しをに "熟柿" 2026年5月14日

しをに
しをに
@remnkkswn60306
2026年5月14日
熟柿
熟柿
佐藤正午
向かい風に苦しみながら少しずつ読んでたはずなのに、なんか突然読み終わった。 はーーーーーーーーーーーー私は小説の世界のこと何も知らないな。世の中にはこんな本がまだまだ存在して、たくさんの人に読まれてるんだな。 物語にオチと答えが欲しい気持ちと、なんでも約束通りに作り上げられてほしくない気持ちとがあって、その隙間に、細く長く尖った針をゆっくりずっぷり差し込まれたような感じがする。 長くなるのでもう詳細はブログの方に突っ込みます。彼女の夫だった人に、罪の側面があったことに、まんまと溜飲が下がってしまった自分を目の当たりにしたこととか。 何の話なんだこれ、とずっと思っていたことへの答えとして、真面目に真摯にこつこつ生きていけば、待っていれば、いつか時が満ちて報われるんだって話だったと言えそうで、でもちょっとしっくり来ない。 ある点における結果であって、必然でもゴールでもないというか。 ある程度丈夫な身体や数々の良縁があって、ギリギリ成り立つことでもあった。気持ちの問題では片付かないし、そもそも「罪を犯した人間が地味に静かにじっと辛抱して黙々と報われる日を待った」ことを、よく頑張ったねと褒めて祝福する話でもない。のでは。うーん。 なんか、そういうことではなくて、例えば私が物語に散りばめられた不吉の予兆に怯えたように、彼女の体感にも何度もそういうものがあったはずで、全部を悪い方に意味付けて紐づけて連れていけるようなものが何度も側を掠めていったはずで、それをたまたま、ギリギリで躱し続けた先に、何かふと、予感したのとまるで違うものが転がり込んでくることもある、っていう、小さな小さな一幕だったというか。 しかもそのギリギリってのは、終わらない。ずっと、一生続く。罪が消えることがないのと同じように、罪があろうとなかろうと、裁かれようとそうでなかろうと、日々が続くのと同じように。躱しきってどこかでゴールできる訳でも無い。命ある限りは。 この先もそれは掠めていくし、躱せたり躱せなかったりするかもしれない。それは過酷なことだし、誰でも同じでもある。なんか、そういう印象の物語だった。 悲しいかな、何かの条件が揃うと人はあっけなく罪を負う。極悪人でなくとも、平凡なはずの明日の自分であっても。柿の実ひとつが熟しても、壊したもの、壊れたもの、やったこととやらなかったことは消えない。奪った者も無くした者も一人ではなく、一人がどちらか一方であるとも限らない。 全ての人生はてんでばらばらに進み続けて、大半の他人には理解できないまま、勝手にそれぞれに閉じていく。そういう予感を孕んで敢えて仮そめの幕を下ろす物語が、私は好きなんだと思う。物語の結論、最後の景色を描けるとしても、一つ一つの人生の結論は誰の前にも現れない。死んだ叔母さん1人の人生ですら、なんだったのかなんて、この物語においては誰にも何にも分からないのだし。 このひどくあやふやな物語が、たくさんの人に拍手を持って迎えられたと思うと、なんだか堪らない気持ちになるな。こういう物語を受け止める余白を保った人生でありたい。借りた本だったので、出会いに感謝する意味で買い直してこようと思う。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved