みーる "会話の0.2秒を言語学する" 2026年5月16日

みーる
みーる
@Lt0616pv
2026年5月16日
会話の0.2秒を言語学する
ゆる言語学ラジオの水野さんの著書。「ゆる」とつくだけあってか、軽快かつユーモアあふれる表現で読みやすい。 第一章では、文脈の解釈として、語用論が挙げられていた。興味深かったのは、「言葉が使われるときに事実そのものを伝えることってめっちゃ少ないよね」とジョンオースティンという人が言っていたことだ。会話のほとんどが「解釈」で成り立つ。「この部屋暑くね?」≒「冷房つけて」となる。言われてみれば当たり前なのだが、確かに英語の教科書における「Do you have a pen?」「Yes,I have」の違和感。ペン持ってる?と聞くならば、それは貸してくれという解釈になる。はい持ってます、で終わる会話などない。 そして、さらに面白かったのがポールグライスが説いた「協調の原理」。人が会話をする中で自然と従っているルールだという。 1 量の公理(必要なだけの情報を与えよ。また、必要以上の情報を与えるな) 2質の公理(間違っていると思うことや、十分な証拠がないことを言うな) 3関連性の公理(相手の発話と関連性のあることを言え) 4様態の公理(不明瞭な表現や曖昧な表現、冗長な表現を避け、順序だった言い方をせよ) というものだ。当たり前だと思うが、どうやら人はこのルールを破って会話をしていることが多いらしい。 その中でも叶響子の例は笑った。「好きなものはなんですか?」の問いに対して「美味しいものです」は、量の公理に反している。お笑いのボケとツッコミも関連性の公理に反していることが多いという。ルールから逸脱しているズレにに気づくと人は笑えるのかもしれない。 そこから発展した「関連性理論」。人は、①自分に関連する情報に興味を示す②処理能力が小さければ小さいほど関連性は高くなるらしい 占いも①の自分に関わる話②基本的にイエスかノーで答える、だから会話のテンポも自ずと上り信じてしまうのだろうか。 会話は暗号解読(事実ベース)で進んでいくのではなく、推論(解釈)で進んでいくことがほとんど。そして、その解釈は関連性理論に関連するかで大きく変わる。 「コミュニケーションが得意な人は相手が解釈しやすいようなヒントをうまく散りばめられる人」だという水野さんの意見には深く納得した。言ったのに(怒)という人は相手が解釈できる言葉や伝え方ができなかったということになる。耳の痛い話だが、この考え方は日々自分の話を振り返る上での大きな指針となる気がする。 【出てきた語用論】 * オースティンの言語行為論 * グライスの協調の原理 * スペルベル、ウィルソンの関連性理論 「言葉には奥行きがある」という第二章。 中でも、「警察は叫びながら逃げる男を追った」が二つの解釈を生むことに言及し、文法はなぜ存在するのかに迫っていた。面白かったのは間違った文法をあえて教えることはないのにも関わらず、子供が文法を自然と守りながら言語を獲得していくことだ。これは前々から疑問に思っていた。単語を獲得するのはわかる。しかし、その単語をつなげて文にしていく過程はどのように行われているのか。そうした疑問を元に、生成文法という文を作るための基本的なルールを定めた。といっても、生成文法は難解のそのもの。イメージしやすいように動詞句と名詞句に分けて樹形図を書いていくらしい。を 「僕の先生は自分自身を好いている」を僕=自分自身と解釈する人はいない。先生=自分自身と解釈するはず。これも生成文法における樹形図で説明できるという。 頭の中で樹形図をもとに言葉など選んでいない。受け取る方でも同じだ。それでも、一瞬の解釈で会話を成立させることができる人間…凄いを通り越して怖いまである。 第三章では、「言葉の意味とはなんだろう?」というテーマだった。ネコの意味は?と舐め腐った問いで始まるのだが、「哺乳類でネコ科、ニャーと鳴く四走歩行の動物」と答えてしまっていた。チェックリスト形式だとそうではないネコがいた時に対応できない。形式意味論では、大まかなカテゴリーの中からその場にあったネコをピックアップする、集合の考え方が活かされる。頭の中で思い描いたネコと目の前にいる実物のネコ。