
Ryu
@dododokado
2026年5月11日
触発する言葉
ジュディス・バトラー,
竹村和子
読んでる
平和なデモが国の核心を攻撃していると言われ、暴力的で脅威的なものとして、もしくは「暴動」として説明されるとき、そこに作動している言葉の触発的な力をめぐるある幻想が伝達されている。人種主義を批判すれば、それは何かしらの魔法の力で白人の企業を倒産させるし、レイプへの批判は、何かしらの想像上の力によって去勢という極端にまで至るし、パレスチナにおける平等の要求はすなわち、イスラエル国家の「破壊」となり、トルコについての反体制的な意見の表明は「反逆罪」とみなされる。このどの場合にもーほかにも多くあるのだがー傷を受けたというまさにその主張が、反対意見の表明というまさにその行動が、公的な言説のうちで、国家権力による抑制が必要な暴力もしくは混沌の激発へと、変身するとまでは言わないにせよ、変形させられるのである。ところが明確に人種差別的で、反ユダヤ的で、ファシズム的な発話は、経済学者のミルトン・フリードマンによって規定された意味での「自由市場」を支えるのみならず、民主主義的な自由と、暴力や侮辱から保護されたいという正当な主張を抑圧するための(いまやますます軍事化した)普察力の使用と共存する、「思想の自由」の一部なのである。(ⅹⅷ)