Ryu "響きと怒り" 2025年3月20日

Ryu
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@dododokado
2025年3月20日
響きと怒り
響きと怒り
ウィリアム・フォークナー,
桐山大介
凄かった。 以下は読書会で自分が発言する前に作ったメモ。 ⭐︎情動・時間性・メディア ・以上の三点を軸に読むことができる。すなわち、モダニズムの(時間的)断片性とそれが生む情動性、そしてそのメディア的条件。 ・タイトルの『響きと怒り』自体が、意味のない、言語化不可能な情動を示している。ベンジーの呻き声など。 ・この情動性を捉える上で参考になるのが、フレドリック・ジェイムソンが『The Antinomies of Realism』で示した二項対立。リアリズムにおいては「語ることの衝動」と「アフェクト」が均衡を保っていた。しかし、20Cに入ってメディア(ラジオや映画の発達)によって後者が台頭してくる。その影響という意味でも、物語がその両者に必要とされたという意味でも。 ・このアフェクトは無時間的なもの。つまり絵画的瞬間、実存=現在=現前=強度、時間論的過剰。 ・メディアの時代的背景としての技術的複製可能時代。 ・それがトラウマ的反復と渾然一体。たとえばベンジーやディルシーの泣き出すシーン。情動は表象不可能なもの。メディアの進展による過剰さが描かれる。 ・ベンジーのカメラ的、集音マイク的な語り ・レイモンド・ウィリアムズ「感情の構造」やウルフ作品と対照した時何が読めるか。 ・ベンジーに接する登場人物と、その語りを読む読者の共感的態度 ◯情動 276「それには何の意味もなかった、ただの音だった」「船の汽笛に似て」ベンジー 285 説教師の声とそれによって泣くディルシー 付録で「運命付けられ」たキャディの人生=物語とテクスト全体を貫く情動の自律性 ◯時間性 サルトルのフォークナー論。 直線的に読めないこと ナラティブ(物語)への抵抗 情動的な瞬間 場面のモンタージュ 読み終えてから最初を読み直すとよくわかる ◯メディア 20C以降の技術的複製可能時代 268 カリカチュアのバーテンダーのよう 272 電話 280 辺りの光景全体が平板で奥行きがなく、まるで平らな大地の最果てにボール紙を立てて絵を描いたようだった 290「自分の声を聞いていると屈辱と無力感が増してきて」 319 キャディの不穏な写真、凍結した時間
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