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2026年5月17日
彼女のカロート
荻世いをら
この本に収録された二篇はどちらも三人称で書かれているのだけれど、その語り方というか語り手の立ち位置みたいなものは大分違っていて。
表題作の「彼女のカロート」は文末に「た」が多用される、語り手のいる(それが書かれている)現在から既に過ぎてしまった過去を俯瞰するように語る、という言うなればオーソドックスな小説の文体、スタイル。
一方でもう一作の「宦官の授業」になると、同じ三人称でも現在形が多用されるようになる。これは物語られている現在からみた未来がある程度既知の状態でありながら現在に並走しながら語っていくような感じ。並走しながら語りはじめれば語り手、地の文と登場人物(特に主人公、視点人物と言われる人物)との距離がグッと縮まる。そうすると何が起こるかというと、平静であるべき、と思い込んでいた三人称の語り手、地の文に登場人物に対する感情が芽生えはじめる、ように読めるようになる。そこがとても魅力的だしとても面白い。ああ、あと文末の「なくもない」の多用も印象的だな。
読みやすいのは前者のタイプだけれど、好みなのは後者だったりする。並走していると文字通り文章が走り出してめちゃくちゃドライヴするし。とかちょっと考えているのだけど、どうでしょうか。



