
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2026年5月10日
体の居場所をつくる
伊藤亜紗
まだ読んでる
朝読書
@ 自宅
第五章は「元」在日コリアンのユニ・ホン・シャープさん。障害や病気だけが身体論のテーマなのではなく、国籍やアイデンティティの問題もまた体の問題でもあることについて。補助線としてのヘレン・ンゴ『人種差別の習慣』。
〈差別は、する側にとっても、される側にとっても、身体の習慣、つまり無意識の体の使い方のレベルにまで、深く組み込まれたものなのです。〉(128頁)
第六章はナルコレプシーの駒澤典子さん。様々な症状がもたらす一様ではない苦労、をめぐる「身体」と「社会」の絡み合い。そして、それをさらに複雑にする「薬」の存在とその「社会的」副作用。
〈食欲や性的欲望、あるいは友情といった人間の生にとって欠かすことのできない必需品がすべて商品化され、つくり直されてしまった時代において、睡眠だけが、「植民地化できないもの」として残り続けている[...]〉(149頁)
〈あるテクノロジーの誕生が、その障害や病のまわりに生まれていた「文化」の死につながることがあります。テクノロジーは万能ではないにもかかわらず、その意味や価値を問う活動が失われていく。〉(165頁)
第七章はALSで野口体操の実験者でもあった新井英夫さん。身体だけでなく「動く」ことそのものが問い直される、新鮮な議論だった。
〈体を個体として考える見方は、別の言い方をすれば、骨格や筋肉を中身にして身体を捉える、ということです。しかし、全身の力を抜いてみるとどうか。むしろ、揺れる液体のほうが主であり、その中に、骨や内臓が浮かんでいる、と考えることもできるのではないか。〉(183頁)
〈むしろ影響されやすくあること、信じ切って任せるほうに振り切るならば、そこに筋肉を使わない「動く」の可能性が開けてきます。〉(188頁)
第八章は原因を特定できない様々な不調とともに生きてきた谷田朋美さん。「因果関係という時間的な枠組み」に頼れないからこそ見出された「もう一つの時間」について。フィリピンの詩人パオロ・ティアウサスも登場。
〈原因探しの旅は、自分の体がさまざまな「記憶したことのない記憶」とともにあることを確認する作業でもあります。[...]「記憶したことない記憶」を介して、さまざまな傷との連帯の網目を形成することにつながっているのではないか。〉(215-216頁)





