
阿久津隆
@akttkc
2026年5月4日

響きと怒り
ウィリアム・フォークナー
読んでる
早い時間に一度目が覚めてそこから寝入ることに苦労し、『響きと怒り』を開くとジェイソンに意地悪くなじられたクェンティンが自室に籠り、食事の部屋に残ったジェイソンと母親が話していた。ジェイソンが姪のことを「あんな、自分の子供の父親の名前もいえないような女」というと母親は「ジェイソン」といい、ジェイソンは「わかっていますよ」といい、「ぼくはなにも、あのことをいっているんじゃあない。もちろん、そうじゃあないですとも」という。
p.461
「今まで散々苦労した上に、もしこのあたしまでが、あれは本当かもしれないなんて信じるとしたら、あたしは一体どういうことになるんだろう」
「もちろん、そんなことはあるもんですか」とおれはいう。「ぼくはそんなつもりでいったんじゃないですよ」
「すくなくとも、それだけは勘弁してもらいたいと思うよ」と母はいう。
「もちろんそうですとも」とおれはいう。「だって、そんな疑いを持つには、あの子はあまりにもあの二人に似すぎていますからね」
「あたしにゃあ、とてもそんなおとは考えられないよ」と母はいう。
「じゃあ、そんなことを考えなきゃあいいでしょう」とおれはいう。
すごい会話。とんでもない会話だ。そのあと「麻酔をかけて、あいつをジャクソンに送ったとしても、あいつはなんの違いも気づかないだろう。だがそんなことは、コンプソン家の者にはあまりにも単純すぎて、考えつくことさえできなかったのだろう。せめてその半分も複雑だったら、考えていただろうが」とあり、ジェイソンの部がぐわんぐわんと面白くなっていくというか語りが凄みを帯びていく。と思ったらジェイソンの部は終わりになり、次の日付は1928年の4月8日で、次はきっと最後で、そしてキャディの部なのだろう。