響きと怒り

19件の記録
- Ryu@dododokado2025年3月20日読み終わった凄かった。 以下は読書会で自分が発言する前に作ったメモ。 ⭐︎情動・時間性・メディア ・以上の三点を軸に読むことができる。すなわち、モダニズムの(時間的)断片性とそれが生む情動性、そしてそのメディア的条件。 ・タイトルの『響きと怒り』自体が、意味のない、言語化不可能な情動を示している。ベンジーの呻き声など。 ・この情動性を捉える上で参考になるのが、フレドリック・ジェイムソンが『The Antinomies of Realism』で示した二項対立。リアリズムにおいては「語ることの衝動」と「アフェクト」が均衡を保っていた。しかし、20Cに入ってメディア(ラジオや映画の発達)によって後者が台頭してくる。その影響という意味でも、物語がその両者に必要とされたという意味でも。 ・このアフェクトは無時間的なもの。つまり絵画的瞬間、実存=現在=現前=強度、時間論的過剰。 ・メディアの時代的背景としての技術的複製可能時代。 ・それがトラウマ的反復と渾然一体。たとえばベンジーやディルシーの泣き出すシーン。情動は表象不可能なもの。メディアの進展による過剰さが描かれる。 ・ベンジーのカメラ的、集音マイク的な語り ・レイモンド・ウィリアムズ「感情の構造」やウルフ作品と対照した時何が読めるか。 ・ベンジーに接する登場人物と、その語りを読む読者の共感的態度 ◯情動 276「それには何の意味もなかった、ただの音だった」「船の汽笛に似て」ベンジー 285 説教師の声とそれによって泣くディルシー 付録で「運命付けられ」たキャディの人生=物語とテクスト全体を貫く情動の自律性 ◯時間性 サルトルのフォークナー論。 直線的に読めないこと ナラティブ(物語)への抵抗 情動的な瞬間 場面のモンタージュ 読み終えてから最初を読み直すとよくわかる ◯メディア 20C以降の技術的複製可能時代 268 カリカチュアのバーテンダーのよう 272 電話 280 辺りの光景全体が平板で奥行きがなく、まるで平らな大地の最果てにボール紙を立てて絵を描いたようだった 290「自分の声を聞いていると屈辱と無力感が増してきて」 319 キャディの不穏な写真、凍結した時間
- Ryu@dododokado2025年3月19日まだ読んでる女の子たちが歩いてきた。ぼくは門をあけて、女の子たちが止まってふりむいた。ぼくは言おうとして、女の子をつかまえて言おうとして、女の子が叫んで、ぼくは言おうとして、言おうとして、明るい形たちが止まりはじめて、ぼくは外に出ようとした。ぼくはそれを顔からとりはずそうとしたけど、明るい形たちがまた動きだしていた。形たちは丘をのぼると消えていって、ぼくは泣こうとした。でも息をすいこむと、また息を吐いて泣くことができなくて、ぼくは丘からころがりおちないようにして、丘からころがって明るいぐるぐるまわる形たちのなかにおちた。(p.54) 「おまえ、ロウソクなんか吹きけせないだろ」とラスターが言った。「おれが吹きけすから見てろ」ラスターはまえかがみになって顔をふくらませた。ロウソクがどこかに行った。ぼくは泣きだした。「だまれ」とラスターが言った。「ほら、おれはケーキ切るから、火を見てろ」 時計が聞こえて、キャディがぼくのうしろに立っているのが聞こえて、屋根が聞こえた。まだふってるね、とキャディが言った。雨はきらい。ぜーんぶきらい。それからキャディの頭がぼくのひざのうえに来て、ぼくを抱きながらキャディが泣いていて、ぼくは泣きだした。それからぼくはまた火を見て、明るいなめらかな形たちがまた動きだした。時計と屋根とキャディが聞こえた。 ぼくはケーキをすこし食べた。ラスターの手が来て、もう一つとった。ラスターが食べているのが聞こえた。 ほくは火を見た。(p.58) お父さんがドアに行って、またぼくたちを見た。それから暗がりがもどってきて、お父さんはドアのところに黒く立っていて、それからドアがまた黒くなった。キャディがぼくを抱いて、ぼくたちみんなが聞こえて、暗やみが聞こえて、なにかの匂いがした。それから窓が見えて、そこで木たちがザワザワいっていた。それから暗がりがなめらかな明るい形たちになって動きだしたけど、それはいつもそういうふうになったし、キャディがあなた眠ってたのよと言うときもそういうふうになった。(p.75)
- 画伯@ggahak2025年3月11日読み終わった長編を読む喜びを堪能。どの人物も複雑、鮮烈な語り。カバー挿絵も素敵だなと思って折り返しを見ると1830年の植物画で、Honeysuckle、スイカズラだった。第二章で香る花なのだが、私はスイカズラの香りを知らない
- 画伯@ggahak2025年3月10日まだ読んでる195ページ、真ん中を超えた。エヴァン・ダーラ『失われたスクラップブック』をずっと思い出しながら読んでるけど順序が逆。古典をあまり読んでこなかった自分の初フォークナー。昨年、年に1作はなんか古典を読もうと緩い目標を思いつき、昨年はジョイスの『ダブリンの人々』を読んだ(最終的にはユリシーズを…)。今年はまずはこれをと読んでいる。特に読みにくさは感じない。ときどき胸にぐっと刺さる