全く違う二匹のネコだが、広くネコというカテゴリーからピックアップするとわかりやすい。 一方、時間や愛など、実態のない概念に対する意味ではカテゴリーだけではなかなか説明が困難である。認知意味論という比喩に焦点を当て、「時が流れる」は、後ろから前に向かっていくイメージのように、時も過去から未来に向かって進んでいく。 また、「近づく」と「近寄る」の違いもおもしろい。両者共に何かに接近することを指すが、 雨雲が近づく→不自然でない 雨雲が近寄る→やや不自然 のように、「近寄る」では主語が主体的な意思を持つものでないと不自然になる。「寄る」と「付く」の違いを見ても「寄り添う」と「付き添う」では言葉の温かみが違う。「寄り添う」の方が意思を持って行動している感覚がある。 「近づく」の意味は両者が接近してその間がなくなること 「近寄る」の意味は、何か意思があって(あるかのように)接近して対象となるものや人に接近すること と言える。なんとなくで使い分けているが比較してみるとこんなにも奥深いとは驚いた。 第四章では、会話にフォーカスを当てた構成。 まずは、フィラー。一般的にはカットされ、会話においてノイズとされがちである。ここでは、「えー」と「あのー」の違い。これはゆる言語学ラジオの本でも取り上げられていたが、やはりおもしろい。「えー」は頭の中で伝えるべき内容を考えている時に使う。「あのー」は相手への伝え方を考えている時に使う。誰にも教わったことがないのにも関わらず、使い方を間違える人はいない。本当に不思議だ。 会話の間もコミュニケーションに多大な影響を与える。特に「いいえ」と答える場合、「はい」と答えるときに比べて沈黙の時間が長いそうだ。1秒答えるのが遅れたら、質問者は「あれ?まずいこと聞いたかな?」「聞き方変えようかな?」と気を回しだす。リモート飲み会が定着しなかった理由も沈黙のラグのせいでコミュニケーションが取りづらいから。確かに、話始めのタイミングと話終わりのターン変更がわかりづらい。 そして、ジェスチャーと言葉の関係。電話の例は本当に心から納得した。ジェスチャーをつけると言葉もついてくる感覚は本当にその通り。ジェスチャーが使えない状況だと、フィラーが多くなることも納得。 こうしたノイズとされがちなフィラーや非言語コミュニケーションであるジェスチャー。こうしたサブ的なものが会話に大きく影響を与えている。 「牛乳を一つ買ってきて。卵があったら6つお願い。」 自然言語の曖昧さを示すジョークだが、文字だけ見れば不完全だが、フィラーやジェスチャー、会話の間を使えば何も問題なく伝わるだろう。 終章では、世界のコミュニケーションの当たり前とか日本の中でも言語感覚は違うことなどバラエティに富んだ内容だった。 なぜ、人は会話と会話の間を0.2秒でできるのか。当たり前に行なっている会話のメカニズムを一つ一つ紐解いていくと「人間まじですげえ…」と空いた口が塞がらなくなる。こんな高度なことができている方が奇跡で、吃音や自閉症の人たちのようにスムーズに言葉が出なかったり、状況に合わせた言葉選びができない方が自然なのではないかと、水野さんの出した優しい答えが素敵だった。 そして、何より心に残ったのは、人文学は「自分と出会い直せる」という言葉だ。理系科目はヒトもそれ以外も同じ法則で扱う。でも、人文学はヒトを中心にする。他者を知り、自分の考え方と比べることで、新たな自分を知ることができる。本を読むことは、他者の考えをインプットすることを目的にするのではなく、そこからどんな自分と出会い直せるのかが本当の到達地点なのかもしれない。「自分と出会い直すため」に学び続ける。学べば学ぶほど揺らぎ、また「自分と出会い直す」。果てのない砂漠をひたすら歩くような途方もない行為なのかもしれない。それでも、力強く咲く花や時々出会うオアシスやすれ違う人。歩き続けないと出会うことはない。何のために本を読むのか、なぜ物語を必要とするのか。今のところしっくりくる答えを見つけられたかもしれない。どこでどう繋がるかがわからないのが読書の面白さなのだろう。
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