
はな
@hana-hitsuji05
2026年5月15日
虚弱に生きる
絶対に終電を逃さない女
読み終わった
図書館本
図書館で借りた
原因不明が1番タチ悪いと思う。
この状態に名前がついているのなら、それは誰かがその存在に気づいて名付けたってことだから、諦めることも含めて次の段階に進むことは出来る。
身体は痛みや不調のサインを発してきているのに、それが何なのかはわからない。これがしんどい。医者も「これは何の病気ですか?いつ治りますか?」と聞かれたって困るのはわかってる。でも、名前がないと自己責任とか甘え扱いされやすい。
さらに「性差別の医学史」を読んだ時、一人ひとりがそもそも違う個体なのに、メインで研究されているのは男性の身体だったと知って愕然としたのは去年の話。
日本の学校で体育や運動を教える時、もう少し健康のためにそれをすることの楽しさや意義みたいな視点で取り組みたかったと思う。
フォームや身体の動かし方を何ひとつ習った記憶がない。さぁ、やってみて、で終わり。
私の場合はつらいことがあると、学生の時の極寒マラソンより今の方がキツイか?と基準にしてものを考えることがある。
体育祭で誰1人やりたがらなかった中距離走の種目を引き受けた友達は、私より体力のない子だった。今でも尊敬してる。
「ただすべてを黙って我慢して、一切合切が日常風景として流れていった。こういう世界しか知らなかったので、世界はこういうものだと思っていた。」
著者同様、パートナーが隣にいるところまでは想像出来ても、自分に子どもがいて家族が増えるイメージを持ちにくい。
小さな集団やコミュニティの中にいないと不安になったり、そういうものを作りたいと思うのが普通の感覚なんだろうか。
年々、自分にどんなことが起きても誰1人いなくなったとしても、黙って傍にいるのは自身だけだなという感覚が育ってきている。他者は彗星や流星群みたいなもので、一過性だと思ってる。
ただ、お互いのことを犬や猫くらいの存在感として受け入れ合える人がいればその縁は大切にした方がよさそう。
ルッキズムについてのパートが興味深かった。何度も繰り返し思うけど、とにかく一人一人が全員もれなく全て別物なので、時代の価値観はあれど、体型の理想という基準にバリエーションがないのは本当に不思議。
人生を通して年単位で体重は増減するし、その時の身体を止めることは出来なかった。命に関わる病気なのか?と心配されたこともあれば、揶揄されるような増加もあった。
じゃあもう数値とか平均とか言う前に、その時の身体がその状態でいることを望んでそうなったのでは??なんて思う。
それを周囲の価値観と比較して、身体の意思に逆らって調整しているような気がする。ルッキズムの呪いの強さは計り知れない。
刻一刻と変化していくのが摂理かもしれないのに、抗いすぎる。
もう体力があると思っていた頃の貯金を使い果たして、突然ガタが来ることに驚く。
どんな動物も心拍数のMAXは同じで、全て打ち切ったら死ぬ、みたいな話を思い出した。
漫画家も多忙な人が早死にしていたと言うし、人生のどのタイミングで何に命を削ったかで配分が変わるのだろうか。
今のところまだ週5日8時間働けてしまうし、それで得られるくらいの稼ぎを必要としてる。もう少し段階を下げて、でも生きていける方法はないのかな…と考えながら本を閉じた。









