
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年3月20日

まだ読んでる
カフェ読書
近所のカフェで2章分読み進める。思い当たる節や思い出される実家の場面が、たくさんある。
第3章。
“これは私の持論なんですが、最良の第三者は、本来は父であるべきなんです。/[...]家族の難しいことからは責任逃れをして、そのくせ自分は犠牲者ぶった顔をして、なおかつ既得権益は手離さない。こういうやり方が日本の父権主義です。”(133頁)
“[...]かわいいかどうかは別にして、赤ちゃんが泣いてると何とかしなきゃと思うのは、母性愛というより、母親の尊厳なんですよ。愛という言葉を使わなくても、十分に私は人は人を大切にできると思う。”(137-138頁)
第4章。
“[...]子どもは親にとって一種の解放区でもあります。[...]/何を言っても何をしても、どんなに叫んでも、許される。このことが虐待につながっていく。/この解放区というのは、自分の延長であることと表裏の関係なんです。[...]この二面性を、やっぱり知っておかないといけない。”(148頁)
“[弱者の権力性について]ところが、母の愛は違うんですよ。犠牲者のままでいられる。子どもからしたら、母の不幸というのはすべての不安の種なんですね。お母さんが不幸であることほど、子どもにとって苦しいものはない。だから、自分が自己犠牲を払って不幸でいるかぎり、子どもを味方に引き入れることができるんです。”(159頁)
“子ども以外の存在から支えられること。これを考えなきゃいけない。”(172頁)
