
aymr
@quasciAYMR
2026年5月10日
爆弾
呉勝浩
読み終わった
長谷部、等々力、スズキに始まり登場人物は各人は自分のズレた部分を含めた律のような物で構成させた考えを持っている。
それを信じるかどうかは個々人次第だけれども、薄皮一枚でそれを露呈させていないだけの人が多いのだろうと考えた。
自分がおかしいのだろうかと思いながらもやめられない思考や行動や、ふとした衝動が自分の意思とはまた違う狂気や暴力性を孕むのに、なんて事ない顔して暮らすには、その内性と噛み合わない歯車をなんとか理性では滑らせているだけに見える。
その気性に飲み込まれて犯罪に手を出してしまったり余計な言葉を舌からつるりと落とす人物はごまんといるだろう。
そう思うとそもそもの環境が良くない人々が前向きに生きるのは、幸福な生活の存在からみたら堅く滑らかな理性や思考の持ち主たちなのか。
陰で自らの律に則る行動で解消しているのか。
作中で恐ろしく思うよはその狂気や歪みが特別な異常者の特異な物ではなく、先にも書いたように全人物に当てはまる部分があることだった。
長谷部達の思想や行動は逸脱というものに間違いは無い。それでも彼らの抱える執着、怒りの質感には妙な現実味があり、だからこそ読みながら、自分や身近な人物の中にも地続きの感情として存在しているのではないかという不安が残る。
テロ的な犯罪を描くならば爆弾で無くてもよいのに敢えてこちらを題材と据えているのは、人の内面に置かれている不発弾のような狂気のメタファーのように感じる。
普段は理性や社会性という蓋で押さえつけられているが、環境や偶然、あるいはたった一言で簡単に蓋がズレて開いてしまうような危うさがある。
作中での起爆瞬間は劇的ではなく日常の延長のシーンでばかり行われる。
これもまたそれに一つ準えているのかとすら
善良な人間が善良たる理由は、善良であろうとしているから、だけなのかもしれないと思う。
爆弾2も熱が冷めぬうちに読み始めよう

