を抱えるトランスジェンダーの間にはかなりはっきりとした違いがある。かつては互いに批判的だったこともあったが、それでもいまは理解を深め共に行動することの重要性が認識されている。
その上で、LGBTQ+とそれ以外という分け方に陥ってしまうことへの危惧や、たとえばTと言った時に一個のカテゴライズに自ら収まろうとしてしまうことの違和なども言及されている。
また、“ジェンダー的な固定観念から解放されていこうよって言う側でありつつ、なんならマジョリティ以上にジェンダーロールを気にしているのかも、というところへの矛盾”というのも説明されると理解できてしまい、セクシュアル・マイノリティに留まらないこの問題の一筋縄でいかなさも感じた。
侮蔑語を逆手に取って自称とし、カテゴライズを超えながら、懐疑と批判をもって自在に闘う「クィア」という概念は本対談で重要視されている。研究分野であり自分の意識としてもクィアな森山さんと、話しながら自分のクィア性に気づいていく能町さん。
違いのあるまま違いがあることを認めながら一緒にやっていく、アイデンティティをプロセスとして捉えて変化することや揺らぐことをきちんと考える、貪欲に逆手に取って喧嘩を売る。
正当に対峙して闘うやり方もあるが、既存の制度の隙間を縫っておちょくるように大胆に抜け抜けと生きていくことも重要だ。
制度を逆に乗りこなして利用してやるくらいの方が生きやすい人もいる。制度に反抗するのもいいが、自分主体でいられたほうが楽。
自分主体でいることを手放さない、制度に取り込まれないこと。
「慣れろ、おちょくれ、踏み外せ」というタイトルはクィアな勢いと好戦性が感じられて良い。
セクシュアルマイノリティは実際に存在しているのだからお前たちはいい加減「慣れろ」、既存の制度や枠組みをわたしたちは「おちょくれ」、既存のラインをみんなで出過ぎた真似をして「踏み外せ」。

