
ジクロロ
@jirowcrew
2026年5月12日
読んでる
「タマ」は「神」とちがって、増えたり減ったりする。「神」のような特定の性格づけも機能ももたない。明確な名前も持たないし、変幻自在でいっときなにかのかたちであらわれたかと思うと、すぐに別のかたちをしたものに変身していってしまう。
「神々」はしばしば体系のなかに組織されて、国家のために役立つ存在になる。ところが「タマ」のほうは、なかなか体系につかまってしまうことがない。「タマ」はしばしば威力のある動物と結びつく。しかし「神」はそれよりもずっと人間化の度合いが強い。
……
ところが、どんどんすがたを変えていったり、一定の居場所を持たなかったり、半分自然のなかに身をひたしている「タマ」は、人間化の度合いがずっと低いのである。
(p.24)
「神々」は特定の役割を持つ。それは場所を得た者に与えられる「かたち」、超人でありつつも人間の営みと関わりをもつ、定型。
「たま」はふらつく。「生きている」というよりも、生きとし生けるものに「憧れている」、自分にはそう思える。不定型のままに彷徨う者の自由。
「タマ」が「神々」よりも、より原始的であるということ。
折口はそんな原始性の自由に憧れを抱いていたのかもしれない。
型にはまらず、型に嵌められることなく、動くもの(動物)になり、野を駆ける。